電車について

作成日: 2002-01-18
最終更新日:

なぜ電車が好きか

電車が好きな強い理由は思いつかない。 自動車が憎くなったからその反動が電車に向かったからかもしれないし、 電車が走るあの独特のリズム感が私を誘惑したのかもしれない。 ここでいう電車には、電気を使わないディーゼル車も含んでいる。また、 路面電車も含む。 すなわち、鉄道を走る車が好きだ。

つれあいに尋ねると、広島で電車といえば路面電車のことを指すそうである。

廃線を尋ねる

宮脇俊三さんはおろか、全国にゴマンといる鉄ちゃんの足下にも及ばないけれど、 少しだけ廃線は見てきたし、既に廃線となった路線に乗ったこともある。

今まで廃線を見たなかで覚えているのは、出雲市駅から出ていた大社線と、 志布志駅から分かれている2本の路線(志布志線と大隅線)であった。

今となっては廃線になった路線で、 私が乗った当時現役だったのは、倉吉から出ていた倉吉線だけであった。 終点の山守駅近辺で覚えているのは、見知らぬおばあさんから「こんにちは」と挨拶されたこと、 柿がなっているのでもいで食べたら渋かったこと(ごめんなさい)、 駅で汽車を待つ人たちの会話がロシア語に聞こえたこと、 関金駅から山守駅の間の木々がすごく濃く、長く感じたことである。

広島の可部線のうち、可部から三段峡の区間が廃線になるとの噂がある (後記 既に廃線になってしまった)。 乗るなら今のうちだろうが、ちょっと遠い。 (後記 2003年の夏、つれあいの実家を訪れたその足で、乗ってきた)。

さらにまた後記。ほかに現在廃線になったもので乗った線は、 栗原電鉄(のち、くりはら田園鉄道線)がある。 また、高千穂線(のち、高千穂鉄道)も乗ったことがある。 ここは一部廃線、一部休止であったが、ついに全線廃止となったようだ。

なぜ東武が嫌いになったか

2002年4月3日、多少酔った帰りのこと、 合唱の練習をした場所から近い営団地下鉄のK駅でA駅までの160円切符を買い、 最寄りの東武鉄道のG駅に着いた。私はA駅からG駅までの定期券を持っているので、 2枚投入の改札機に近付き、切符と定期券を入れた。 改札機の扉は開き素直に通過した。その後、定期券を取り忘れたことに気付き、 慌てて改札を見ると、定期が出ていた。取ろうと思って改札機に戻って近付いたところ、 あろうことか定期券は改札機に吸収されてしまっていた。 駅員に定期券を返してくれと頼みに行くと、駅員が調べていうには、 「そのような切符や定期券が入った記録がありません。」なんということだ。 4次元に切符と定期券が吸い込まれたのか。そんなばかな。 結局定期は出てこない。

列車を惜しむ

私が乗ってきた列車が、ダイヤ改正でなくなった。寂しいが、これも世の流れとして受け止めよう。 といっても、これから挙げる列車が引退した時期はまちまちである。時期の特定は他のWEBページを見られたい。 ちなみに私はそんなに「乗り鉄」ではない。(以下は 2010-03-13 記載)

特急「北陸」

私が乗った、唯一のブルートレインである。1990年より少し前だと思う。 私が学生時代、卒業研究を一緒に行った相棒から、結婚するという知らせを受けた。 場所は富山県の高岡市という。どうやって行こうか考えて、寝台車がある「北陸」にしようと決めた。 寝台車のベッドは覚悟したよりは広かったが、くつろげるほどではなかった。 入善駅あたりでぼんやりと外を眺めた記憶がある。

夜行だから朝は早く着く。高岡駅から氷見線の始発に乗り、氷見駅でぶらぶらした。 そのあと高岡駅に戻り、路面電車に乗って(ひょっとして歩いたかもしれない)式場に到着した。

式は厳かな中にも和気藹々とした雰囲気で進められた。列席者の中には私の恩師もいらっしゃり、 新郎を称えるスピーチをしていた。俺も何かしゃべったような気がするが、覚えていない。

披露宴が終わり、恩師とともに高岡駅に向かった。恩師は、長岡経由で新幹線で帰るとのことだった。 まだ北越急行ほくほく線がない時代であった。 私はしばらく高岡に残り、夜行の「能登」で東京に戻った。

