花のトンネル
へんなひとたちを見てミオンは足をとめました。
おじさんがふたり、サクラの木のまわりでなにかしています。
サクラを眺め回し、小さなハンマーで幹をたたきます。もうひとりは器械を見て紙に書き入れています。
「なにをしているの?」
ミオンはききました。
「この木が病気かどうか、しらべてるんだよ」
「えっ、じゃあお医者さん?」
「そうだよ。ジュモクイっていうんだ」
「ジュモクイ?」
「そう。樹木医。木の医者だよ」
おじさんたちは、つぎにサクラの根元に長い針をつきさしました。
「木に注射してるの?」
「根が腐ったりしていないか、しらべてるのさ」
「ふーん。木も病気になるのか。知らなかった」
「木だって、人間や動物と同じように病気になるんだよ」
「そうなのか。それで、治せるの?」
「治せる木もあるけれど、治せない木も多い。この並木のサクラはみんな歳をとっていて、ずいぶん弱ってるからね」
「木も歳をとるの?」
「そうだよ。人も木も、生きものの命にはみんな限りがあるんだ。とくにこの並木のサクラはソメイヨシノだからなあ」
「それってどういうこと?」
「ヤマザクラなんかとくらべて、ずっと命が短いサクラなんだ」
おじさんたちがしらべているサクラの木は、冬を前にもうすっかり葉を散らせていました。でも、春になると花が咲いて、花が散るとあたらしい葉っぱが出てくることをミオンは知っています。
花の命がみじかく、葉っぱの命もさむくなるまでと知っていたミオンですが、木の命というのは、はじめてきく言葉でした。
ミオンが花や葉っぱのことをよく知っているのは、家のまえがサクラ並木だからです。
太くて大きなサクラの木が道の両側にずらりと並んでいます。
毎年サクラが満開になると、並木はすてきな花のトンネルになります。それは、ゆるやかな坂道をのぼり、両側に家がならぶブロックをぬけ、片側にお店がならぶブロックがとぎれるまで三百メートルもつづくのです。
ミオンのアルバムには、花のトンネルの下で撮った写真が何枚もはってあります。
おかあさんに抱かれた赤ん坊のミオン。おとうさんと手をつないでいるのはまだオムツをしていたころのミオンです。幼稚園のあたらしい制服を着たミオンもいます。おしゃれしたおかあさんと一緒の入学式の写真も、花のトンネルを抜けて行った正門で写したものです。
この春もみごとな花のトンネルができあがって、カメラを持った人たちがたくさんやってきました。
でも、おじいさまは寂しそうにいいました。
「この眺めもこれきりになりそうだなあ」
ミオンはおどろいてききました。
「どうして?なぜこれっきりなの?」
「このサクラ並木の半分ちかくが病気にかか
っているんだって」
「このまえ木のお医者さんがきてしらべていたよ」
「そのお医者さんが役所にしらせたのさ。病気がおもい木は伐らないといけないんだって」
「伐るって?サクラが死んじゃうよ」
「そうなんだけれど、ますます病気がすすむと木が倒れるかもしれない。こんなに大きな木だから危ないだろう?道路をふさぐとバスも通れなくなる。それで伐ることになったんだよ」
「ぜんぶ伐るの?」
「そうじゃないさ。倒れるかもしれない木だけだよ」
「何本くらい?」
「さあ、どうかな。まあ病気の木の三分の一として、二十本くらいは伐るのじゃないかな」
「そんなに?花のトンネルが穴だらけになるね」
「だからさ。この春が見おさめっていうことだよ」
おじいさまがこの町に家をたてたのは四十五年前のことです。
そのころ、海をのぞむ丘を切り拓いたばかりの新しい町は、今の半分しかできていませんでした。
並木のサクラもまだ若木でのび盛りでした。
家がどんどんふえ、住民もふえて、学校は教室が足りなくなり運動場にプレハブ校舎ができました。子どもたちに、ふるさとの思い出をここでつくってもらおうと、広場で夕涼み会がひらかれ、盆踊りの練習もありました。
花が咲いたサクラ並木には、ぼんぼりが灯されて夜桜見物のひとでにぎわいました。
町の真ん中を通っているサクラ並木の道が、海岸をはしる道路につながって車の通行がふえました。潮干狩りのシーズンには、海岸に向かう車でサクラ並木の下は一日中車の列がたえません。排気ガスでいっぱいです。
車がサクラにぶつかって、おおきく皮がはがれすっかり弱ってしまう木もありました。
工業団地へ向かうバスがサクラ並木を通ることになり、バスの屋根がつかえないように道路側の大きな枝がたくさん切り落されました。
サクラの成長につれて枝が家々の屋根の上にのび、日をさえぎったり、葉を落としたりするので、こんどは家側の大枝がすっかり切り払われてしまいました。
まわりの地面はアスファルト道路とかたい歩道におおわれているので、のびられない根っこはわずかに残るすきまの土にもりあがりました。
サクラにとっては、とてもつらい環境だったのですが、けなげなサクラの木々はさらに成長をつづけました。幹を抱えるには、おとながふたりいるほどに太り、こずえは高々と空にのびました。
そして、毎年春にはいくら見上げても空が見えないほど、びっしりと花が枝々をうめつくしました。いつのころからか、サクラの名所として駅のパンフレットに載るようになっていました。
その間に、サクラ並木を通って通学する子どもたちはすっかり少なくなり、ミオンが入学するずっとまえにプレハブ校舎はなくなっていました。並木の通りにあったお店もしだいに店を閉じました。町の自治会館では、ボランティアの人たちがお年寄りへの配色サービスをはじめました。
おじいさまが家をたててからの年月、町も、ひとも、サクラもおなじだけ歳をとったのです。
自治会からの「お知らせ」がきました。
