『狐』(野上彌生子)を読んで


 

 高原を吹く風のように清新なこの小説は、巧妙な起承転結の多面構造をもっている。

「起」はメルヘン仕立てである。薄倖の美しい(灰かぶり娘)芳子、彼女を結婚で救い出した病身の(王子)萩岡伸一、冷たい継母と醜い(ここでは足の不自由な)義妹の人物配置。伸一の父(王)はすでに亡く、若夫婦は裏通りの貸家に、継母たちは表側の本建築の館(城)に「格式と習慣を守つて」住んでいる。

 すべて定型通りである。シンデレラ型の話につきものの友好的な動物として、狐(と渾名される狐飼の夫婦)が現われ、現世のしがらみを逃れた萩岡夫妻に養狐場付きの住まいと仕事を世話する。

「承」は究極のロマンスである。北軽井沢の高原で夫と活き活き暮らす芳子を作者は描き出す。芳子の幸せと裏腹に、萩岡は、病気がぶり返してこの愛しい妻を残して逝くのは耐えられないという思いに苦しむ。芳子は「自分はいつでも彼と死んで行くし、彼なしではこの世に生きてはゐない」と誓い、ギリシャ神話のピレモンとバウキスの話に因む「同じ日の同じ時刻に逝く」という夫婦の誓約が成立する。

「こんな誓ひは決して果されないのが一般であるが」と作者がわざわざ断るほど現実離れした誓約も、メルヘンの世界なればこそ「彼女だけは守りさうに萩岡には思はれた」のである。

 しかし、萩岡夫妻が銀狐、山羊、鶏を飼い、馬鈴薯の植付けを済ませて実生活を始めたところでメルヘンのベールが剥がされる。 

楽園を覆う厳しい現実をジャーナリスティックに論評する「転」は戯曲仕立てである。芳子登場の場は無い。王子の死を看取るホレーショ役の親友佐々木と萩岡との対話、萩岡の長い独白を柱に構成される。

「人類はなんて愚かだらうね。懲り懲りしたはずの前の戦争から、四分の一世紀とはまだたたないのに」ヨーロッパから始まった戦火に日本も加わる。「その中でどうにか狐飼がつづけられた萩岡は、ノアの箱舟の奇跡的な幸運といつてよかつた」が、信仰を伴わない箱舟は現実世界の災厄を乗り切れない。「戦争はその頃から本物になつた。…無尽蔵な油と、石炭と、鉄と、ゴムと、綿と、その他一切の資源を利用し、組織化したヘラクレス的生産の前には、単なる精神力の昂揚や、それのそそり立ての無内容な叫び声や、空威張りや、ごまかしは、役にたたないのを日本人ははじめて教へられたのであつた」

心配していた萩岡の病気が再発する。メルヘンの世界(旧秩序)を背負った萩岡が生き延びるすべは無い。戦争に反対でいながら何一つ行動せず、犠牲を免れ、何一つ支払うこともなく、苦痛も屈辱もすべて後に残る人に委ねて死んで行くならエゴイストと言っていい、と痛切な反省と共に萩岡は重篤に陥る。

「支払い」はこの小説のキーワードである。

喀血して死の床にある萩岡伸一は言う。「かうなると、宗教的な伝統から野放しに育つた僕たちは不幸だ。しかしね、僕は自然が好きなせゐか、一つのアトムに分解したからだが、この自然の中でまたなにかに形成されて、新しく生きて来るといふ考へ方はぴつたり身につくよ」高原の雲になるか、落葉松の新芽か紫の深い竜胆になるか、あるいは渓流の一滴になるかと考える萩岡は枕もとの猫柳に眼を移して「この花だつて、来年は僕かもしれない」と言って微笑する。

これは輪廻転生の仏教思想にも通じるが、迷いの世界を流転するのではなく美しい自然の中で生き返るもっと汎神論的な思想である。その転生の空想が「自然の熱愛者なる彼にはふさわしい宗教」感にまで極まって、萩岡は妻との誓約を解くと遺言する。自然界の生命の永続性を思えば死の瞬間などに拘る必要はない、苦労させた妻を死の道連れにするのは罰当たりだ、という反省からである。

「結」は遺された者の支払いと癒しである。萩岡の死に続く敗戦によって、日本人が現実と信じ込まされていた旧秩序はメルヘンとして否定された。多くを支払った者が生き残り無一物で出直すことになった。生きる全てだった夫を失って抜け殻になった芳子は、妻と娘一家を広島の原爆で失い天涯孤独の身になって帰還した萩岡の叔父樺中将の「おお、よっちゃん…」という呼びかけを、久しぶりに耳にする夫の呼びかけと聞き、内部で凍り付いていた悲しみの全てを涙に流して甦る。

 この作品は、全てを失ったところからの再生とそれを支える生命力へのオマージュである。題名の狐は生命の象徴である。

芳子たちが飼う狐は、時勢の変化にも人の営みの哀楽にも関わりなく生き物の摂理に従って命を繋いで行く。狐の妻恋いの季節冬のさなか「情熱に燃えて来た牡狐らは、朝から晩まで、また夜は夜で、二十度にも下る厳寒の空気をつん裂いて、こん、こん、鳴きたてた」毛並みの美しい仔狐を産ませるためには、どの狐が交尾し妊娠したかを監視塔から見張らなくてはならない。

かつて萩岡に雇われた留さんは「三人貰つたおかみさんに三人とも逃げて行かれた、寄るべのない」髭の山男だが終日見張台に胡座をかき「なんだつて仕事だあね」と言った。

萩岡が逝った後もその仕事は続く。ミッドウエイの海戦で艦橋から反ね飛ばされた時に左腕を失い、甥が残した狐飼をする不思議な運命に黙々と従っている樺は言う。「かう狐飼ができるのも伸一のおかげですよ。何も仕事ですからね」

 留や樺の言う「仕事」は「生きる」と同義語であろう。全てを失ってもありのままの自分を信じれば、自然の中で生きる一員としての生活が生れ、それがおのずから相互に繋がる。樺はもとの面影はみじんもない「残骸に過ぎなかつた」のだが、王子の庇護無しに現世の道を歩き始める芳子を支え、自然の中で産みだされる生命を助けるために「艦橋から敵艦を見張るやうな慎重な注意で眼前の獣たちの親睦のすがたを、悠然と見守つた」

 この結びは日本人の生命力を信じて敗戦後の復興を見守る作者のまなざしでもある。この小説には「僕は支那に流さした血は、いつかは必ずそれだけの量を、日本に流させる日が来ることを疑はない」といった、負けた戦争の支払いについて鋭い批評が盛り込まれている。それから半世紀余が過ぎて近隣諸国に対して日本人は鈍感になり過ぎていないかという思いを新たにする。

 これほどに瑞々しく清純な愛を描き出したこの作品発表時の作者野上生子の年齢は満六十一歳、「新米の水兵が甲板洗ひから鍛へこまれるやうな神妙さで」狐飼の指導に服従した樺は六十三歳であった。ならば、リタイアして名刺から肩書き抜いた私もこれから一仕事しなくては済まない。「なんだつて仕事」である。爽やかな読後感と共にそう思った。

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