ふしぎななべ
ある町に小さな博物館がありました。その土地に伝わる道具を集めた郷土博物館です。
石器や土器に始まって釣りざおやランプまで、ひとびとの暮らしにかかわるいろいろな品物を時代をおって展示していました。
小学生ひとクラスが社会科の勉強にやってきました。ひとりが大きな声でいいました。
「なんだろ、これ。ふしぎなナベだって。へんなの」
それを聞きつけて皆も集まってきました。それはどっしりしたシチューナベでした。
「どこがふしぎなんだろう」
がやがやしゃべっていると、先生がやってきていいました。
「やっぱり見つけたわね。どのクラスの子も、このナベのことを知りたがるわ。ずっと昔の名人コックが使っていた伝説のナベよ。この博物館の土地も、もとはその名人コックのレストランのあった場所なの」
その時すでに名人は年老いていました。
持ち上げるナベが重く感じられます。もう前のように身軽にふるまえませんが、料理の仕上がりには少しのかげりもありません。レストランはいつも満員で、お客さまからの評判は高まるばかりでした。
でも、名人はなやんでいました。「この店をだれに継がせるか」
名人は子供にめぐまれなかったし、弟子入りを申し込むコックはたくさんいても、見込みのある若者にはこれまで出会っていなかったのです。
自分自身だけを頼りにひとすじに歩んできた名人にとって、今になって頼れる人を見つけるのはとても難しいことでした。名人は他人に頼るまい、と心に決めました。
その日から、名人はだれも寄せつけず、寝る間も惜しんで料理を教え込みました。だれにって?人にではありません。長い間使い込んできた愛するナベや包丁にです。
何年も掛かりましたが、名人の必死の思いは報いられました。名人の気性をのみこんだ道具類は、たくさんのメニューのそれぞれ難しい調理法をつぎつぎに覚えていったのです。
ある日、名人は道具類にいいました。「今日は任せるからな」
名人はメニューを決め材料をそろえただけで、みずから手を出すことはありませんでした。それでも調理場はいつものように活き活きしていました。包丁が野菜をきざむ音、湯がわく音、ナベに油がはねる音などにつづき、やがて肉を焼く匂いが流れてきます。
お客さまはそんなことは少しも知らず、いつものようにおいしい食事を味わって満足して帰ってゆきました。名人はほっとしてつぶやきました。「これで安心だな」
「でも、安心じゃあなかったの」と、先生がいいました。「名人が亡くなってから、おかみさんがレストランを続けたのだけれど、名人じゃなくナベがひとりで作る料理なんてという人がふえて、お客さまがだんだんへってきたの。そこへ、そのナベを買いたいという人があらわれて、さき行きを心配していたおかみさんはナベを売ってしまったのよ」
「ナベを買った人はレストランを始めたの?」
「いいえ。材料を入れれば料理ができるのなら、石を入れればダイヤになる、鉄を入れれば金になるんじゃないか、と考えたのね」
「そんなわけないじゃん」
「そうよね。だから、買って損をしたと思ったその人はナベを捨てようとした。そしたら、まだ小さかった末っ子がこういったの。おとうさんはこのナベの使い方をまちがってる。男の子は、古代の住居跡からひろってきた木の実の化石を水と一緒にナベに入れました」
「その化石から芽がでて、男の子が土に移しました。その苗はりっぱに育ちました」
と、博物館の館長さんがいいました。
「それがこの木になったのです」
こどもたちは、博物館の庭にそびえる大きなシイの木を見上げました。
先生はにこにこしながら作文をよみました。
『ナベがひとりで料理を作るおとぎ話だと思ったのに、そのナベで芽をだしたシイの木が大木になっているのでびっくりしました』
二重丸をつけた先生はつぎをよみます。
『ナベに料理をおしえて成功するなんて、名人は料理のほんとうのたつ人だと思いました』
花丸をつけた先生は、つぎの作文をとりあげてまゆをひそめ、一重丸にしてつぶやきました。「この子には気をつけなくちゃ」
『むかしの人は、ふしぎなナベの料理をすきになれなかったけれど、ぼくたちは平気でたべていると思います。デパートの地下やコンビニや自動はんばいきで売っているたべものはコックさんが料理していないし、どう作られているかだれも知りません。つぎは、いま働いているふしぎなナベを見学したいです』