コンピュータ日誌(1999年)

作成日:1999-03-14
最終更新日:

1999年、コンピュータとのおつきあいの日誌です。


新しい言語(1999-12-09)

最近頭がとみに硬くなったので,この年になって新しいコンピュータ言語に取り組んでいる。

1つはPython。あの、モンティ・パイソンの名前から取られている。Python の名前だけは もう3年以上前に聞いていたのだが、使うのは初めてである。 チュートリアルの「非形式的入門」というのをしこしこやっている。 なかなかおもしろい。ちょうど、Miranda や Gofer がこんな感じではなかったろうか。

Python をやり出したのは,某MLの主催者のメールのシグネチャーにひっかかったからである。 このシグネチャーには、Pythonのほか、Perl、Zope、Java, Tcl/Tk, C, PHPなどいろいろ書いてある。 このうち、Perl, Java, Tcl/Tk, Cには手を出した。Cはこれで飯を食ってきた程度である。 あとは本当に趣味である。さて、残りの言語のうち、何がいいかなというので考えたのが Python である。残りはその後。ZopeはPythonの後でないとできないし、 PHPも自分でWWWのサーバーを運営しているわけではないからどうかなあ、と思うのだ。

そう、Javaも久しぶりにやり出した。わけはこうだ。
ある掲示板で、「情報処理技術者の方にお尋ねします。こんなことばを知っていますか」 という問いかけがあった。 その中に「コンポーネントウェア」という用語があった。わかったような気がするが あやふやだ。調べてみてもやっぱりあやふやである。仕方なく、コンポーネントウェアという 技術は具体的にどんなソフトウェアで実現されているかを調べてみた。するとJava Beansという 技術があることがわかった。だから、Javaをやりなおそうかと思った。

Java Beansとはどういう動きをするものか,12月9日にBeans Boxを自分のコンピュータに入れて 確かめてみた。なるほどおもしろい。次からはいよいよBeansを作ることにしよう。

さて、Beans Box をいじりながら、何かに似ていると感じた。何だろうと思い出すための 時間が少しかかった。AVS だった。あれも、規則に従ったモジュールを作れば,あとは モジュールをGUIによって組み合わせるだけで、所要の目的を達せられるプログラムが作れる いいキットである。
事実,かなりのアプリケーションがAVSを用いて作られたようだ。私自身はAVSには全く 携わったことがないが,AVSのモジュールを開発する人間は何人か知っているし、 モジュールをGUIで組み合わせていろいろなアプリを作る現場を少しは見てきた。
その先には結構長い先があるのだが、そこは省略する。

ともあれ、Java Beans を見ていて、使えるのだろうかという期待と不安とを同時に抱いた。

ホームページの体裁(1999-11-12)

少し自分のホームページの体裁について気にすることにした。といっても見てくれのことではない。 HTML文書としての体裁を気にしたということだ。
http://openlab.ring.gr.jp/k16/htmllint/htmllint.html をもとに、必要な要件を満たすべく、 少しずつ書き直している。
ついでに、Macintosh で使える sed と awk も手に入れた。 これらがないと、一度に変更する時につまずきそうだからだ。 sedのほうは、試してみてうまくいった。入手先はそれぞれ次の通り。
http://www.imasy.or.jp/~iwao/SedMac/SedMac.html
http://www.imasy.or.jp/~iwao/JGAwk/JGAwkMac.html

スキャナーを買いに行く

スキャナーを自宅の二駅隣の駅へ買いに行く。機種はEPSONのGT-6600Uである。
USBをつないでソフトもインストールした。 いざ取り込もうとすると「スキャナの接続を確認できません」 という表示が出る。そんなはずはない、電源コードも入れているしUSBもつないでいる。 何が悪いのかとさんざん疑ったがどうにもわからない。 あきらめてマニュアルの「困ったときは」を見た。 すると「スキャナー起動時にガタガタと変な音がしているときは、 ヘッド部がロックされているのが原因です。ロックをはずしてください」 とあった。まさにこれだ。確かに、梱包をといた時、 一番初めに目に飛び込んだのが「ロックをはずせ」という絵と文章だった。 これをまったく無視していた。ああ、これで30分以上無駄な時間を費やしてしまった。
ロックをはずすと、快調に写真を取り込んでくれた。早速、フォーレのページに写真を載せた。 (1999 年11月7日)

