プールへ行くことは、 海水浴場に行くことに比べて旅の面白さには欠ける。 しかし、プールで泳ぐことは、海水浴場で泳ぐのと同じぐらい心を和ませてくれる。 そんなわけで、ここにプールにまつわるいろいろなことを書いてみた。 自己紹介に書いてある居住の逆順で紹介する。
埼玉県には県が運営するプールを水上公園と称している。以前は4か所あったが、現在は上尾にあるさいたま水上公園がなくなったため3か所しかない。 私はさいたま水上公園を含む4か所すべてに行ったことがあり、これを誇りにして現在まで生きている。
越谷市と岩槻市の境にある、プールを中心とした県の公園。プールは6種類ある。 私達が入ったのは 3 種類だけだが、いずれも楽しめた。平日は交通・施設ともに合格点だが、 土休日は道が混む。駐車場は完備されているが(有料)、 やはり公共交通機関を使うのが筋だろう。
東武伊勢崎線越谷駅(西口)から、
岩槻駅行きバス(朝日バス)でしらこばと水上公園入口下車。徒歩5分。
所要時間約 20 分。運賃 320 円(2024年7月24日現在)280円(2004年7月18日現在)270 円(2001年8月3日現在)。
1時間に1本から3本の割合。
なお、時間帯によって、越谷駅、岩槻駅からそれぞれ水上公園駅止りのバスもある。
こちらの終点はプール近くまで行く。運賃 330 円(2024年7月24日現在)。
上記の交通に加えて、夏休み期間中は臨時バスも出ている。プール営業中の土曜、日曜、祝日、お盆期間(8月13日~16日)に限り、 東武伊勢崎線せんげん台駅(西口)から、8 時台から 14 時台で、1 時間に 1 本、 直通バスが出ている。2024 年 7 月 24 日現在 320 円。
以前は東武伊勢崎線北越谷駅(西口)から、 水上公園行き直通バス(朝日バス)が出ていた。 所要時間約 10 分。混むと20分。 運賃 230 円(2001年8月3日現在。2004年7月18日現在も同じ)。 1時間に2本から4本の割合。2024 年現在はない。
さらに、夏休み期間中の他の路線の臨時バスとして 埼玉高速鉄道浦和美園駅から直通バス(国際興業バス)が出ている。 所要時間約 10 分。運賃 200 円(2001年8月3日現在、2004年7月18日現在も同じ)。 1時間に 2 本から 6 本の割合。
泳ぎ終えたら、 水庵でかき氷を食べるといいだろう。
川越駅から臨時バスに乗って行ったと記憶している。気持ちよかった。
上尾駅から通常の路線バスに乗って行ったと記憶している。おそらく隣接する上尾運動公園行きに乗ったのだろう。 プールでは一部施設が使えないところがあった。のちに(2022 年 2 月 27 日)に閉園した。
バスがなかったため、行き帰りは歩いた。非常に暑かった覚えがある。プールは広く、楽しめた。
この項は、 スポーツ施設 江戸川区ホームページ(www.city.edogawa.tokyo.jp)を参考にした。
いろいろな種類のプールがあり、子供は喜ぶだろう。そんなわけで家族連れが多い。 私のような独り者が黙々と泳ぐには不向きであった。 それでも3回は行った。上記ホームページによると、プールガーデンは平成25年(2013 年)10月31日をもって閉園した。
冬はスケートリンクになるプールで、広く、のびのびと泳げるプールだった。
以下の項は、 千葉市スポーツ振興財団 (chibacity.spo-sin.or.jp)を参考にした。 この一覧表にない公営のプールで何度か泳いだ記憶があるのだが、残念ながら名前は覚えていない。 それにしても、我ながらよく行ったものだ。
一度だけ行ったことがある。あまり印象はないが、そこそこ泳ぎやすかった。
一番よく通ったところである。勤務先の知った方がたまにいることもあった。 ここのビルにはヤマハがあって、コープランドの楽譜がけっこう置いてあった。
千葉に住んでいたとき、居住地から一番近かったプール。仁戸名(にとな)厚生年金センターの名でも知られる。夏はよくここに行った。 土曜日の午前中はすいていて、私一人で泳いでいたことも何度かあった。現在は閉鎖されている。
自転車で1時間弱かけて行っていた。途中で乗馬クラブがあり、 ハイソはいいなあ、と思いながら安いプールに行っていた。
一度だけである。こぶりなので、公園を散歩した後で軽く泳いだ。気分がよかった。
5回ぐらい泳いだ。一度9月に、会社の有給をとって平日の朝行ったら、誰も泳いでいなかった。 それでも時間一杯泳いだ。
2、3回行った。大学4年生で忙しかったため、あまり行けなかったのが残念である。
豊島区時代より前になるが、学生時代の先輩と同級生を誘って行った。 私はプールで「顔を隠して膝を抱え込んで背中を丸め、無気味に浮きながら、うら若き女性に近付く」 という遊びを考え出して、実行した。結果はというと、女性に思いきり背中を蹴られた。
国道 16 号線に近いところに、昔昭和石油が管理しているグラウンドと屋外プールがあった。 ここでよく泳いだものだった。25m プール1つと 幼児用の小さなプール1つがあった。 1990 年ころグラウンドと共に廃止され、跡地には JUSCO (現 イオン)が建った。
相模原の中心地は市役所界隈なのだが、このプールは上溝横山にあった。
最初水球用にも考えられたため、50 m プールの中心部が 2m と非常に深いことで有名だった。
この 2m のところで泳ぐのは非常に気持ちがよかった。
帰りがきつい坂を登らなければならなかったので、行く時には覚悟がいったところでもある。今はどうなっているか知らなかったが、このプールはなくなり、
新たにさがみはらグリーンプールとして屋内のプールになった。
近くに清掃工場があることから、屋内に設けられた温水プールである。 空いていれば気持ちがいい。
私が企業勤めの社会人になったとき、その企業が所持している兵庫県のある研修所に行った。 そこには、屋内プールがあった。 びっくりした。しかし、予期していたことでもあった。 新社会人の私はどこに行っても泳げるかもしれないという希望を胸に抱いていて、 研修の持ち物にに海水パンツをしのばせておいたからだった。 私は自分の勘の良さに満足し、早速研修後泳いでいた。 よい時代だった。しかし、私はこのときに勘と運を使い果たしてしまったようだ。 なお、プールも研修所も後に取り壊されて、今は住宅地になっている。
大学には決まった人しか泳げないプールと、学生であればだれでも泳げるプールがあった。だれでも泳げるプールは、 書店が入っているビルの地下にあり、書店で本を見ているとときどきカルキのにおいがしてくるのだった。 このだれでも泳げるプールで泳いだことが1、2回あるが、どこでも背が届かないのにはびっくりした。
高校の体育の時間にはプールがあったが、競泳の結果はビリだった。あるとき、体育の K 先生が授業とは関係なく「一番になったやつはご褒美をやろう」 ということになって、わたしも手を挙げて泳いだのだが、やはりビリだった。
夏休みにも、部活の練習日があった。午前中暑さで疲れたあと、 汗をシャワーで流してプールに入らせてもらった。 あのころほど、喜んで身体を動かしていた時代はなかった。
小学生のとき、H 君といういじめっ子にいじめられた。私より 1 年先輩だった。 プールで一緒に入っていると、立っている H 君が「俺の股をくぐれ」と命令した。 恐くて逆らえなかったから、必死になって H 君の股をくぐった。 おかげで、潜水ができるようになった。(2007-12-31)
まりんきょ学問所 > 部屋の中身と管理人 > 自己紹介 > プール探訪