日記(1990年6月)

作成日: 2009-09-23
最終更新日 :

便宜上表題を入れた日があります。

1990-06-02

八重洲に出かける. 午後は練習をするが,珍しく私が相模原の実家に帰ることにしたので,電車の中ではなしあう.

チェロを習ったほうがいいという話であるが,どうせ私は暗いのだから,そんな話に乗るまいと心の中では思う.

実家に帰ることにしたのは,家にアマチュア無線の免許があるからで,Yさんたちがコールサインを取るのでお前もどうか,と誘われたからである. やはり家のたんすの中にあってほっとした.

その日はユリイカの臨時増刊”日本語”をよむ.

注:チェロを習ったほうがいい、と私に諭した人は不明。 Yさんは職場の同僚。

1990-06-03

今日は家にあるいくつかの本と肝心の免許をもって自室に戻る.

腕時計を忘れてきてしまったが,当分戻る予定はないので, 大学入学祝いにもらった時計の革バンドを新しく買おうと思い千葉に出るが,肝心のバンドは買わず,カセットテープと本を買うに留まった. ちなみに買った本は,荒俣宏の何とか言う本,河本喜介のフォーレとその歌曲,大井玄の終末期医療,の3冊だ.

1990-06-07

木曜日はIさん(職場の上司)と地下のロッカーで喧嘩する.その後ビールすら飲まなかったのは我ながら偉いと思う.

1990-06-09

土曜日はY研輪講のための資料を作りに会社へ行く.ただし何もせず.

注:Y研輪講とは、ある大学のY先生研究室の輪講のこと。職場では交替してここの輪講に出席することが通例となっていた。

90.06.11

さすがに昨日は焦って会社に行き,なんとか仕上げた.それにしても今日はどうなるのだろうな.会社には年休を取っている. まあどうにかなったのだが,どうにかなった以上に興味を引いていないようであった.仕方ない.

90.06.16

今日,土曜日は八重洲の日である.久しぶりに髪を洗う. またこの機械用の新しいオペレーティングシステムが来る.これはマルチファインダーが使える予定になっているのだが,本当はどうかわからない.

注:この機械とは、Macintosh SEを指す。当時は 漢字 Talk 2.0 で、これがマルチファインダーが使える 漢字Talk6.* になることを指す。

90.06.17(日曜日)

ダイエーに行き,ベルトその他を買う.T1氏を見かけるが,声はかけなかった.

新人歓迎会に出る

90.06.22(金曜日)

金曜日は所属の新人歓迎会が京成ホテルであった. 会が終わって私はさっとかけ降りて, あとで来る人たちを待っていたのだが誰も来なかった(ように見えた).なぜだろう.本千葉まで歩き,それから電車で帰った.

90.06.23

今日は土曜日である. マルチファインダーは使えるようだ. 午後は八重洲アンサンブルに出かける.チェロのIさんという方が様子を見るということで入ってきた.さっそく海賊へ飲みに連れていく.

90.06.24

今日、日曜日はどこにも出かけずに,このコンピューターと付きっきりで修正Marquadt法の開発をする.なんとか形にはなった.

風呂上がりにMさんの部屋に出かけ,八重洲アンサンブルのピアノを弾いてくれないかと頼む. 「前向きに考えておきましょう」ということではあった.ビールの代わりに牛乳を1リットルほど飲む.したがって今日はノンアルコールの日であった.

90.06.28(木曜日)

フォーレの2番のチェロソナタを勤務先のピアノのある場所で練習した.1時間ほどで疲れた.Mさんがやってきて,ピアノは引受ました,とのこと.

90.06.29(金曜日)

特許を熱心に書いた.久しぶりに帰宅が7時過ぎになった.

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MARUYAMA Satosi