2000年9月


2000-09-01

特になし。

2000-09-30

対等

これまたある掲示板のどこだかにあったこと。新試験制度になったら受験科目も一新されることだし、 たとえ今回の2次試験に受かってもずっと勉強しよう、こう言っている受験生がいた。 これに対する既取得者で、資格を取ってしまえば受験生に教えるということで勉強ができるのです、 と励ましている人がいた。これは確かに激励なのだけど、私はここに危険なにおいをかぐ。 それは「受験生は教わる側、診断士は教える側」という固定観念が双方にあるのではないか、 という疑念だ。 前にも幾度か、「受かれば極楽、落ちると地獄」ということを皆が思っているのではないか、 と書いた。私とて、診断士の資格を取得している方々に相応の敬意を払うのはやぶさかではない。 ただ、よい意味での対等さ、中小企業対策流にいえば、「相互扶助の精神」、「イコールフッティング」 の考えが感じられないのが残念である。 なお、私がオリンピックなどの勝者・敗者の決まる競争から感じることは、 次の一語に集約される。将棋プロの塚田正夫名誉十段のことばである。 「勝つことはえらいことだ」


2000-09-29

数え方

日経産業新聞を見ていたら、「東京一号中小企業投資育成」という名前の会社があった。 中小企業投資育成株式会社のうちの一つだろう。この株式会社は私は施策の上でしか見なかったが、 このように実在するものだとわかった。

さて感心したのは、一号という命名である。一号、二号という数え方をする対象に 久々に出会った。私が知っている例では、農林一号、南極二号、赤色五号、ストロングマシン6号、 鉄人 28 号しかない(ストロングマシン6号は私の先輩の自称であり、洒落である)。 そういえば、悪魔ちゃん命名騒動のときに、 マスコミが妙な名前をこぞって煽り立てたことがあった。その中に、○○一号、○○二号というなまえが あったと知人が教えてくれたっけ。

次はどこかで書いたような気がする。中小企業対策を勉強していて気になるのが施策の単位である。 ある掲示板を見ていると、「はい、あと一本、中小企業投資育成株式会社!」という、 暗記を激励している御仁がいる。この御仁は既に中小企業診断士をとっている人だから、 いわゆるコーチですな。こんな暗記命の精神主義がまかり通るとはいやな世の中だが、 その受ける印象がいやに明るくみえることに気が付いた。 そう、スポーツで、「はい、あと走り込み3本」とコーチが選手に声を掛ける、あのノリなのだ。 では、なぜこういうスポーツの練習の一単位を本で数えるのだろうか。 柔道などの「一本」から来ているのだろうか。新解さんに聞いてみたい。

2000-09-23

200 字

模擬試験を受けた結果が帰ってきた。結果は平均 60 点。中小企業対策が低く、39 点であった。これでは 足切りに堂々とひっかかってしまう。暗記が苦手で、しかも作文能力に劣るという従来からの弱点を露呈してしまったことになる。

電車の中で60 少し前と思われる初老の方が、一生懸命中小企業白書を読んでいるのを見た。こういう方を私は応援している。 この方が中小企業診断士を受けるのかどうかは定かでない。でも、そんなことはどうでもいい。 そこらの若造が金と時間にあかせて受験機関で要領よく学んだ結果、形だけの中小企業診断士を入手してひけらかす、 そんなことよりよっぽど好ましいことではないか。

2000-09-13
ばかばかしいこと

その願書のことだが、生年月日を書くところを不思議に思った。元号の選択肢が大正と昭和しかない。 せっかく老人が元気な時代だというのに、見捨ててしまうのだろうか。それから意欲と才能のある青年を育てるのに 平成生まれの若人(=ガキ)を拾い上げないのだろうか。

2000-09-11

願書を出す

9 月の始め、願書を中小企業診断協会まで取りにいった。ここまではよかったが、勢い余って 姓のみ記すべき欄に姓と名を一緒にボールペンで書いてしまった。今さら消すのもおかしいかな、 と思ったら、2日後わざわざ中小企業診断協会から願書が送られてきた。これで新たに書き直せばいいと思った あとで、これは一年遅れてきた不合格通知だと思うとむらむらと腹が立ってきた。 去年受かりやがった某氏や某々氏の得意絶頂たる顔を思い出し、欄を埋めていった。 願書は今日早速出してきた。また、試験の費用も郵便局で振り込んできた。13000 円に手数料 120円が付加される。

2000-09-07

中小企業対策

ある施策を覚えるべく、つれあいに私の施策帳を渡し、これから俺がいうことがあたっているか調べてくれと頼んだ。 あるところで分からなくなった。ヒントは、と問うと、「ほら、半導体がまとまっているような」、 「そうだ、集積だ」私が集積で連想したのは「ゴミ集積所」であった。

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MARUYAMA Satosi