おじいちゃんが笑った
夏休みが近づいたある午後。「『夏休みに挑戦』の目標は決まったかな?」「はーい」みんな自分の目標を書いた紙を先生に渡しました。
「どんなのがあるかな?少し読んでみようね。
《朝のラジオ体操皆勤》いいねえ。《ピアノコンクール予選通過》これは大変だな。《塾のテスト順位を一五番上げる》がんばるんだ。《お風呂掃除を引き受ける》おかあさんに喜ばれるぞ。《漢字検定に挑戦》すごいね。うん?これはなんだ?《おじいちゃんを笑わせる》これが目標かい?これは誰だ?健太か。先生は、やり遂げるのが難しい目標を決めて夏休み中に努力しようといったんだよ」「はい、先生。ぼくは難しい目標だと思って決めました」「そうか。みんなに分かるように説明しなさい」
「ぼくのおじいちゃん、おかあさんのおとうさんは近くに一人で住んでいます。前はおばあちゃんも一緒だったけれど去年亡くなって、その後おじいちゃんは笑わなくなりました」
「それで、笑わせたいと?」
「はい。笑わないおじいちゃんを見るのは悲しい。また笑ってほしいと思って‥」
「そうか。すてきな目標だな。おじいさまは悲しみの余り心を閉ざしてしまったんだ。その心を開いてあげよう。難しいがやってごらん」
健太はいろいろやってみました。とても面白いマンガを描いて見せました。テレビで見た落語をおぼえてやってみせました。お笑いバラエティのマネもしてみました。アベ首相やアソウ大臣のモノマネもやってみました。お天気姉さんになって天気予報もやりました。
なにをやっても、おじいさまは少しほほ笑むだけで笑いません。
健太は先生の言葉を思い出して聞きました。
「おかあさん。人の心はどうすれば開ける?」
「まあ難しいことを。おかあさんにも分からないわ。でも、とても硬い氷も春に溶けるわね」
健太は考えました。無理に笑わせようとしてもダメなんだ。「溶かさなくては」
健太はおじいさまの家でできるだけ長い時間を過ごすことにしました。おじいさまの部屋は、バイオリン、絵具箱、スキー、カメラなど使い込んだ道具でいっぱいでした。健太は道具のひとつ一つについておじいさまの思い出話をききました。アルバムも見せてもらいました。
「おじいちゃんは山登りをやるんだね。この山はどこ?」
「それは鹿島槍さ。双耳峰が特徴だ」
「ぼくでも登れる?」
「登れるよ。再来年は中学だろ?夏休みに登ってみるか?」
「連れてってくれるの?」
「行こう。久しぶりの北アルプスもいいだろう。そうだ。むかし山で覚えたカレーライスを作ろうか?ルーから作る本格カレーだぞ」
健太も手伝ってカレーライスを作りました。
おじいさまの部屋には古い映画のビデオテープやDVDが棚いっぱいにありました。
「《チャップリン》がたくさんあるね」
「むかし、映画の始まりの頃に活躍して喜劇王といわれた人だよ。山高帽にだぶだぶズボン、がに股歩きで笑わせたんだ」
「この中で一番好きな映画はどれ?」
「難しいな。…やはり『ライムライト』かな」
「これを借りていっていい?」
「いいさ。バレリーナが出てくるから、バレエの好きな莉奈ちゃんと一緒に観るといいよ」
もう夏休みも残り少なくなったある日、おかあさんは電話をかけました。
「おじいちゃん。今夜はうちへお夕飯にきてくださいな。教えてもらったカレーライスを健太が作ってます。ご飯のあとで見せたいものがあるんですって」
健太のカレーライスとお母さんが作ったプリンのデザートで夕食の後、おじいさまはリビングのソファに案内されました。健太と莉奈の姿が見えません。おかあさんがCDをセットしてボタンを押すと音楽が流れ始めました。
「ああ、ライムライト」とおじいさま。
《テリーのテーマ》にのせて春の発表会で着た衣装をつけた莉奈が踊り出ました。つづいてボール紙で作った山高帽につけひげ、おとうさんのズボンをはいた健太がステッキを振りながらがに股歩きで現れました。健太は莉奈に近寄ってチャップリンのセリフをいいました。「人生に必要なものは、愛と勇気と、少しのお金だ」それをきいた莉奈は、健太から山高帽をとってかぶり「かわいい妹も必要だ」といいつつ、がに股で歩いてみせました。
おじいさまは思わず吹き出しました。
「やった!」飛び上がった健太はおじいさまがそのあといった言葉を聞き逃しませんでした。
健太の「夏休みの挑戦」レポートの最後はおじいさまの言葉でしめくくられていました。
「やさしくて、かしこい孫も必要だ」