2014 年 9 月

2014年09月30日

インクをこぼす

ちょっと前のことだが、インクジェットプリンタの黒インクを補充しようとして、うっかりインクの入れ口を間違えてこぼしてしまった。しかもこういうときに限って床にインクをこぼしたときに絨毯まで伝わらないための雑紙をひくべきところを敷いていなかった。これはまずい。つれあいに助けを求めた。

つれあいはぬれたボロキレを持ってきて、「こうやって叩けば毛細管現象で絨毯の毛に染みたインク成分がボロキレに移るから、絨毯は多少はきれいになる」といって示してくれた。「あんた物理やってたんでしょ」という得意のセリフは出なかったが、丹念に何百回となくたたいたので当初の黒ずみはかなり和らいだ。ありがたかった。

ただ、そのあとつれあいは体調を崩してしまった。まさかこれが原因だとは思いたくないが、ほかに思い当たる節がない。
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2014年09月29日

メカジキを食べる

メカジキを食べた。昔は淡白な魚だと思っていた。今でもそう思っているが、最近はその淡白さが好きになった。
エスペラントでは Spadofiŝo (または Spadfiŝo )という。spado とは剣のことで、英語のメカジキを意味する swordfish と同じ考え方である。
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2014年09月28日

練習に行く

八重洲オッターバの練習があったので行った。楽譜が1枚ないことに気付いた。あとで探すかいんさつしないといけないな。
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シューマンに怒る

俺は今、シューマンに対して猛烈に怒っている。なぜ、子供の情景を Kinderscenen としたのか。Kinderszenen が正しいのではないか。森の情景は Waldscenen としたのはなぜか。ただしくは Waldszenen ではないのか。だから俺はシューマンが嫌いなのだ。シューマンに罪はないというなら、シューマンが生きていた当時は szene という綴りではなく scene という綴りがよく使われたという証拠を示してほしい。そうすれば、俺は潔く怒りを収める。
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2014年09月27日

久しぶりの店に行く

土曜日二人とも自由になるのは久しぶりである。昼食は、日曜日には閉店しているCという店で食べた。ここは喫煙可の店であり、私はそれを覚悟していたが、つれあいはひさしぶりに入ったためかすっかり忘れていたという。隣の年輩の男女二人がともに煙草を吸っていたのを見て思い出したそうだ。

喫煙不可がいかにありがたいか、感じた日だった。
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2014年09月26日

講義を受ける

上長に願い出て、外部の講義を受けさせてもらった。講師が情熱的に話していたのは感動した。一方、受講者十数人のうち質問していたのは私ともう一人しかいなかった。ちょっともったいないな。
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2014年09月25日

職場の人たちと飲む

職場の人たちと飲んだ。私が幹事で、中華料理屋を選んだ。私の好きな春巻が食べられて満足だった。また、出てきた餃子も好評だった。あとから来た同僚は、麻婆豆腐が食べられたことに感激していた。ということで無事終えたことに安心している。
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2014年09月24日

ドイツ語を久しぶりに見る

ドイツ語の教科書を久しぶりに見た。der, des, dem, den だけしか覚えていないことがわかった。
俺は屈折した人間だから、ラテン語ほどではないにせよ屈折のあるドイツ語はもっと学んでいてもいいはずだった(同様にロシア語などのスラブ語も)。
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2014年09月23日

練習に行く

ある縁で、オーケストラに入った。午前中はここのオーケストラの3回目の練習があり、そこに行っていた。まだまだ練習が足りないことを改めて感じた。
練習すればうまくなるのだろうが、練習する時間を作ろうとする姿勢が弱い。時間があったら昼寝をしていたい、と思うことからして怠け癖がついている。
これからは性根を入れ替えて、とはいわないが、少しずつ真面目な人間になろうと思う。人間、真面目が一番だ、と尊敬する先輩はおっしゃっていた。
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2014年09月22日

