フランスの作曲家、 ガブリエル・ユルバン・フォーレ( Gabriel Urbain Fauré ) についての生涯について、少しまじめにまとめた。
音楽のことはあまり触れずに、履歴書のように記した。
年 | できごと |
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1845年 | 5月12日、フランスのアリエージュ県パミエで生まれる。 |
1854年 | ニデルメイエール音楽学校に入学。 ここでしこたま宗教音楽で鍛えられる。 |
1861年 | 音楽学校の先輩であり教師であった、カミーユ・サン=サーンスと知り合う。 彼とは長いつきあいとなる。 歌曲『蝶と花』Op.1 を作曲する。作品番号のついた最初の作品であった。 |
1865年 | ニデルメイエール音楽学校を卒業する。 以降各地の教会オルガニストを転々とする。 |
1877年 | 婚約者ヴィアルドーとの婚約がヴィアルドーにより破棄される。 |
1883年 | マリー・フレミエと結婚。フレミエの父は有名な彫刻家。長男エマニュエル誕生。 |
1889年 | 次男フィリップ誕生。 |
1896年 | パリ国立音楽院作曲家の教授に選ばれる。 |
1903年 | 耳の障害に気付く。 |
1905年 | パリ国立音楽院院長就任。 |
1909年 | フランス学士院会員。 |
1920年 | パリ国立音楽院院長辞任。 |
1924年 | 最後の作品『弦楽四重奏曲』Op.121 を完成。 11月4日パリで没す。享年79。 |
ピアノ曲、歌曲、室内楽が多い。少数ではあるがオーケストラ曲、合唱曲、オペラもある。
彼の音楽の特徴として精妙な和声があげられることが多い。 またメロディーメーカーとしての側面もある。 しかし、本気を出したときのリズムの取り扱いは聞き物である。 また特に晩年の室内楽で、 ソナタ形式における第2展開部の扱いを確固たるものとした功績も認められていい。