ISDN 工事に立ち会う

引っ越しの最中、ISDNの工事が来る。 午後1時にやってきて、午後3時に終わった。 実質部屋で立会いをしていた時間はのべ 30 分程度であった。
工事そのものはまあよかったのだが、腹がたったことが2つあった。一つは工事費が6500円と、 当初考えの2倍以上したこと。工事費用2500円からと宣伝してるが、こんなの全然当てにならない。 事前に確かめなかったこちらも悪かったが、 なぜ費用がこれだけになるのか、基準がはっきりしない。根拠もわからない。
もう一つ、この工事の翌々日、電話がいきなりつながらなくなった。 つながらなくなったのがわかったのが土曜日の午後で、 結局日曜日の朝業者が来て直してくれたのだが、ISDNの工事のせいでない、 というのがこれまた腹立たしい。

さて、RTA50iを使ってアクセスしようとしたのだけれど、 簡単設定プログラムが起動しない。 MacOSの問題のようだ。
MacOSが8.5ではだめなようである。 8.5.1にしたほうがいいとあったが、これで簡単設定プログラムが動くわけではないようだ。

8.5 のままでは別の問題もあった。CD ドライブがうなる問題だ。 これを解決するためには、8.5をバージョンアップすべきらしい。 そうなると、アップルのページで探すしかない。 アップルのページには8.5.1はなくもう8.6である。 8.6でもいいかどうかわからないし、もし8.6にバージョンアップしようとすると、 1時間以上つなぎっぱなしでいないといけない。これは困った。

仕方なくtelnet経由の設定をすることに決める。 それもどうしていいかわからない。 みようみまねでサンプル設定例にあったものを、いくつかの固有名(アドレスとか電話番号とか) のみ変更してそのまま打ち込んでみた。 すると、
proxy.asahi-net.or.jp:8080がみつかりません
とかいわれる。
上記は ASAHI-NET のプロキシである。ブラウザのプロキシ設定を「なし」にしてみた。 すると今度は目的の
http://www.yahoo.com/
がみつかりませんとかいわれる。
よくみると、サンプル設定例では、いくつかの固有名 を二重引用符なしで打ち込んでいた。なしで大丈夫だろうとたかをくくっていたのだ。
きちんと二重引用符つきで入れると、出るようになった。 ふう。

なお、普通のモデム経由でもやってみた。どうもつながらないと思っていたら、 接続がパルスだった。トーンにしたらつながるようになった。 やっぱりISDNだったんだな。 ついでに電話もパルスからトーンに切り替えておいた。ディップスイッチではなく、 メニューで切り替えるのでちょっと面食らった。 7年前の機種である。 つながれたかどうかがわかりにくい。しかも、切れたかどうかが特にわかりにくい。 この日の分はlogで確認したところ、問題はなさそうだった。 (1999年9月29日)

9月23日

近く引っ越しをする。いい機会だと思い、引っ越し先にISDNを引き込むことにした。 前日 YAMAHA の NetVolante を購入して、取扱説明書を見る。 実際に来てみないとなんとも使えないなあ。

5月16日

このところ、ますますfetchの調子がおかしい。立ち上げた瞬間にフリーズする。もうfetchは使わないことにしよう。
そこで、WEBページを作ったあとで公開の場に転送するソフトをどうしようかと考えてみた。 どういうわけか、Macintoshに備え付けのftpソフトはない。Windowsでさえftpはある。信じがたいことだ。
さて、次なる方法はどうしようか。

