黄色のアサガオ

「わあ、きれい!よく咲いてるね」
「そうでしょ?」
 わたしはちょっと自慢した。
「黄色のアサガオはとても珍しいのよ」
「そういや、これまで見たことないわ」
 わたしは得意になって言った。
「おとうさんが苦心して育てたの」
「カホちゃんのおとうさんて、漁師さんでしょ?」
 そうだけれど、わたしのおとうさんは、それだけじゃないの。 
「お魚のほかにお花も好きなのよ」
「おもしろいね。生きものが好きなんだ」
 そうなの。ステキなおとうさんよ。
「このアサガオにタネができたら、おとうさんに分けてもらって、来年はわたしも育てるつもりなの」
「いいなあ」
 ユカちゃんはちょっと口をとがらせて、それから言った。       
「ねえ、ユカにも分けてもらえない?」
 わたしはにっこりして言った。
「いいよ。ユカちゃんの分もおとうさんに頼んであげる」
「わあ!うれしい。きっとよ。約束ね」
 去年の夏の約束だった。
 
 おそかった春もようやく深まって、アサガオのタネをまく季節が近づいてきた。
 その日、わたしは、おとうさんに分けてもらった約束のタネをポケットに入れて学校へ行った。
 学校からの帰り道でユカちゃんに渡すつもりだった。
 五時限目の国語の授業中にひどい揺れが来た。
「地震よ。みんな、机の下へ入って!」
 先生の言葉が終わらないうちに、みんな机の下へもぐりこんだ。
 長かった。揺れはいつまでも続いた。怖かった。泣きそうになった。
 まだ揺れているような感じだったけれど、先生の言葉が聞こえた。 
「みんな運動場へ出て。何も持たないで。早く!」
 どの教室からも生徒たちが走り出てきた。泣いている子もいた。つまずいてころぶ子もいた。
 教頭先生が叫んだ。
「津波が来るかもしれないので、避難します。あわてないで」
 津波と言うことばはわたしも知っていた。
 地震で押し上げられた海の水が陸に押し寄せて何もかもさらっていくんだって。
 たぶん全校生徒みんなが知っていたと思う。一年生はどうかわからないけれど。
 わたしの住んでいたところは昔から何度も津波におそわれたから、「津波てんでんこ」という言い伝えをみんな知っていた。
 津波が来たら、みんな自分のことだけ考えて高いところへてんでに逃げろってこと。
 わたしたちは先生に連れられて行列して歩いて行った。
 いくらも行かないうちに、高い堤防の上で海を見ていた人が叫んだ。
「大津波が来るぞ。こっちはダメだ。向こうへ逃げろ!」
 それからは、本当にてんでんこに逃げた。高い方へ、高い方へ。

 お友だちとも離ればなれになり、大勢の人にまじってひとりで逃げ回ったわたしは、ようやく中学校の体育館にたどり着いた。
 その夜、避難所になった体育館におかあさんが来てくれた。あちこち探し回ってやっと会えたとおかあさんは涙を流した。わたしも、うれしさの余り泣き出したけれど、やがて聞いた。
「おとうさんは?」
 おかあさんはさびしそうに首をふった。おとうさんは消防団のひとりとして、逃げ遅れたお年寄りを助けに町に戻ったという。
「どこかに避難してらっしゃると思うけれど」
 でも、おとうさんが私たちを探しに来ることはなかった。おとうさんのことは誰も知らなかった。
 町は消えた。私の家もなくなった。ランドセルも学校と一緒に流されてしまった。
 残ったのは、ユカに渡すはずのポケットのタネだけだった。
      
「歯ブラシないかなあ」
「無いわね」
「歯をみがかないで寝るの初めて」
「がまんするの。何もかも。ここではね」
 ペットボトルの飲み水のほかは、手や顔を洗う水もなかった。
 昨日から洗わない手で、おにぎりを受け取って食べた。
 お風呂も着がえもなかった。
「下着が汚れてたって死なないものね」
とわたしは少しすねて言った。おかあさんは、だまってわたしの肩を抱いてくれた。 
 ドラえもんのポケットなら欲しいものが何でも取り出せるのだけれど、わたしのポケットからは何も出てこない。そうだ、タネが入ってたけど、こんなもの役に立たない。
 あるはずのないことが起こって、それが本当のことだとはどうしても思えなかった。
 これはウソだもの。いなくなったおとうさんだって、わたしが目を覚ましたらきっといる。そんなことを思いながら、冷たい体育館の床に敷いた毛布にくるまって眠った。
 おとうさんがひょっこり現れた。
「会いたかったわ。おとうさん、どこにいたの?」
「やあ、ごめん、心配かけて ごめん。これを探していてね」
 おとうさんは黄色のアサガオが咲いた植木鉢を抱えていた。
「やだ。あの地震や津波の最中に、そんなもの探してたの」
「大切なものなんだ。なにしろこの色だからね」
「そんなに大事なもの?」
「この色は、多くのアサガオの命のつながりから生み出されたんだ。無くすと大変」
「大丈夫だよ。おとうさん。わたし、もらったタネを持ってるから」
「そうか。良かった。カホは頼りになるなあ」
「カホに任せなさい」
「はい、お任せします」
 目を覚ますと、おかあさんがわたしの顔をのぞき込んでいた。
「いい夢見ていたの?ほほえんでいたわ」
 
