日記(2018 年 11 月)


2018年11月30日

ブレゼントを買う

ブレゼントを買った。何年ぶりだろう。私がブレゼントを買うのは、クリスマスで仲間が集まるとき、交換会をしよう、と決まったときだけだ。けちな性分だ。
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2018年11月29日

『「身体を売る彼女たち」の事情』を読む

魚籃観音記のところで書いたように、最近なぜだかエロに関係した本を買ってしまう。最近は標記の本を買った。まだ終わりまで読み切っていないこともあり、ここでは中途半端な評は控えたい。
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2018年11月28日

法律の勉強をする

この年で新たな勉強をするというのはつらい。しかも、法律の勉強である。法律というと苦い思い出がある。大学に入って1年生のとき、試験時間を間違えて単位を取り損ね、2年生でも授業を受ける羽目になったのだ。
まじめに勉強すれば面白いのだろうが(勉強というものはまじめにやるものだろうが)、どうにも理屈がわからないことが多い。いや、その前に理屈の組み立て方がわからない。たぶん、日本語の理解の仕方に問題があるのだろう。しかし、この年で日本語の理解力を高めよといわれてももう遅い。
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2018年11月27日

シュレッダーを使う

テレビを見ていたら、不法投棄されたゴミの始末をする報道があった。フランスのある市では、市長自らが、不法投棄されたゴミを拾い上げて捨てた本人と思われる名前を特定し、ゴミをその捨てた主に戻すという荒療治をしていた。

私は不法投棄するつもりはないが、ゴミから素性が探られるのはいやなので、個人情報が書かれた紙は極力シュレッダーにかける。家には、電気式のシュレッダー1台と、手回し式のシュレッダー2台がある。そのうち、手回し式のはどちらも刃が弱ってきているのか、うまく裁断できなくなった。かみさんが一生懸命2台とも直してくれた。ありがたいことだ。
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2018年11月26日

ショパンを弾く

きのう、思いがけない知らせを聞いて落ち込んだ。そしてどうしたかというと、ショパンを弾いてみようという気になったのだった。
それも、ふだんは弾かない、そしてほとんど弾けないピアノソナタ第3番の第2楽章だった。なぜかはわからない。
きっと落ち込んだ心をなんとか弾ませようとしたかったのだろう。今日は帰りが遅くて弾けなかった。明日時間があれば弾いてみよう。
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2018年11月25日

コンクリート長屋の理事会に出席する

コンクリート長屋の理事会に出席する。一言でいうと問題山積ということだ。主には建屋の経年劣化に伴う修繕に伴う事項が多い。
世の中にはメンテナンスフリーというものが名前だけはあふれているが、実際にはそんなことはなく修繕するか取り壊すかしないといけない。

取り壊すことを考えていない最たるものは、高い建物であると思う。あるとき、知人が勤めている会社にある、高い煙突の話題になった。その煙突は老朽化によりもう使っていないのだという。どうやって取り壊すのか聞いたら、高すぎて取り壊すことは考えていないのだという。地震など災害があったらどうするのか、という問いに対しては、その時考えるというものだった。ちなみに、その煙突はその後かなりたって取り壊されたと聞いている。
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2018年11月24日

広島ラーメンを食べる

午前中墨田区に用事があったので昼飯は押上で食べることを考えた。回転寿司を見たがたくさん人が並んでいるのを見てあきらめ、広島ラーメン屋さんで食べた。
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2018年11月23日

字を大きくする

老眼が進んできたこと、スマートフォンでも対応したいということもあり、まりんきょ学問所の字を大きくした。
ごく簡単なレスポンシブルデザインを取り入れたので、スマートフォン用にも多少は見やすくなっていると思う。
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2018年11月22日

いい夫婦の日を考える

11月22日はいい夫婦の日である。これを機会に夫婦というものを考える、ということはしなかった。
その代わりに、最近録画したドラマを見て男女の仲というものを考えている。「結婚相手は抽選で」というドラマだ。
主演の野村周平を見ていつも考えている。なんでこんなにオドオドした青年が、「抽選見合い結婚法」に対して堂々と反対できるのか。あまりにも出来すぎているぞ。こんなにいい男ならば現実に抽選で選ばれた女ならばホイホイと寄ってくるのではないか。
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2018年11月21日

公衆電話を探すアプリがほしい

公衆電話機が見つからない
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2018年11月20日

内燃機関を考える

日産
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後記:この日のブログは何を書こうとしたか、もう今となっては思い出せない(2022-06-17