爪を切る

久しぶりに爪を切った。本当は一週間に一度は爪を切るべきなのだろうが、ついさぼってしまう。
もう私も成長するところはないけれど、手足の爪は伸びるし、鼻毛や耳毛も伸びるし、頭髪も薄くなってきているとはいえ伸びているし、ひげもそらなければならない。

この間の3連休はどこにも顔を出す必要がなかったので、無精ひげをずっと生やしていた。3日間も剃らなければ少しはひげが濃くなるだろうと思ったのだが、残念ながらひげの密度は薄いままで、貧相な生え方だった。

よくイスラムやインドの国々の男たちは髭を生やしているが、俺はどうもひげが生えないので南方で生活するのには向いていないようだ。ひげの似合う男になりたいと思ったことは何度かあるが、それというのもひげが薄いことを少しひけめに感じているからだ。

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2014年09月21日

突っ張り棒を交換する

このあいだの火曜日に地震があった。せっかくその前の日に家具固定用の新しいつっぱり棒を買っていたのにつけるのを後回しにしていたからバチがあたったのだろう。
とはいえ、平日は疲れて作業ができない。土曜日を迎えたが平日の疲れが出て昼寝をしたきり動けなかった。そこで今日やっと突っ張り棒を交換できた。

古い突っ張り棒は2本あり、箪笥を固定していたのだがそのうちの1本がまがったように見えたのでこれは交換しなければと思ったのだった。古い突っ張り棒はどちらも簡単にはずれたので、日ごろのメンテナンスがしっかりしていなかったのだろう。新しい突っ張り棒2本に交換して、なんとか固定できた。本当にいいのは、壁にきちんとした固定器具を用意してチェーンやねじで箪笥を固定する方法なのだが、いかんせんコンクリート長屋のため勝手に壁に穴をあけることはできない。

古いつっぱり棒は捨てようと思ったが、別の部屋にある箪笥に取り付けることにした。棒がまがったように見えたのは、どうやら錯覚だったようだ。
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2014年09月20日

うどんを食べる

近くにうどん屋がある。ここのうどん屋は、だしを取ったあとのイリコをから揚げにして、無料で食べさせてくれる。カルシウムを補うのにはちょうどよいと思い、かなりの量のイリコをおかわりして食べる。
カルシウムを取っていればイライラしなくなると聞いたのだが、イライラすることにはかわりがないので少なくともカルシウムとの因果関係はないようだ。せめて、骨粗しょう症の予防になればいいと思っている。
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2014年09月19日

ラテン語の本を買う

ついに気がふれて、ラテン語の本を買ってしまった。松平千秋、国原吉之助共著の「新ラテン文法」である。たぶん死ぬまでに読み切れないだろうが、老後の楽しみにとっておける。それにしても、この版の文字のつぶれかたは本当に年季が入っている。大島義夫の「エスペラント四週間」といい勝負ではないだろうか。
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2014年09月18日

ラティニストはだれかを考える

きのうの続きで、ラティニストについて考えてみた。ラティニストというのは、古代ローマやラテン語をこよなく愛する人、と俺は理解している。
日本を代表するラティニストとは誰だろう、調べてみたいが、よくわからない。
たとえば、水野有庸氏はどうだろうか。氏の主張はシンポジウム「日本におけるラテン語教育の現状と課題」で読むことができる。この内容は激烈である。その中で次の一文は意味深長である「従来は,ヘレニストは輩出しても, 情熱を秘めたラティニストは稀であった. けれども動向はいまや逆転の兆を見せている.」
私は水野氏の翻訳した著書を持っているが、それはプラトンの「ポリティコス」である。ラティニストでも、生活のためにギリシア語の翻訳もしなければならないのだろうか、ふと悲しいことを思った。
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2014年09月17日