 新学期になっても、行く学校がなかった。
 周囲の小学校に数人ずつ引き取られるという話が伝わってきた。
 遠くの町にある実家とメールがつながって、これからどうするかを、おかあさんはおじいさま、おばあさまと相談したらしい。
「カホはもう高学年になるし、落ち着いて勉強できる学校に行ったほうが良いと思うの。いつまでも避難所にいるわけにいかないから、住まいも決めなくてはならないし」
 そんなわけで、わたしたちは、おかあさんの実家のある町に引っ越した。といっても、何も荷物はないから、避難所を出て移動しただけ。おばあさまのことば通りに身ひとつでね。

 転校した最初の日、クラスのみんなにわたしを紹介したあとのこと。
「このクラスでは、みんな何かの班に入るのよ。どの班が良いかな」
 すべてをなくしたわたしのことを知った先生はやさしく聞いてくれた。
 わたしはそれぞれの班の説明を聞いた上で、生物班に入ることに決めた。
「あなたは生きものが好きなのね。すばらしい。班長さん、カホさんをよろしくね」
 大きな目をくりくりさせて、班長の清一郎くんは言った。
「熱烈歓迎、ウエルカム」
 昼休みに、清一郎くんはわたしを校庭へ連れて行った。
「これがウサギとチャボの小屋。交替で世話をするんだ。夏休みなんか、ちょっと大変。それから、あちらが花ばたけ」
 今は無くなったわたしの部屋くらいの大きさの土地。それをレンガで囲んで土がいれてある。その半分に色とりどりのたくさんの花が咲いている。
「パンジーは知ってるね。ナノハナに似ているのがハナナ。赤やピンクがヒナギク、青がワスレナグサ。もうじきスイトピーやキンセンカ、キンギョソウも咲くよ。みんな去年の秋にタネをまいたんだよ。ほら、はたけが半分空けてあるでしょ?あの場所に、もう少ししたら、夏から秋に咲くの花のタネをまくんだ」
 わたしは喜んだ。そのために選んだ生物班だ。
「わたし、花のタネを持ってるの。ここにまいていい?」
「いいよ。みんな好きなタネを持ってくるんだから。君のはどんな花のタネ?」
「アサガオ。普通のとちがって黄色のアサガオ」
「ええっ、黄色?そんなのあるの?」
「おとうさんが育てたアサガオのタネなの。本当はユカちゃんにあげるはずだったタネ」
 どっと悲しみがこみ上げてきてわたしは泣いた。
 おとうさんにつながるものはこのタネだけなんだ。
 ユカはどうしたろう。どこにいるんだろう。
 びっくりして様子を見ていた清一郎くんは、私のはなしを聞き、しばらく考えてから言った。
「大切なタネだから、大事に使おう。タネはどれだけあるの?」
「もともとユカちゃんに渡す分だから、これだけしかないのよ」 
 いつもポケットに入れていたタネを取り出して清一郎くんに見せた。
「そうか、ぜんぶで二十つぶだな」
 清一郎くんはタネを二つに分けた。
「この十つぶを花ばたけにまいて育てよう」 
「あとの十つぶは?」
「ユカちゃんに送って約束を果たすんだよ」
「どこにいるか分からないのに?」
「ぼくに良い案があるんだ」

 わたしは小さな紙にみじかい文と電話番号を書いた。
[ユカちゃん、約束のタネです。とどいたら知らせてね]
同じものを五枚作り、タネをふたつぶずつ包んだ。
 それから、晴れて南風の吹く日を待った。