ところで、今考えてみると、寝台車があったのは「北陸」だけでなく、「能登」にもあった。 どちらに乗ったのか、実ははっきり思い出せない。ブルートレインである「北陸」に乗ったことにしよう。

能登

北陸ワイド周遊券で何度も使った夜行急行であった。石川県の金沢に行ったり、珠洲に行ったりしたのはこの急行だった。 金沢の二つの川の佇まいとこの急行は今でもたまに思い出す。残念ながら、碓氷峠経由でなくなったあとのは乗っていない。

津軽

東北ワイド周遊券でお世話になった夜行急行。八甲田より遠回りで、本当に時間がかかった。

八甲田

こちらもよく使った夜行急行。東北ワイド周遊券や、道南ワイド周遊券で使った。

妙高

信州ワイド周遊券とともに活用した夜行急行。信州ワイドは、長野県のほとんどに加えて、山梨県の小淵沢や清里(小海線)、 新潟県の妙高高原(信越本線)まで使えて、本当にお得だった。

アルプス

こちらも信州ワイド周遊券で活用した。また、ルート周遊券があったころ、立山・黒部アルペンルートの行きにも使った。 この場合は、信濃大町駅で降りる。

日南

九州ワイド周遊券を使い、ホテル代わりに使った。たまたま隣に座った人懐こいお兄さんから話しかけられた覚えがある。 日南のときは、門司港駅から乗った。門司港駅の玄関の落ち着き方は気品がある。

かいもん

同じく九州ワイド周遊券で、ホテル代わりに使った。ちなみに、東京から九州に渡るとき、あるいはその逆は、 ほとんどは大垣夜行と鈍行列車の組み合わせだった。大垣夜行を使わず、朝一番の東京発東海道本線に乗って行ったこともあるが、 門司駅での「かいもん」か「日南」に到達するのはぎりぎりだったような覚えがある。

これら「日南」と「かいもん」を思い出す過程で、WEB で両者を調べていると、 急行列車日南は日南駅を通らないし、急行列車かいもんは開聞駅を通らない、 ということがわかり、愉快だった。

山陰

山陰の周遊券を使って鳥取や島根を旅行しようと考えていた。そのときのったがこれ。 夜行の鈍行(急行ですらない)、寝台列車がある(もちろん普通列車もある)、 路線名そのものがついている、など諸々の意味で驚きの列車。 私は京都から出雲市まで乗ったが、それより西に行けなかったのが残念だった。 なお、乗ったのは私が20歳前後のころと思われる。

白兎

上記「山陰」と同時期に乗った。急行の「白兎」である。乗り遅れそうになったので急いで走っていき、 車掌に助けられてかろうじて間に合ったことだけを覚えている。

大垣夜行

周遊券や青春18切符で東京から西に行くときに使ったのがこれ。ほとんど唯一の手段だった。 いろいろな友達とのったが、いつも混んでいた。 「ムーンライトながら」の名称になってからは乗っていない。 「ムーンライトえちご」は乗っている。ただし、えちごの名前がまだ付いていない「ムーンライト」の時代だったかもしれない。

急行「東海」

東京から西に行くのはほとんどが大垣夜行だったが、周遊券で急行が使えるときには稀に「東海」を使った。 その後廃止されたのは時代の流れとして淡々と受け止めたが、さらにその後特急として復活したのは驚きだった。 今、特急の「東海」も廃止されたことを知った。


列車の旅:秩父鉄道に乗る

2010 年、埼玉県の旧両神村(現 小鹿野町)をバスで旅行した。 宿泊先まではバスを使ったが、そのバスの発着所は秩父鉄道の駅だった。 秩父鉄道の旅を再現する。

羽生で飯を食べる

秩父鉄道は埼玉を東西に結ぶ私鉄路線で、 東は羽生(はにゅう)から西は三峰口まで、およそ 70 km にわたる。 この秩父鉄道は、遅いし高いといわれている。 確かに、羽生から三峰口までは鈍行で 2 時間、料金は 1020 円である。 しかし、だからこそ埼玉県民である私たちが乗るべき鉄道でもある。 以前、熊谷から越谷まで帰るときに秩父鉄道を使ったことはあるが、 全線乗るのは初めてである。楽しみと怖さの入り混じった感情が沸いてくる。