フリーウェア・シェアウェアを使う
日経Mac、Sherlock、vector、Internet Magazineなどで調べた限りフリーウェアはなさそうだ。 調べてみるべきだろう。
DOSのftpを使う。
じつはRealPCというWindowsアプリケーションが使えるソフトが私のMacにある。ここから起動できるか? 試してみたのだが、なぜかここにはftpは入っていなかった。
自分で作る
ちょっと難しそう。Javaなら可能かもしれないが、いかんせんMacの環境が...
Netscape Communicatorの出版機能を使う
試しにやってみたが、一度に一つのファイルしか転送できず、使い勝手が悪いのでやめた。
自宅のWEBページ開発環境をMacからWindowsあるいはUNIXに移す
UNIXなら何も考えることなくftpが使える。rdistという手もある。WindowsならWS-FTPもある。 しかし、物理的な配置もあり、Macでしばらくは運用しないといけない。

けっきょく、フリーウェアはやめて、シェアウェアのAnarchie ProとTransitを使ってみようとした。 Anarchie Proはサーチ機能がついているだけかえって混乱しそうで使うのを止めた。 Transitはけっこうよさそうだ。こちらをしばらく使うことにしよう。synchronizeというボタンもあり、 使えそうだ。

5月09日

私の実家から両親と妹がきた。 私のもっていたコンピュータ(Macintosh)を妹に譲るのでそれを取りに来たのだ。 妹はNiftyを勤務先で使っているので、まずはNifty ManagerをMacintoshにインストールした。 これはうまくいき、早速メールが来ていることを確認できた。 次に、インターネットが使えることを示そうとして、 Netscape Navigator(2.0)でYahooにつなごうとしたが、Access PPPが使えない。 機能拡張フォルダーにAccess PPP のPreferenceがないと言われるのだ。 しかし、実際には該当フォルダーには存在している。あれこれ1時間ばかり悩んだあげく、 Access PPPの設定をデフォルトのままで動かしていたのに気付いた。 あわてて、以前行なってできていた設定で行なったところ、 みごとつなげることができた。

なお、この譲ったMacintoshはPowerBook 520c(モデムつき)なので、 Netscape Navigatorの4.04では起動に 1分ぐらいかかり、実用的でない。

帰宅した妹から電話があった。 電源コードのつなぎ方がわからないという。そういうことは教えていなかった。 ため息をついて、電源トランスがあるから、その一方をMacintoshにつないで、もう片方にコードをはめ、コンセントに つなぐと説明した。さて、どうだろう。

5月08日

きのうの続き。Linuxでよく調べてみると、やはりネットワークカードの認識ができていなかったのが原因だった。 /etc/rc.d/rc.pcmciaを活かして、かつ/etc/rc./rc.inet1のIPADDR, NETMASKなどの設定をコメントアウトした。 そうすると、rc.pcmciaの実行中、ネットワークカードを挿入するとうまく認識できることがわかった。 何か変だが動けばよしである。
そして、iMacも調べたところ、Open Transport の TCP/IP の設定で、経由先がPPPではなく、 Ethernetである新たな設定先を作らないといけないようだ。 またPPPでつなぐときとEthernetでつなぐときには、 これらの設定を切り替えないといけなかったのだ。 きのうはここまでやっていたのだけれど、 「802.3を使用」のところをチェックしてしまっていた。 このチェックをはずしたところ、pingが通るようになった。
これに味をしめて、Macintosh側からfetchによりftpがうまくいくか調べた。 問題なく、putもgetもできた。 これで一安心。まだWindows側での試験はしていないが、あとまわしでもいい。 ftpdを入れるのが面倒だ。 次はダイアルアップルーターに挑戦したい。

5月07日

あさって妹が家に来て、私のコンピュータのうち1台を持っていってしまう。 すると持っているコンピュータがiMacとMebiusだけになってしまう。 御存じの通り、iMacはフロッピーの口がないので、 データの保存・交換にはこのままでは使いづらい。 そこでおそまきながらiMacとMebiusをネットワークでつなぐことを考えた。 現状は次の通りである。


