日記(1996年1月)

作成日 : 2008-04-13
最終更新日 :

1996年3月29日

私が学生時代所属していた K 先生の研究室の OB 会が某所にて開催された。 K 先生をはじめ、私の先輩や私の後輩がわんさか来てにぎやかだった。ただ、一緒に実験をした同僚が来られなかったのが残念だった。

A 先輩からは「おおそうか、俺が作ったポテンショメータを使った装置で実験しているたんだな。たいしたものだ」と激励されたが、 これは「お前らは装置も何も作らんでどうしたんだ」という意味にもとれたのでちょっとしょげた。

某後輩からの告白は衝撃だった。その後輩は実験で致命的な失敗をしてしまった、ということまではうわさで聞いていた。 その後輩は失敗に悩んでいたが研究は続けたいと考えていたので K 先生に相談した。K 先生は、心機一転やり直すのがいいだろうから、 学科持ち上がりの大学院には行かずに、別の専攻の大学院に進んだらいいのでは、と回答をくださったという。 後輩はその通り別の学科に行った。

注1:某後輩について、当時はその学科か別の学科でアカデミックポストに就職できていたのではなかったか。 その後調べたら某有名大学の教授に若くして就任していた。よほどの努力があったのだろうと推察する。

注2:懇親会(1次会)の後、誘われるがままに2次会に行ったが、 そのあとのことは全く覚えておらず、気付いてみたら全く見知らぬ部屋で寝ていた。 どうやら、見かねた後輩が自分の住まいに連れて行ってくれたらしい。 ちなみに、後輩のパートナーは私の学科時代の同級生であった。 はずかしくてどのようにして帰ったか覚えていない。
後日談として、その数か月後だったか(数年後かもしれない)、この後輩(かパートナー)から封筒が届いた。 中身を空けたらそのとき紛失した手帳だった。「部屋を整理したら出てきました」との文が添えられていてますます恥ずかしかった。

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MARUYAMA Satosi