 ある日登校してすぐ、わたしを見つけた清一郎くんがそばへ来て小声で言った。
「今日の放課後、飛ばすよ」
 その日の授業の長かったこと。ようやく解放されたわたしと清一郎くんはお店へ行ってガスを入れたゴム風船を買い、この町をとりまくように流れている川の土手に上がった。
 予報どおりに南風がしっかり吹いている。
 五つの風船のひもの先それぞれにタネを包んだ手紙を結びつけた。
「いいかい、一二の三で飛ばすんだよ」
 清一郎くんの「三」の声で手を開くと、赤、青、黄、紫、紺の五つの風船は北の方角へ向かって勢いよく流されて行き、やがて五月晴れの空にのみこまれてしまった。 
「お願い、ユカちゃんにとどけてね」

 翌日、生物班のみんなは花ばたけに花のタネをまいた。
 もちろん、わたしはおとうさんのタネをまいた。
 これを育てることが、おとうさんとわたしを結ぶひとすじの道なんだと思った。
 毎日、水をやり、雑草をひいた。 
 やがて、双葉がでて、タネが無事に育っていることを知らせてくれた。
 本葉が出て、梅雨に入り、七株が丈夫に育っていった。
 ふと、風船はどこまで飛んだろう、と考えることもあった。
 七月に入るとアサガオの成長は早くなり、支柱を立てると勢いよくつるが巻いた。
 夏休みに入っても、わたしは毎日花ばたけに通い、虫を見つけてはつまんで捨てた。
 おとうさんが言っていたことを思い出す。
「花を育てるのに一番必要なものは愛情なんだ。よく足音が肥料になるって言われるけれど、毎日見てあげると喜んで育つんだ。赤ん坊と同じだよ」
 やがて高さは一メートルをこえ、分かれた枝も伸び始め、葉も茂った。
 ある日、わたしはひと株にツボミがついたのを見た。翌日には、もうひと株にもついた。
「おとうさん、ありがとう。わたしも黄色のアサガオを咲かせられそうです」
 八月に入ったある朝、ついに一輪の黄色のアサガオが開いた。

 そのアサガオは、津波に流された学校を見下ろす丘の上で黄色の花を開いていた。
 それを見つけたのは仮設住宅に移ったユカの友だちだった。
「ユカちゃん、私たちが助かった丘に黄色いアサガオが咲いていたよ」
「えっ、黄色いアサガオが?どこに?見たい」
 ユカはその丘に駆け登った。
 丘の下に広がっていた町はすっかり消えて、あれから半年になろうというのに、ずっと先の海まで一面荒れ地のままだった。校舎の跡が学校のあった場所を示しているばかり。
 そのさびしい眺めに向かって、誇らしげにあざやかな黄色のアサガオが花を開いていた。
 風が運び、土が受け止め、雨が包み込み、陽が温め、生きようとするみずからの力だけでこの世に開いた黄色の命。
 駆け寄ったユカは叫んだ。
「わあい黄色のアサガオだ!」
 それから、小声で聞いた。
「でも、あなた、どこからきたの?」
 ユカは花の周りを調べた。
 すぐに、ユカは破れて落ちている黄色いゴム風船を見つけた。まだ結ばれているひもの先に紙きれのはしっこが残っていた。
 そっとひもを外して拡げると、三文字だけ残ったエンピツの文字が《ユカち》と読めた。 
 たちまちユカは信じた。これはカホが飛ばした風船だ。 
「カホのアサガオだ!約束のタネを私に向かって飛ばしてくれたのね。ありがとう。でも、カホはどこにいるの?」
 
 丘の避難所にもどったユカは、黄色のアサガオの絵をかいた。
「カホ、ありがとう。あなたの黄色のアサガオが咲きました。でも、あなたはどこにいるの?だれか、知っている人はいませんか?」
という文も書いた。
 それを絵といっしょに掲示板に張り出した。

 掲示板を見たのは避難している人だけではなかった。
 新聞記者は「黄色いアサガオのたずね人だって。これはニュースだ」
 テレビ局のカメラマンは「ガレキに向かって咲く黄色い花、これは絵になるぞ」
 植物写真の好きな人は「黄色はめずらしい。わたしのブログにのせよう」
 ユカからはなしを聞いたあと、三人は言った。
「花の写真といっしょに、ユカちゃんがカホを探していることを新聞やテレビやブログで伝えるから、大丈夫きっと見つかるよ」
 それから、それぞれにカメラを抱えて丘へ駆けて行った。
 
 何かが起ころうとしていたが、わたしはまだ何も知らなかった。
 でも、とても満足だった。
 黄色のアサガオは今がさかり。毎朝つぎつぎに花が開いた。
「おとうさん、わたしはひとつやりとげたわ。これからもずっと見ていてね」 
 
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