2018年11月19日

法律を考える

ときどき法律を勉強している。法律の条文を読んで、自分は恵まれていると思う。条文が理解できるからではない。読んで条文が理解できないからだ。どういうことか。たとえば、抵当に入っている物件がある。それが差し押さえられるとはどういう場合か。多重の抵当に入っているときにどのような優先順位がつくか。なぜわからないかというと、実感がわかないからだ。自分の住んでいる家が抵当に入っていたことがあるか、というとそれはある。ただそれは自分の住んでいる家のローンを払っているときに、ローンが払えなくなった場合にその家を借金のかたにとる、という約束の抵当である。今はローンを返し終えたので抵当権解除の手続きをして、今はない。実家はどうだったかというと、そんなことは気にしていなかった。おそらく親はローンを払っていただろうし、その間は同じように自分の家とはいえ抵当に入っていたのだろうが、子供である私には告げることはなかった。おそらく、現金がなかったりとか、現金があっても金遣いが荒くて手元不如意であったりとかしたら、それ自体は不幸であっても、債権とか、債務とか、抵当とか、そういうことばは苦もなく理解できただろう。

理解できないことを我ながら腹立たしく思うが、理解できない理由が恵まれていたことであれば、それはそれでよかったのだと思う。
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2018年11月18日

机の上が散らかっている

机の上が散らかっている。片付けようとおもって散らかった書類を薄いカバンにいれているが、そのカバンの中身が片付けられずに机に再び広げてしまい、この動きを繰り返す一種の永久機関のようになってしまっている。

この不毛な往復運動を止める手立ては一つ、書類を捨てることであるが、なかなかできない。やってしまえば快感なのだが、そこまでのふんぎりがなかなかつかない。困ったものだ。
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2018年11月17日

フォーレの部屋を更新する

のうち、室内楽関係の各ページを更新しました。
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2018年11月16日

眼科に行く

眼科に行って検査を受けてきた。異常はないようだ。まずはほっとする。
ところで、少し前にある眼科医が書いた本を立ち読みした。内容はいろいろあったが、面白いなと思ったことがある。
それは、言葉遣いに関するものだった。眼科医は眼医者と呼ばれさげすまれているが、そんなことはない、という主旨だった。
私の語感では、眼医者と呼んでもさげすんだ感じとは思わない。眼医者という呼称は患者にとっての身近な存在であり、親しみがもてるものだから来ているのだと思う。むしろ誇らしいと思ってほしい。
〇医者がというのは他には歯医者ぐらいだ。他の標榜科は堅苦しい言い方しかないではないか。内科医、外科医(だいたい「げか」と読むこと自体、能力がいる)、耳鼻科医、整形外科医、耳鼻科医(耳医者とか、鼻医者とか、喉医者とか呼びたくとも呼べない)、皮膚科、などなど。
エスペラントでも、眼科は oftalmologio というおそらくは由緒正しい、そして目を意味する okulo からは導出困難な語彙がある。そんなことを思い出した。
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2018年11月15日

予想が裏切られる

勤務先で仕事をしていたら、結果が予想しない値となった。裏切られた、と思い悩んでしまった。
そういえば、「裏切り」ということばを最近は使っていない。私は、他人を裏切ることを決してしない、よくできた人格者である、ということはない(回りくどい)。むしろ他人から裏切られることが多い人物だ、と自分では思っているが、それは自分の被害妄想だろう。

ところで「裏切り」という言葉は今まで実生活ではめったに使うことはなかった。せいぜい、歌謡曲の中でしか出てこないことばだった。さて、どんな歌謡曲に「裏切り」が出てきたか。クリスタルキングの「大都会」はすぐに思い浮かぶが、私が好きな歌謡曲は大都会ではなかった。
「♪はぐれ鳥帰るとき 空は悲しみ色に」という歌詞だったはずだ、確かこの曲に「裏切り」ということばが入っているはずだ、調べよう、と思い、調べた結果を見て驚いた。この歌詞が入っている曲「陽かげりの街」には、「裏切り」ということばが出ていない。どこで混線したのだろう。

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2018年11月14日

電話帳が消えていく

公衆電話が消えていくことを何度も私は嘆いている。実は公衆電話がなくなるのと同じぐらい、電話帳が消えていくのを嘆いている。最近は公衆電話があるところであっても、電話帳がない。