+--------+      +------+ AppleShare +-----------+
| Mebius |      | iMac |<==========>| PowerBook |
+--------+      +------+            +-----------+
(Windows95         | (PPP)
or Linux)          v

MebiusとMacintoshとのやりとりは、フロッピーしかできない。ここでPowerBookがなくなっては、 データ交換の手段がなくなってしまう。そこであわててMebius用のPCMCIAのネットワークカードを買いに行った。 行った先は大手の小売店で、そのため値引率はよくない。しかしさすがは秋葉原、一番安いのが2000円台である。 Laneedというブランドで、一応もっともらしい。それを買って帰った。
早速MebiusをWindows 95で立ち上げ、ネットワークカードを認識させるところまではいった。 次にケーブルでつないでホスト名の設定をして、Windows側からpingが通るか調べた。全然繋がらない。 iMac側から確かめるためにフリーのソフトを入れてみて同様なことを行なうが、状況は変わらない。その間、 ピアツーピアなのにイーサネットのクロス変換コネクタを忘れていたり、致命的なミスが多くあった。 それらミスをつぶしてもうまくいかない。
MebiusをWindowsではなく、Linuxで立ち上げてみて、同様なネットワーク環境の設定を行なうが、やはりだめである。 ただ、「Linux ネットワーク」という本には、Laneedの接続実績はある。だめではあるが希望をもったまま、 その晩は0時30分に寝た。

4月20日

この間の土曜日一緒に飲んだ仲間の一人であるSさんから、こんなメールが来ていた。 まりんきょのこの4月18日の日誌を見たということである。

(前略)
ところで,おそらく私であろう者の発言で「iMACはバケツ」というのがあり ますが,これには若干の誤解があります.

まず"バケツ"についてですが,これは"ポリタンク"と確か表現したと思いま す.イメージとしてはお茶や水を入れてキャンプなどに持っていく白,若し くは白濁半透明で蓋が赤色等をしたものです.

そして,次に"iMAC"ですが,これは新しく出たタワー型の"G3のMAC"の筐体に ついて上記ポリタンクという表現をしたと思います.

ちなみに私はこのデザインの筐体はいたく気に入っているとあの場では述べて いたことを付記しておきたいと思います.
(後略)

全くSさんの通りである。 自分でポリバケツと書いて違和感を感じたのだが、それを引きずってまあこんなことだろうと 書いてしまったら上のお叱りが来た。いくら酒の席とはいえ、ここまで曲解していたとは恥ずかしい。 とはいえ、こうやってすぐに書き直しができるのもインターネットのいいところである。
このように自分のミスをすぐ棚に上げたり他の話題にふったりするのは、 自分でも齢をとってずるがしこくなったということでもある。

C Magazine 5月号のパズルの解答正解者の欄に名前が載っていた。つれあいに自慢する。

4月18日

きのうは以前の職場の仲間と酒を飲んだ。日頃からコンピュータを使っている人たちなので、 自然とその話も出てくる。その中で、iMacを買う人の気が知れないなどという話が出ていた。 私は知らぬふりをして、一段落したところで「実は買ったんだ」というと皆驚いていた。 「何で買ったんですか」という問いに対して 「インターネットでメールやWWWをやるにはいいかなと思って」と答えると 「それならいいんですが、中には目的を知らずに買う人がいるから」 と憤っているのがいた。 なお、別のやつはiMac をバケツと評していた。

註:上記横線抹消の理由は4/20の項を参照。

私の家のコンピュータの使い分けはこんな感じだ。

iMac
インターネット(電子メール、WWW)、音楽関係
Windows95
将棋ソフト、仕事(どうしてもしなければいけないとき)
Unix(Linux)
プログラム開発