屈折を考える

俺は屈折した人間だから、屈折の多いラテン語は向いているのかもしれない。しかし、ラテン語よりは少ないが特に冠詞に屈折が多く刻まれているドイツ語は、残念ながら学生時代の成績は悪かった。ほかがよかったというほどでもないが、不可をとった7科目のうち、2科目が教養時代のドイツ語だった。残りは、教養の英語、専門の数学、専門外のリモートセンシング、専門外の材料力学、専門外の内燃機関学である。
今からラテン語をやれば、屈折した人間が屈折によって再起できるのではないかとはかない希望を持っている。
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2014年09月16日

ラテン語を考える

学生時代は最低限の授業しか受けなかった。だから、第三外国語なんて考えたこともなかった。今、どういうわけか日常の役に全く立たないラテン語の本を読んでいる。なぜかは全くわからないが、きっと現実から逃避したいからに違いない。

今は名詞の格変化を追っているのだが、なぜこんな無意味に名詞の種類があって、無意味に変化するのかがわからない。そんなことを思っていると、帰りに若い男がTシャツを着ていて、そこに vis novae と書いてあった。きっとラテン語だろう。vis は第3変化で「力、暴力」(f)であり、nova は novus (新しい)の活用だろう。novus は第1・第2変化形容詞だから、女性名詞 vis にかかると novae になるのだろう。つまり vis novae は「新しい力」(複数)となる。なお、i が長い音であることを明確にするために、学習用では vīs とつづる。
あれ、vīs は単数主格で、複数主格ではvīrēsではないだろうか。どこか、俺の考えが間違っている気がする。
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2014年09月15日

蛍光灯を買う

寝室の蛍光灯が切れて一か月たつ。実は、シーリングライトを今までの蛍光灯からLEDに変えようとも思ったのだが、蛍光灯を取り換えればまだ使えるのでシーリングライトの取り換えは見送り、32型と40型の蛍光灯のみ買った。ついでに、地震対策用の突っ張り棒も2本買った。

日ごろの安全対策をきちんとしているかというとそうでもなくて、もし災害が発生したらどうしようかと毎日おびえているのが本当のところだ。
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2014年09月14日

いそしぎの意味を知る

いそしぎといえば、映画、とくにミラシドで始まる The Shadow of Your Smile で有名だ。ところで、いそしぎとはどんな意味か、知らなった。調べてみたら磯鴫(イソシギ)、つまり鳥だということがわかった。てっきり、大和言葉とばかり思い込んでいた。

そういえば、ある歌謡曲に出てきたコノハズクという動物が出てきたが、どんな動物かわからない。ミミズクみたいなものだと思い調べたらフクロウだった。ではミミズクは何かというと、耳のように見える羽角があるフクロウのことをいうようだ。
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2014年09月13日

朝寝をする

朝起きて飯を食った後、すぐ寝てしまった。気が付いたら12時を過ぎていた。それから外にうどんを食いに出かけたのだが、損をしてしまった。というのは、そのうどん屋は気前がよくてだしをとったあとのジャコをてんぷらにしたものが取り放題なのだが、そのジャコの天ぷらがほとんど残っていなかった。えげつない俺は、残りかすしかないジャコをバットごと持ち上げて取り皿に流し入れて(それでも取り皿の半分ほど)バットをからにした。自分でも本当に卑しいと思う。
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2014年09月12日

うそと書かれた看板を見る

通りを歩いていたら「うそ」と書いた看板が書かれていた。なぜこんなことばが書かれているのだろう、中条きよしじゃあるまいし、と思ってその看板をのぞき込んだら、看板の手前に別の小さな看板が置いてあってそれが後の看板の下を隠していたのだった。後ろの看板をよく見たら、縦書きで「そば」と「うどん」と書いてあって、上のだけが見えてしまったためにびっくりした、ということに気付いた。

うどんとそばの確執は深い。東日本はそばの文化で、西日本はうどんの文化である。思うに、そばの文化は洗練に向かっていて、うどんの文化は大衆化に向かっているような気がする。昔、俺はそばとうどんのどちらを選ぶか迫られたとき、そばを選んでいたが、最近はうどんを選ぶことが多くなった。特に、広島風お好み焼きでそばかうどんかどちらにするかと聞かれたら、90%はうどんを頼んでいる(ただし広島風お好み焼き屋のそばとは、そばの実のそばではなく、中華そばの麺のことだ)。そばだと味が濃くなってしまう気がする。