私はよく、知らない場所で店を探すとき、電話帳を使っていた。たとえば、ある駅の近くで将棋道場がないか知りたいとする。そんなとき、公衆電話を見つけ、その電話機のそばにある電話帳で道場をさがし、住所と電話をメモする。そして、電話はせず、住所を頼りにあたりをうろつくのだ。

電話帳が消えているのは、今はこんな暇なことをする人はいないからだろう。
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2018年11月13日

反発を覚えたコラムを思い出す

私は偉い人の言葉は信じない。違う人間だからだ。もちろん、尊敬する人はいるけれど、その人が言うことを何でも聞き入れるかというとそういうことはない。つまり、その人に心酔するということはまずない。少なくとも、生きている人には心酔しないことにしている。危険だからだ。

ところで、例外的にこの人だったら偉くても親近感がわくかもしれない、と思える人が何人かいる。東レの偉い人だった佐々木常夫さんという方はその一人だ。佐々木さんは「毎日新聞」の朝刊にコラムを寄せていた時期があり、その内容はどれも面白く、かなり共感して読んだ。しかし、一つ、確実に私が反発したコラムがあった。それは「若いときはガムシャラに働け、ワークライフバランスなんか考えるな」という内容だった。私は、若いころがむしゃらに働けなかった。働くことに関してどこか冷めていた。それは、働くことだけでない。勉強することとか、遊ぶこととかも、すべてはほどほどだった。今思えば、若いころはがむしゃらに何かをすべきだったのかもしれない。だが、私の青年期に影響を与えたのは北杜夫とか森毅だった。これらの人からは、怠けものであること、ちゃらんぽらんであることこそが貴いものだということを学んだ(あるいは曲解した)。これではがむしゃらとは合わないわけだ。

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2018年11月12日

無料の本を読む

あるアプリをスマートフォンにインストールした。無料で本が読める機能があるという。喜んだのもつかの間、実は有料本のエッセンスだけだった。それはそうだよな。
で無料の本2冊をスマートフォンで読んでみたけれど、これだったら有料本を買わないな、というレベルだった。どちらも「こうすれば成功する」という本だったが、その手の本は夢を見るだけで十分だ。「失敗を恐れていては成功しない」というけれど、そもそもなぜ成功する人と失敗する人に分かれるかというと、失敗する人は失敗を恐れているからだ。いわゆるマーフィーの法則である。

さらに私の考えはひずんでいく。世の中には成功している人と失敗している人がいるが、なぜ両方いるかというと成功している人は失敗している人の失敗を踏み台にして成功しているからだ。もっといえば、誰かが成功すれば誰かが失敗するはずだ。成功と失敗の総和はいつでも世界規模ではゼロである、と私は信じている。

話が変な方向に進んでしまったが、これからは無料本を読むことはしないという。その代わり、今までお金を出して買った本を読みなおしたり、まだ読んでいない本を読んだりすることに向けようと思う。
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2018年11月11日

料理本をたたえる

私は結婚するときに、かなりの本を処分した。それでも百冊ぐらいの本はもってきて、さらに今でも増えつつある。つれあいには、私がもっている本はただ1冊を除いて無価値であるようだ。例外の1冊とは「ベターホームのひとり分の料理」というハードカバーの小型本だ。なぜこの本を買ったかというと、雑誌「数学セミナー」で紹介されていたからだ。数学セミナーはその名前の通り、数学に関する話題がほとんどである。私は独身時代、最初は賄いつきの寮に住んでいたが30歳で寮を出て一人住まいを始めた。そのころたまたま数学セミナーで数学本の紹介と同時にこの本が紹介されていて「大学生で初めて一人住まいをする人も多いだろう、そのときに栄養が偏らないようにこの本でバランスよく食事をとりなさい」という意味の(おそらく大学の数学の先生による)推薦があった。それを信じて買ったのだが、私の悪い癖である積読がここでも出て、実践となる料理はほとんどしなかった。独り暮らしを4年続けてつれあいと一緒になり、料理が全くできない私はつれあいにこの本を託した。つれあいは「この本はよくできている、あんたが買った最高傑作だ」というのだった。
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2018年11月10日

嫌いなことばに気付く

以前「腹落ち」ということばが嫌いだと書いた。他にも「深堀り」とか「真逆」ということばが嫌いだ。前者は「再検討」ぐらいでよいはずだ(絶対深い検討なんかしていないはずだ)。後者は「正反対」ということばで間に合う。それにしても、なんでこのような特定のことばが嫌いになったのか、わからない。
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2018年11月09日