3月28日

今まで使って来たMac用のプリンタであるLP-1000が使えなくなる。どうしよう? 私はiMateに繋がると思い込んでいたが、考えてみればLP-1000用の端子はADBではなくて、プリンタポートだった。

3月27日

PowerBook520cを妹に譲るので、今まで使って来たファイルとソフトがiMacで動くかどうか調べてみた。

動くもの
動かないもの

とにかく、ファイルを引き上げて来た。

3月26日

以前購入した楽譜作成ソフト(Nightingale)をiMacで動かせるように、 iMateというUSB<->ADB変換コネクターを買って来た。 6000円台で買えた。
iMacのOSをバージョンアップし、なんとか使えるようになった。
ところで、このiMacは本調子とはいいがたく、メニューバーの時刻が出てくる箇所をクリックするとフリーズする。 なぜだ?

3月14日

DOS/Vマシン(シャープ Mebius MN-7230)のディスク領域がまだ3GB弱ある。 LinuxかFreeBSDかどちらを入れようかと迷い、結局 UNIX USERの最新号にあったPlamo Linuxを選ぶ。Vineにしなかったのには他意はない。 あえていえば、以前買ったLinux入門の本にPlamo Linuxがついていたので、多少詳しい情報が得られるだろうと 考えたからだ。
まずブートディスクを作る。どういうわけか新品のディスクに不良セクタが多く、結局昔のディスクを使うことにした。 これで数十分損した。
次にいよいよインストールに入る。パーティションのきり方に多少戸惑ったが、なんとかえいやで押し切った。 その後のハードディスクはすいすいはいった。
さてハードディスクから再立ち上げしようとするが、プロンプトが帰ってこない。 どうやらPC-MCIAが認識できていないようだ。そんなこといったって、差しているカードなどない。 差していないのを読み取ろうともがいているようなのだ。いろいろ悩み、上述のLinux 入門をみると、 /etc/rc.dにPC-MCIAの読み取る部分がある、と書いてある。そこをコメントアウトすればいい、というところまで わかった。フロッピーからのミニブートでハードディスクの該当部分を読むためには、/mnt/etc/rc.dを見ればいい。 ここを編集しようとしてviを立ち上げると、"vi not found"である。パスが通っていないのかとおもい、 viのフルパスを/mnt/usr/bin/viとして書いてみても、"/mnt/usr/bin/vi not found"である。編集ができないのかと がっくりきた。もう一度Linux入門をみると、「/etc/rc.d/rc.pcmciaファイルがあればそこから読み取ろうとする」 とある。ということは、この名前をなくしてしまえばいいのか、と思い立ち、rc.pcmcia.orgに変更しておいた。 そこで再度立ち上げると、今度はうまくいき、ログインプロンプトが出てきた。これで数時間はつぶれた。 つれあいが「家の購入について話したかったのに相談に乗ってくれない」といってプンプン怒っている。

さて、次のXである。FreeBSDのときはさんざ苦労したのだが、今回はわりあいあっさりと入ってしまった。 XF86Setupを行い、ビデオカードにS3 86CM85を選び、ディスプレイはSuperVGA 1024x768@87Hz interlaced...、 解像度は1024x768, 65536色で十分であった。

ここまで準備ができたので、C Magazineのパズルを解く。プログラムは作ってきたのだが、DOS でのC処理系では 思うように動かない。私が試したのはLSIC(試食版)とcintであるが、どういうわけかダメである。やはりUNIXという ことで動かすとgccですいすいと答えが出た。あっているかの自信はない。

多重後記

2016 年 7 月

当時は ISDN の工事をしてもらったが、今はマンションまでは光ケーブル(マンション内は ADSL )である。 時代は変わった。

自宅のフリー UNIX は現在、Linux のディストリビューションの一つ、Vine Linux である。

ウェブページは現在 Windows 10 で作っていて、そのためにアップロードするツールはフリーウェアの ffftp を使っている。

以上は 2016 年 7 月 10 日に記す。

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MARUYAMA Satosi