さて、2010 年 11 月 21 日が記念すべき全線踏破の日である。 まず、羽生まで東武伊勢崎線で行き、羽生駅で腹ごしらえをすることにした。 最初目指していた料理店は貸切のため使えず、 駅近くにあった「カフェ タイム」という喫茶店で昼ごはんをたべた。 この日のサービスランチは牛丼であった。780 円で、サラダ、スープ、コーヒーがついている。 そのほかにも、ハンバーグ、スパゲッティ、ピラフ、カレー、ハヤシライスなどが 単品 680 円、セットが 880 円ないし 900 円と設定されている。 たまたまこの日のセットの割引対象が牛丼だったということだろう。 ちなみに、サービスランチでなければ牛丼のセットは 900 円だった

まず、サラダとスープが出てきた。サラダには小さなフォークがついてきた。 普通は箸で食べればよいのだが、なぜフォークが付いてきたのだろうか。

そのごすぐに、牛丼が出てきた。レンゲがついている。ラーメンでもないのになぜレンゲが付くのか。 その疑問はレンゲで牛丼を食べながらわかった。つゆだくだからだ。 つゆをすくうにはレンゲがよい、ということなのだな。

コーヒーを口直しですすった。量はあるが少し薄かった。 テーブルごとに置いてある調味料には白砂糖のほかにザラメもある。気をつけるとよい。

日当たりがよい。暑いぐらいだった。

コーヒーチケットを販売している。11 枚で 3500 円である。 ということは、きっとコーヒー一杯が 350 円なのだろう。 面白いことに、使いかけのコーヒーチケットが並んでぶらさがっていた。 この風景を見て、なんとなく名古屋の喫茶店を思い浮かべてしまう。

壁には、洋服のレーベルが並べられている。SHIPS、takaQ、NewYorker、VAN、その他もろもろあった。 きっとマスターは若かりしころアイビーの洗礼を浴びたのではないか。

と思うと、カウンターには徳用マッチがさりげなく置かれていた。

羽生から三峰口まで

当初は、羽生発 13:02 の電車に乗り込むことを考えていたが、 ひょっとしたら一つ前の 12:45 の電車に乗れるのではないかと期待していた。 しかし、いろいろあって結局乗ったのは予定通りの 13:02 の電車だった。 3 両編成の電車は閑散としていた。

秩父鉄道は、全線ほぼ荒川に沿っている。 行田(ぎょうだ)から熊谷(くまがや)近辺は、荒川の堤防を進行方向左側に見ながら進む。 行田で知っているのは、ゼリーフライ、ものつくり大学、さきたま古墳群、 女流棋士矢内理絵子の出身地、以上に尽きる。

熊谷は都会である。なんといっても日本最高気温記録保持都市であることが偉い。 越谷は 40.4 ℃がやっとだったが、 熊谷は 40.9 ℃に到達したのだ。

さて、熊谷を過ぎるといろいろな地名がある。 まず、寄居がある。友人がここの出身で、いつかは来ないといけない、と思っていた。 なんといっても秩父鉄道のほかにも八高線と東武東上線がある、ターミナル駅である。 そして少しして「長瀞」に到達する。 長瀞(ながとろ)は景勝地である。本来、とろの字は「シ靜」のように表示されるはずだが、 私の環境では残念ながらそのようには表示されない。 長瀞はライン下りで有名である。埼玉県人なら一度は体験しておきたい。

この長瀞駅で多くの年配者が乗り込んできた。きっとハイキング大会でもあったのだろう。

ところどころすれ違う貨物列車があり、石灰石を積んでいる。 一つの貨車に山が3箇所きれいに並んでいるのが面白い。 石灰石は製鉄の原料である。 昔は私は鉄の会社に勤めていて、鉄の原料は鉄鉱石、コークス、石灰石、そして空気(酸素)と習った。 石灰石は鉄だけでなく、セメントなど多くの材料の原料となる。 この石灰石はどこに行くのだろうか。