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2014年09月11日

9月11日を迎える

9月11日は、アメリカの高層ビルが突撃した飛行機により壊滅した日として覚えていた。最近は、3月11日に日本でおきた東日本大震災からの半年という意味でとらえることが多くなってきた。不時の災害への備えができているか、防災の日の9月1日と合わせて、考えなければならない。
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2014年09月10日

ビザとは何かを調べる

およそ20年前、初めて行った外国はオーストラリアだった。このときはビザ(査証)が必要だった。査証とは、よその国から来る外国人が自国に入るにふさわしいかを判断するための審査のための証拠(の一つ)である。査証をとるためにオーストラリアの領事館に行ってから出勤したことがあったが、午前中では終わらず、午後の仕事に遅れてしまったことを覚えている。

その後、イタリアとフランスに行ったが、そのとき査証は不要だった。査証が必要か不要か調べた覚えすらない。きっとパック旅行だからうまくできていたのだろう。
調べてみると、日本の旅券を持っていれば、ヨーロッパ各国旅行でのビザは不要のようだ。オーストラリアではどうかを調べたら、今でもビザは必要なようだが、電子的な手続きで完結するらしい。時代は変わったものだ。
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2014年09月09日

バカンスをうらやましく思う

バカンスをうらやましく思う。

私がうらやましいと思うのは、欧州のバカンスである。何週間も休めるなんて夢のようだ。パリの人たちは夏にバカンスに行くから夏のパリはすいているという。自分で行動を決めるパリの人たちも、バカンスにはパリを離れるという習慣にとらわれているのではないか、とも思う。しかし、時間があれば住んでいるところを離れて過ごすのはかけがえのない喜びだろう。そういえば、そんなフランス映画があった。

ドイツもバカンスをとるようだ。ある著名なドイツ製品で不具合と思われる箇所がわかり、ドイツ本社に連絡をとったら「バカンスで誰も出ない」ということがあった。日本だったら考えられない。客の都合を考えずに休みを取るなんて、臆病な日本人にはできないのではないか。
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2014年09月08日

おにぎりを食べる

昨日は演奏会でかなりの体力を使ってしまった。それでも今日は勤務先に行き、仕事をした。
昼は食欲がなく、おにぎりを1個だけ食べた。食欲と睡眠欲は持っていたいものだ。
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2014年09月07日

本番を迎える

八重洲室内アンサンブルの本番を迎えた。場所は杉並公会堂の小ホールである。
いろいろなトラブルもあり、お客様にご迷惑をかけたが、演奏は少しはよくなったかなと思う。前半3曲、後半1曲、アンコール1曲の組み合わせだ。