人生の後半を生きる

勤務先でなんだかわからない仕事をしていると疲れる。息抜きのつもりで何人かの同僚の電子文書のプロファイルを見ると、ある同僚のプロファイルに「〇〇月いっぱいで退職します」と書かれていた。これをきっかけに、会社を辞めるとはどういうことかを考えてみた。

一般的に、会社を辞める人というのは、仕事ができなくなった人か仕事ができる人だ。前者について言葉を足すと、かつては仕事ができていたが現在では会社を辞めざるを得ない状況に追い込まれた人が、「仕事ができなくなった人」という意味だ。こういう人たちには、「新しい仕事で、会社を見返してやれ」という。以上は、人生の後半を迎え会社を辞める元気さえなくなった老人(である私)のことばである。
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2018年11月08日

魚籃観音記を読む

自分ではその気がないのに、うっかりエロに関する本を電車で見てしまうことが最近起きる。その一つは、筒井康隆の文庫本を読んでいるときだ。「夢の検閲官・魚籃観音記」という新潮文庫を夏に買い、買ったすぐのときに読んでいなかった短篇を読もうとしたら、「魚籃観音記」にぶつかった。これは紛れもなくポルノ小説である。電車で臆面もなく読んでいる私ははずかしかったが、それでも面白くて電車を降りるまで読むのをやめられなかった。
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2018年11月07日

ピーターの法則を思い出す

世の中には〇〇の法則と呼ばれているものが多くあるが、私が好きなのはピーターの法則である。ピーターの法則とは、「人はみな無能になるところまで出世する」というものである。つまり、平社員で無能なものは無能にとどまり、有能なものは係長に出世する。無能な係長は無能な係長にとどまり、有能な係長は課長に出世する(以下、この繰り返し)。この帰結として、組織はすべて無能なものだけで階層構造をなしている、ということになる。

しかし、現実はこのようになっていないないと思われる。もちろん、この法則が間違っているからというのも理由の一つだろう。他にも理由があるだろう。まず、有能でありながら上の職位につけずに現在の職位にとどまっていることは多いだろう。つまり、出世にはその職位で有能であることを評価するための時間がかかる。つまり、その職位で有能な社員もいる。実際には成り立たない。さらに、有能でなくとも出世する場合がある。これはディルバートの法則と呼ばれる。つまり、その職位で無能な社員を出世という行為によってその職位に属するメンバーから取り除くということだ。まあ、出世したらその職位にふさわしい有能さを獲得するかどうかは別問題だ。

ある人から共通の知人についてはるか昔こんなことを聞いた。その知人(Aくんとする)は大学に勤めている。その大学組織ではこんな議論があったそうだ「Aくんの言動は危ないから今のままでは何をするかわからない。助教授に昇進させれば当人も自覚して危ない言動はしなくなるだろう。」ちょっとこれは暴論すぎるが、話半分として面白いのでピーターの法則とからめて記した。
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2018年11月06日

スマートフォンを充電する

今月から、毎月6で割り切れる日(6, 12, 18, 24, 30)に、スマートフォンを充電するようにしている。私のようにめったに使わない者でも、なぜだか放電してしまうからだ。どうせなら曜日にすればいいのにとも思うが、あえて曜日とずらすことでボケないようにという思惑もある。
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2018年11月05日

自分が俗物であることを痛感する

私は穏やかな性格だといわれることが多いが、十年に一度ぐらいは爆発する。
爆発するのは、恨みに思う相手があり、その恨みの総量が私の許容量を超えるときだ。
そしてその恨みは一生忘れない。たとえ、その相手が過去によいことをしてくれたとしても、また後になってよいことをしてくれたのがわかってくれたとしても、だ。

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2018年11月04日

ベーコン入りペペロンチーノを食べる

きのうとは違う店で、ベーコン入りペペロンチーノを食べた。昨日の店はコストパフォーマンスが高かったが、今日の店はチェーン店だからか、盛りが少ない。しかし、仕方がない。ダイエットにはこちらのほうがいいということで我慢するしかないだろう。
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2018年11月03日

バジル入りペペロンチーノを食べる

スパゲッティ屋でバジル入りペペロンチーノを食べた。この店は明日が最終営業日だ。いろいろとお世話になった。ありがとうございます。
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2018年11月02日

カレーを食べる

久しぶりにカレーを食べた。辛いけれど落ち着くなあ。カレーを発明した人は偉い。
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2018年11月01日

健康に感謝する

やっと風邪が治ってきたようだ。健康のありがたさを改めて感じた。
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