C マガジンを読む(1994年 3 月号)

作成日: 2003-04-30
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立派な方法論もそれを実践するのはプログラマだ

Computer Language 誌の記事である。岩谷宏さんが翻訳した。 原著者 Jack W. Crenshaw 氏が述べていることは、 ソフトウェアの工程のすべてで職人魂が必要であり、 技術論よりも良質のプログラマや良いプログラミングスタイルが重要であることを説く。 これを受けて訳者は、「コンピュータプログラムの制作に“プロ”が存在すること自体に、 本質的な無理がある」という注釈を付けている。すなわち、 著者と訳者の意見は対立している。

私も悩む。私もプログラムをいくつか作ってきたが、最初は自分の研究開発を進めるための、 自分のためのプログラムの制作だった。これが、あるときから「お客さんのためのプログラム制作」 に変わった。両者の間には大きな違いがある。

私もできることなら岩谷さんの立場をとりたい。しかし、現実にはそれができない。 仮にできたところで、社会における仕事ということを考えると、 自分がプログラムを作るということは難しいのではないかと思える。 そのプログラムを使って仕事をするのは、作った自分だけではないからだ。

かつて、エンドユーザーコンピューティングということばがもてはやされた時期があった。 エンドユーザが自分でプログラムを作り、利用することを指すことばである。 しかし、後でこれらのプログラムは担当者の転勤、退職などで保守がきかなくなり、 結局使えなくなってしまった例が多い。

今はまた極端な時代である。ERP (エンタープライズ・リソース・プランニング)のもとに、 個人どころか企業を超えて統一したソフトを使うということが主流になっている。 このERPが、統一という名のもとに効果を上げているところもある。しかし、 使えていないところもある。結局どうなのだろうか、 これからいろいろな例を見聞きして判断するしかない。


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MARUYAMA Satosi