前半は、ヘンデルのラルゴ(オンブラ・マイ・フ)から始まった。この曲は、他の3曲より決まるのが遅かった。ほかの方と相談し、最初に短い曲を入れようということになり、私の提案で入れたものだ。なぜこの曲かというと、一つはト長調だからだ。ヴィオラとチェロはト音のほかニ音やハ音に開放弦があり、よく響く。ヴァイオリンとコントラバスもト音とニ音に開放弦があるから、ヴィオラとチェロほどではないが、響きは似ている。前回も同じようにト長調の小品「アンダンテ・フェスティーヴォ」から始めたのも参考にした。もう一つは、俺が好きな作曲家だからだ。最後に、夏の終わりだから、木陰への憧れを歌ったこの曲はぴったりではないかと思ったからだ。もっともこの日は雨交じりで、木陰が恋しくなるほどの暑さにはならなかったが、それはそれでよかった。
次はヴィヴァルディの調和の霊感(調和の幻想)から第5番イ長調。この調はヴァイオリンが一番鳴る(と個人的には思う)。二人のソリストが活躍した。特に、第2楽章のソロを務めた U さんは素晴らしいできだった。ヴィヴァルディは最近、良さがわかってきた。
前半の最後はモーツァルトのホルン協奏曲第4番変ホ長調。ホルンのソリストの G さんは過去に2度モーツァルトのホルン協奏曲でこの楽団と共演している。今回もナチュラルホルンでのすばらしい演奏を披露された。第1楽章にはカデンツァがあるのだが、なんとその一節がNHKのかつての名番組「新日本紀行」の冒頭だった。私より年かさの男性陣はみな、このユーモアに合点したのだった。
休憩後の後半はドヴォルジャークの弦楽セレナードだった。過去にも当楽団で弾いたことはあったが、まだまだ技術的に足りないところばかりだった。今回もそうであったが、少なくとも過去の自分たちの演奏よりは進歩していると自負している。
アンコールはルロイ・アンダーソンの「春が来た」(原題は The First Day of Spring)。ホルンのソリストにも参加してもらうことができたので(こちらもナチュラルホルン)、最初のホルンの印象的な旋律がより高まった。なお、ルロイ・アンダーソンといえば「シンコペーテッド・クロック」や「トランペット吹きの休日」、「タイプライター」のような際物を思い浮かべる人が多いだろうが、この曲は非常に落ち着いた、春の風景が広がるような清々しさを描いている。

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2014年09月06日

練習に行く

明日は八重洲室内アンサンブルの本番である。今日はそれに備えての練習である。一通りさらって、早めに切り上げた。あしたが本番だというのに飲み会がある。私は正直に付き合ってしまう。だから疲れるのだな。
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2014年09月05日

疲れがたまる

実はきのうは会社を休んで病院に行っていた。本当はもう少し後でもよかったのだが、翌週は一日休むことにしている。そして翌々週とその次の週はどちらも祝日があり、一週間が4日間しかない。そこで最初の週に休むことにしたのだ。つまり、私は9月は最初の4週が週4日勤務である。

どうも最近疲れがたまっているようだ。健康な状態というのがいかにありがたいことかがよくわかる。そのくせ、いわゆる健康ドリンクは飲みたくない。自然の力で健康になりたいと思っている。
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2014年09月04日

定年後を考える

私は家事が全くできない。家事といえば炊事、洗濯、掃除であるが、どれもできない。何度か食事作りに挑戦したことがあるが、つれあいの指導がないと何もできず、結局つれあいが指導に疲れてやめてしまった。食事の後片付けについても同様である。洗濯も干したものをたたむことさえできない。掃除は苦手ですぐ散らかしてしまう。

定年後はこのままでいいわけがない。少なくとも炊事については一通りできるようにしておかないと安心した老後が迎えられなくなる。つまり、食事を作ることと、食べたものを洗ってきれいにすることはできないとぬれ落ち葉扱いされてしまうだろう。定年を迎えることに抵抗はないのだが、問題は第二の人生で炊事がうまくできるどうかだ。これが心配の種だ。
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2014年09月03日

危ない運転を見る

数日前だが、危ない運転を見た。交差点に進入してくる車の運転手が、両手をハンドルから話して、つけていたネクタイをとりながら運転していた。ああ、こわい。
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2014年09月02日

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番のカデンツァを調べる

モーツァルトやベートーヴェンのピアノ協奏曲のカデンツァは、有名な作曲家が書いていることが知られている。フォーレも、モーツァルトの第24番ハ短調やベートーヴェンの第3番ハ短調のカデンツァを残している。私はベートーヴェンが苦手なのだが、このフォーレのカデンツァを弾きたいためだけにベートーヴェンを練習してみるのもいいかもしれない。
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2014年09月01日

うっかり違う道を通る

最近勤務先に行く道は、遠回りをしている。近道は、一か月前に嫌な事件があったので遠ざけている。ところがうっかり、その近道を自分の脚が勝手に選んで歩いていた。これには驚いた。困ったことだ。
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