「ミオン、見てごらん」
おじいさまが一枚の見取り図を見せました。サクラ並木がかいてあります。
「ここに×じるしがついている木が伐られるんだって」
「ひやあ、こんなに伐るんだ」
お知らせには、伐られてしまうサクラの思い出のために幹を輪切りにして希望者に配ります、とかいてあります。おじいさまはいいました。
「申し込むから、ミオンの部屋にかざるといいね」
サクラが伐られるようすをミオンが見ることはありませんでした。何日もかかったのですが、いつも作業はミオンが学校に行っている間に終わっていました。
でも、それでよかったとミオンは思いました。あれだけみごとな花を咲かせていた大きな木が、生きたままで伐りたおされるようすを見たくはありません。いくら安全のためだからって、ひどいなあ、とミオンは思っていたのです。
すべてが終わった日曜日に、ミオンはおじいさまとサクラ並木を見てまわりました。たくさん切り株がありました。秋も深まった並木には、なにかむなしい気配がただよっていました。
ミオンは切り株を眺めました。
「どれも真ん中に穴が開いてるね」
「そうだねえ。病気で幹の真ん中から腐りはじめてたんだ」
「これがひどくなると、いつかは死んじゃう
ってこと?」
「そうだろうね。がんばってまだ二、三年は花をさかせたろうけれど」
「幹はどれもまん丸じゃなくて、まわりが曲がりくねってる」
「これを見ると、せまい場所で苦労して太っていったのがよくわかるねえ」
「もっと広い場所に植えられてたら、もっともっと自由に大きくなれたのね」
「そうだなあ。そのうえ人間のつごうであちこち大きな枝を切られ、わるい空気をすってたんだものなあ。でもね、草も木も自分でえらんだわけでもない場所で一生けんめい生きてゆくものなんだよ。ほれごらん、あの枯れタンポポ」
おじいさまが指さすさき、歩道と石垣のわずかなすきまに生えた草をミオンは見ました。綿毛をとばせて役目をおえ、枯れ葉っぱの形でタンポポとわかるだけです。
「風にのって綿毛に運ばれた種がどこに落ちるかだれにもわからない。落ちた先で、その場所にあわせて生きのびて、そしてつぎの世代のためにまた種をとばせて、そうしてタンポポはしぶとく生き残ってきてるんだ」
「タンポポだけじゃないよ。ミオンだってどの家に生まれるかなんてわからなかったよ」
「そりゃそうだ。人間も同じだな。生まれたままに生きることにかわりはない。でもまあ、人には大人になれば選べること、選ばなくてはならないときもある。そのときミオンがどうするか見とどけたいが、それまでは生きられそうにないな」
それから十日ほどして、真ん中に穴が開いたサクラの輪切りがとどきました。家の中でみると大きなものです。
「満開の花の思い出に壁にかけてあげよう」
おじいさまはミオンの部屋の壁にフックを打ち込んで吊るしました。
また春がめぐってきて、サクラ並木に花が咲きましたが、もう花のトンネルは名前ばかりで、枝の向こうに青空があちこち見えるただの並木になりました。やはり人がたくさん見に来たので、ミオンはなにか恥ずかしくなりました。
それでも、夜にはまたぼんぼりが灯されて以前よりはずっと減ったものの、夜桜見物のひとたちがやってきました。
「ひにくなものだなあ」
と、おじいさまがいいました。
「今になって、ここのサクラ並木が新八景のトップにえらばれるなんて…」
区になって五十周年なので役所が募集した人気投票「新八景」のけっかなのです。
「伐られたサクラたちががんばって咲きつづけたおかげなのにねえ。その木がなくなり、花のトンネルの名前が泣くようになってからトップだといったって、なにかむなしいというか…、悲しいというか…、へんな気持ち」
と、おかあさんがいいました。
「そうよ、前のようなすてきな花のトンネルがなくなってるのに、トップになってひとが見にくるのはなんだかいやな気がする」
と、ミオンがいいました。
「自治会では、花のトンネルのために並木の回復を役所にはたらきかけるそうだけどね」
「でも、すばらしい花のトンネルになるには、ずいぶん年月がかかるでしょ?」
「そりゃそうだ。若木を植えることになろうから十年ではむりだろう。なんとか見られるようになるのが早くても二十年。完成を見とどけるのはミオンだなあ」
並木の花が散って葉が茂り、ミオンは三年生になりました。
ある日、サクラ並木を歩いたミオンはなにか前とちがうような気がしました。
「なにがちがうんだろう」
もう一度あたりを眺めてミオンは気づきました。
「そうだわ。切り株がなくなってる」
並木はこずえも地面の近くも青葉でうずまっています。
もともとサクラとサクラの間にはツツジやサツキが植えられていました。だから、地面がむきだしの部分はなかったのですが、サクラが伐りたおされたあとには小さな空き地があちこちにできました。それなのに、いまはどこにも見当たりません。
あの切り株はどこへ行ったのでしょう。
残ったサクラの幹のあいだを調べたミオンはびっくりしました。
「あれっ、根っこからたくさん枝が出てる」
そうなのです。切り株のまわりに盛り上がる根っこのあちこちから枝がのびて、青葉をたくさん茂らせ地面をおおっていたのです。
ミオンは家へ急ぎました。
「たいへん、おじいさま。サクラは生きてるよ!伐られても死んでないよ!人間のつごうで伐られたってまだ死ぬものかって、サクラはじぶんで生きることを選んで…」
息を切らせて駆け込んできたミオンに、おどろいたおじいさまがききました。
「いったいどうしたんだ?」
「サクラが…、あの伐られてしまったサクラたちが、人間のことなんかほうっておいて、もう花のトンネルづくりをはじめてるんだよ」