終わりに代えて:偽作説を追う

作成日:2003-12-05
最終更新日:

偽作説の概要

ドメニコ・スカルラッティのソナタとして認められているのは、 公式にはカークパトリックが作品番号をつけた555曲ということになっている。 これに対して、苑江光子と菅原明朗は、著書「Dスカルラッティ」で、 次の疑問を呈している。

「彼のほとんど全部の作品(鍵盤楽器曲)が生前に出版されたと書いたが, いったい作者自身がちゃんと選曲して,版の完成までその仕事に関与したのは幾つ位あったろうか。」

著者らは次の見解である。

そして、私が感心したのは次の個所である。

Rubens(1577-1640)に揮毫を頼んだ人への彼の返事に,こんな手紙が残っている。 「ただ今私の工房に御注文の絵を描ける画工がおりませんのでお引受けいたし兼ねます」 という文句である。(中略)作品はその作家ただ一人の手だけで作るべきものと決めてかかるのは, 19世紀後半後の作家第一主義から出た考え方である。」

今のことばでいえば、当時はルーベンスブランド、スカルラッティブランドというもので、 仕事をしていたのだろう。

芸術と真偽

芸術となるとその真偽が問題になるのは世の常である。 ここでは、少し変わった芸術と真偽の関係について紹介する。

詰将棋という頭脳パズルがある。指将棋(勝負将棋)のルールをなぞっているが、 パズルとしての広さと深さを獲得している。その詰将棋について、 江戸時代に多くの名作が残されている。 筆頭が、伊藤看寿が1755年に著したとされる『将棋図巧』(全100番)である。 この聖典視される作品集に対して、現代詰将棋界の第一人者である上田吉一氏が衝撃的な意見を述べた。 「『図巧』は合作集である」また「ひどい作品が混じっている」とも述べている。そして、 「各作品を盤に並べて、その作り方や感触を味わってみれば、 私の結論がわかってもらえると思う。」といっている。 なぜ複数作者なのか。この理由について上田氏は「おそらく門下生は、自作が看寿の名で残るならば、 それでよしと、思ったのではないか。」と書いている。

もし、先の苑江・菅原説が本当であれば、この上田説の『将棋図巧』はスカルラッティの作品群とよく似ているではないか。

私の見解

スカルラッティの偽作説というのは、現在の世界的なスカルラッティ研究で学術的にどう扱われているのか私にはわからない。 私からは何ともいえないのだが、あえていえば今あるソナタを楽しもうではないか、というとらえ方だ。 たとえば、アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳に書かれたト長調のメヌエットはバッハ作ではなく実はクリスティアン・ペツォールト作であっても、 バッハのフルートソナタが偽作の疑いが高いとされても、ヴィヴァルディの「忠実な羊飼い」は、ニコラ・シェドヴィルによるものだということがわかっても、 それらの作品が好きである。(2012-07-15)

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MARUYAMA Satosi