日記(1990年7月)

作成日: 2008-04-29
最終更新日 :

便宜上表題を入れた日があります。

7月1日

仁戸名の厚生年金プールへいく.30分ほど泳いだだけですぐ帰る.帰りは鎌取まで30分歩いたので, これで疲れてしまった.

7月7日

七夕である.八重洲アンサンブルのあと, 学生時代の語学のクラス会に出かける.まだ大抵の顔を覚えていた.出席者は同伴者を含めて25人くらいであった. 結構新日鉄へいった人が多く,驚いた.

情報処理技術者試験に合格する

7月8日

どこにも行かない.昨日の帰りは12時過ぎになっていて,書留が届いているとのことであった.ひょっとしたら, これは情報処理の試験に合格したのかも知れないと期待していた.今日の9時ごろ取りに行ったら案の定そうだった.

注:情報処理の試験とは、おそらく第1種情報処理技術者(当時)を指すと思われる。

7月10日

Kさんを送る会.千葉ニューパークホテル. トイレのそばに,調律のいい加減なピアノがおいてあった. 平均率第2巻のハ長調の前奏曲を弾いていると,自分が酔っ払ったのがよくわかった. Uさんが来たので,赤いスイートピーを弾いてみたが,なんかいまいちだなあ,ということであった. 怒って革命のエチュードを弾きだしたら,これまた指が回らず,Uさんはあきれて帰ってしまった. 二次会以降は行かずに,最寄駅に戻った.

注:Kさんは、所属の部長。Uさんは同僚。7/5 のUさんと同一人物。

7月14日

昼過ぎ,Kさんから電話があり,U君と夜合う予定だから,一緒にどうか,との誘いが来た.無論断る理由もない. 夜9時に小竹向原の埼玉寄り出口で待ちあわせる約束をする.

八重洲の練習のあと,書泉グランデへ行って,「ライフゲームの宇宙」そのほかを買う. 夜8時までは喫茶店で時間を潰した.一人で喫茶店にはいって時間を潰した,ということは生まれて初めてではないかと思う. 神保町から半蔵門線に乗って,永田町で乗り換えたところ,有楽町線のホームにちょうどKさんが待っていた.よもやま話をする. 小竹向原についたのは9時10分前.電話で呼び出したところ,U君は9時5分に来た. 夕飯のあと,軽くビールで祝杯を上げる.3人で缶ビール3本と大びん4本であるから,かわいいものである.3時ごろまで起きている.

注:Kさん、U君は、ともに学生時代のサークルの友人。

7月15日

U君宅を12時過ぎにでて,ジョナサンで昼飯をとる. そのあと俺は二人と別れて八重洲の練習場に向かう. 夜は久しぶりに飲み会となる(王将).風呂に入ったあと,体重を計ってみると**.7kgもある.食を控えないといけない.

グループで5ヶ年計画を話し合う

7月20日

所属しているグループで、5ヶ年計画を話し合った。

註釈:そのときの資料には既に、 CO2問題という単語があった。 (2008-04-29)

7月21日

注:この日は東京を出て岡山に向かっている。おそらく勤務先の用事が岡山にあったものと思われるが、 今となっては覚えていない。

香川で旧友に会う

7月22日

岡山を9時ごろ出て,快速列車で高松に向かう.11時10分ごろJが来た.彼も赤いポロシャツを来ていたので,罰が悪かった. これでは兄弟みたいで困ったな,と彼も言っていた.事実彼は程なくしてきがえた. 電話で聞いていたが,今年香川医科大に入ったという,高校同窓のS君には会えなかった. おそらく帰省したのではないかということだった. ケンタッキーで飯を食って2人でどうしようかということになり, 彼がわざわざ海水パンツを用意してくれたので,泳ぎに行くことにする. これは願ってもないことであった.俺がどんなに海水浴に打ち込んでいたかを話して聞かせると, 彼は,珍しい奴だなと笑い,それでもよかったといって笑うのであった.

まず最初に,近くの海水浴場である船隠(?)というところで泳いだ. ここは藻が少し浮いている以外はきれいな海であったが, いかんせん,モーターボートがうようよいて,ガソリンの臭いは臭いし, Jは水上スキーのロープに絡まれそうになるしで,ほうほうの体で退散した. 彼がいうには,去年の冬まではモーターボートというものはなく,ゆうゆう鰈が釣れたそうである.

つぎに行ったのは大串という温泉場であるが,温泉の前に海の入り直し, ということでこの温泉の近くの海に入った. 最初に降りたところが至るところ藻だらけで, とても泳げそうにない.どおりで人影もない. 近くに漁港が見えたので,その向こう側はいいかもしれない, ということで5分ほど歩いたところは少し海水浴の客がいた. ここには藻は全くなく,少し先にでると全くゴミもなく,非常にいい気分で泳ぐことができた. 波も内海なので全くない.このようなところには始めて出会ったので,やたらとほめちぎった.

そしておめあての温泉場で海の汚れを落とした. ほとんど銭湯のような温泉である.入湯量は500円. ラドン温泉というのがあるので入ってみたが, くさいばかりで効き目があるかどうかわからず,すぐに出た. ここで体重をはかるとなんと**.6kg.大分海で泳いだせいだろうか,これほど減るものとは思っていなかった. 彼の方は**kg位で平常のようだから,体重計が狂っている,ということはないそうである.

それから温泉のとなりにある休憩室で飲みものを頼み,宮沢賢治の話,「たま」の話などをする.彼はメジャーになる前はファンだったそうだ.

最後に,高松で刺身のおいしいところに以降ということで,途中渋滞に巻き込まれたりはしたものの,本州のそれに比べればたいしたことはなく, 6時前になんとかという店について,ほとんど刺身ばかりを頼む. 酒を飲んでいたのでどんな話をしたか忘れてしまったが,とにかく楽しい話であった.おそらくは結婚の話がかなりのところを占めていたような気がする.

高松駅に着いたのが午後7時ごろ.実は新幹線に連絡するマリンライナーはすでに出ていたようだった. 輪をかけてまずかったのは,コインロッカーの鍵をどうやら J の車の中に置き忘れてしまったことだ. 始末代1100円は溝に捨てたようなものだからいいのだが,ひょっとしてこんなことで時間を取られなかったら最終の新幹線に間に合ったかもしれなかった. 仕方なく岡山で一昨日泊まったビジネスホテルにもう一度世話になることにする.

注:J は高校時代の同級生。呼び捨てにしているのは、心を許せる数少ない人物だからだ。 S君も同じ香川医科大か、四国のどこかにいるようだ。

7月23日

岡山を9時に出る.新大阪でいったん降りて,新横浜に止まる列車に乗り換えた.乗り換えた列車は混んでいたが, なんとか座ることはできた.新横浜から横浜線で東神奈川へ,さらに鶴見で乗り換え,目的の駅,弁天橋に着いたのは14時10分であった. 幸い,NDI1分科会はまだ終わらずに続けられていた. 見学は16時ころ終り,帰途に着く.重い荷物を持ち続けて大分疲れた.

注:ND1分科会とは、当時の勤務先の同業者が集まる、非破壊検査(Non-Destructive Inspection) に関する勉強会。ND1 はX線を始めとする粒子線が中心。

7月24日

夕飯を食って風呂にはいる.体重は**.6kgで,香川の大串温泉ではかったときと同じである.まだ水泳の効果が利いているようだ.

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MARUYAMA Satosi