電車が西に向かうにつれ、荒川沿いの紅葉がだんだん濃くなってきたように感じる。 また、秩父の山並みも濃くなり、遠近に応じた二層や三層の山影がはっきりしてきた。

しばらくすると、御花畑駅に着いた。すると長瀞駅で乗り込んできた年配者が皆降りた。 きっと、西武秩父駅から都心に帰るのだろう。

ここからは本当に山の中である。しばらくすると終点の三峰口に着いた。 降りて改札を探すがみつからない。よく見ると、ホーム先頭から階段で地面に降りて、 そこから線路を渡って隣のホームに行けばよいのだった。そこに改札があった。

御花畑から長瀞まで

翌日、両神から秩父市街に出て、御花畑駅から羽生行きに乗り込んだ。 このとき来たのが、カナリアイエローの電車だった。これは運が良い、と思い 長瀞駅で降りたときに写真を撮った。

なぜ長瀞駅で降りたのかというと、長瀞ライン下りを経験したいと思ったからだ。 埼玉県民なら、と先に見栄を切ったことでもある。

長瀞ライン下りの体験

長瀞駅で降りると、ライン下りの券売所があった。 ラインくだりは A コース、B コース、C コースと3種類ある。 しかし、この日は券売所の係員からは B コースのみといわれた。 私たち二人は B コース券を買い、船の待合場所に続く商店街に入った。 商店街は仲見世の雰囲気がある。抜けたところに川が見えた。 川には岩畳と呼ばれる石の階段が見える。 T 教の教主 T 氏は地質学を専攻していたので、彼が見たら喜ぶだろう。 私たちは川に停泊しているライン下りの船に乗った。雨がポツポツと降り出した。

船には既に 8 人が乗っている。舳先にいる人はチワワのような犬を抱えている。 まったく、ケージに入れろよな。溺れても知らんぞ。

私たちが乗って更に 5 人が乗った。これで出発となった。 ライン下りは船首の船頭と船尾の添乗員の二人で進む。 船首の船頭は舵をとるだけでなく、流れの弱いところでは櫂を漕ぎ船を進めさせることもする。 添乗員はいろいろ解説をする。なかなか笑わせてくれる。

所要時間は20分強だった。終着点では無料バスが用意され、長瀞駅に戻ることができる。

寄居で飯を食べる

長瀞駅は観光地である。 昼食をする場所は多くあったが、私は敢えて寄居まで出てそこで昼食を取ることにした。

寄居は友人の出身地である。ぜひ寄居に行って貢献したいと思ったのだ。 降りたはいいが、昼飯を食ったものだろうか。 まず駅には南口と北口があり、どちらが栄えているかわからない。 上からみると、南口にはライフというスーパーが目についた。 ということは、南口が栄えているようと推理し、こちらに降りてみた。

ところが、飯が食べられそうな店が見当たらない。 観光案内所があったが、昼休みなのか人がいない。 あたりを見ると、一件花屋なのだが食堂になっている店があり、 中で人がうどんをすすっている。妙な店だがここに入ることにした。 メニューにはご飯物もあったが、温かい「地粉うどん」を食べることにした。

少したって出てきたうどんはおいしかった。つゆはさほど辛くなく、少し甘めでうどんとよく合う。 うどんは埼玉県産なのだろうか。香川の讃岐うどんなどのようなコシやツヤやノド越しの良さはないが、 粉物文化にコシやツヤやノド越しの良さを過度に求めるのは私は反対だ。 薬味にはネギのほか、ユズやゴマもついてきた。特に、ユズの香りは絶品だ。 さらに、無料で揚げ玉が付いてくる。 これらの品々で私は十分満足だった。

ところで、この店の屋号を取材するのを忘れた。インターネットであるだろうと高をくくっていたら、 有益な情報は得られなかった。わかったのは、 この店のある位置は「柴田商店」だったこと、柴田商店は以前駅弁を作っていたが閉店し、 別の方が店子に入っていることだけだった。 それから、アド街で取り上げられたことを書いていたが、 アド街は「嵐山小川」をとりあげており、このうどんに関係ありそうなのは 「道の駅おがわまち」のうどんだけだった。これで気を引こうというのはちょっと虫がいいのではないか。 とはいえ、この満足度で 400 円だったのはすばらしい。

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MARUYAMA Satosi