ASAHIネット マイボード(048-072)







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72 まるやま 2001 05/29 23:39
生ゴミ処理機

生ゴミ処理機を買うと補助が出る、というので申し込んだらどうやらあたったようだ。
私が生ゴミにならなければよいのだが。


71 まるやま 2001 05/18 23:50
いまごろ紅葉

勤務先の近くにある小路で、紅葉しているカエデを見かけた。日当たりが悪いところにあったからかな。


70 まるやま 2001 05/15 21:46
筋肉痛

日曜日の風呂掃除の筋肉痛は月曜日に出て火曜日も続いた。
水曜日にはなくなることを祈る。
筋肉痛があるということは、私にまだ(贅肉以外の)筋肉があったということの証明であろう。


69 まりんきょ 2001 05/13 23:01
風呂掃除をする

つれあいの機嫌とりをするわけではなかったが、風呂掃除を申し出ることにした。
連休で休むばかりで少し申し訳なかったと感じていた。
いざやってみると重労働で、しかも目に見えないところに汚いところがあったのだ。
私はつれあいよりだいぶ背が高いから、背の高くないとできないところを重点的にやろうとした。しかしつれあいは「ダメ」といった。
そのこころは後になってわかった。思いのほか、目に見えないところの掃除に時間がとられるから、ということだった。
なんとかやり終えて、その後テレビ将棋のビデオを見て休んだ。
次回は三ヶ月後という。次も私がやるのだろうか。


68 まりんきょ 2001 05/02 17:11
曇り

くもっているのもいいものです。


67 まりんきょ 2001 04/01 16:46
いろいろと

この間は、自分で嫌いだと言っていたカラオケに行ってしまった。おまけに夜の帰りが遅くなってしまった。
ついに門限をつれあいに宣告されてしまった。



66 まりんきょ 2001 03/28 00:16
ベージュの革の上着

先日あるところで服を買った。店員がベージュの革の上着を着ていたのが気になった。その後あちこちでベージュの革の上着を来ている人を見るようになった。今まで私がいかに人の服装を見ていなかったかを思い知った。


65 まりんきょ 2001 03/18 23:30
マクベスを読む

あることをきっかけに、シェークスピアの「マクベス」を読んでみた。これだけか、という分量であったが、せりふがやたらとかっこいいから長く感じる。劇のことばをもじって言えば、「長いは短い、短いは長い」
私の出身高校は、演劇がさかんだった。今は名のある脚本家が1年上にいる。その方の劇をしばらく前にテレビで見た。その脚本家が過ごした高校時代の生活をそのまま舞台にしたものだった。背景は確かに当時のままで、同時代に生きた運のよさを感じた。しかし、この劇が扱っているしらけ世代のまなざしは、私は当時からもっていた。そして高校を卒業してから今に至るまでもずっと持ち続けている。


64 まりんきょ 2001 03/16 22:47
沈丁花

この十日ほど、いろいろなところで 沈丁花のいいにおいがする。少しきついあたりが、春への希望をかきたてるようだ。


63 まりんきょ 2001 03/13 21:09
3/12 の日記

午後コンピュータ将棋世界選手権戦を見に行く。
いなかのバスはいいものだ。「精米所前」という名称のバス停留所など、いい味を出している。
晩は知人の誘いで焼肉屋に行く。つれあいに「酔っ払いはだから嫌い」と言われる。


62 まりんきょ 2001 03/11 22:13
3/11 の日記

私の実家につれあいと行く。妹に子供が産まれたので、そのお祝である。赤ん坊は小さい。動きが面白い。

卒業した高校から同窓会の案内が来た。行こうか迷っている。私の高校時代は中学と大学の間にはさまれている。よくもわるくもあまり思い出がない。だいたい高校時代の知人がほとんどいなかったし、数少ない知人はすでに忘れている。


61 まりんきょ 2001 03/08 22:40
3/7 の日記

ある食堂へつれあいと行った。そこは喫煙席と禁煙席が完全に別れているところなのだけれど、
(私達は二人ともたばこ嫌い)通された席は「喫煙者がくるかもしれない席」だった。
となりはほとんど空いていたのだけれど、いつ喫煙者がくるかもしれないという不安でいっぱいだった。
デザートを食べはじめる頃、来たのは案の定喫煙者だった。
彼のたばこを私は横目で睨んだ。
私達二人が去ると、彼はゆったりとまたたばこを吸いはじめた。


60 まりんきょ 2001 03/07 21:53
3/6 の日記

ハイソな本が多くある書店にて、「草思社の『銃・病原菌・鉄』はおいてありますか」と店長らしき人に尋ねた。「はい、ありますよ」と店長はさがしたがみつからない。困った店長、平積みのある本をのけたところ、その下にくだんの本があった。


59 まりんきょ 2001 02/18 22:45
本のカバー

ある将棋の本を買ってきたのに、最近見つからない。ところがあるときひょっこり見つかった。こんな具合であった。
ある掲示板で発言しようとして、決まりきった言い方をする必要が出てきた。このような紋切り型の文句を書いてある本はどれがいいだろうかと思い、たまたまカバーに「儀式」という書いた本が見つかった。これでいいだろうと思い開けてみたら探していた将棋の本だった。なぜ別の本のカバーをしていたのかというと事情はこうである。もとは本当の儀式の本にこのカバーをしていた。カバーの背表紙には「儀式」と書いた。ところがつれあいが「儀式の本がなくなっちゃった。どうしたの」と問いつめるので仕方なくカバーをはずした。はずしたカバーをそのまま捨てるのも癪なのでたまたま買ったばかりの将棋の本にかけてしまった、というわけだ。


58 まりんきょ 2001 01/31 23:42
フランス革命

今日の飲み会で「そういえば、小学校では円周率を3にするとか、
中学校の英語の単語は100語にするとかひどいよな」という話になった。 わたしは「それでもいいんじゃないんですか。 だいたい私は、フランス革命にジャンヌ・ダルクが出てきたと思ったんですから」といったら笑われた。 だいたい私の話そのもので笑われるし、最初の話とは何の脈略もない。 おまけに、最初この話を書こうとしてフランス革命を「フランス戦争」と書こうとしてしまった。

ちょっと受けたのはこんなことだった。 「英語100語ではろくな会話ができない、っていってますけど、だいたい昨今の中高生なんか、日本語でさえ100語も使ってないんじゃないんですか。 みんな『超むかつく』しかいわないでしょう。」


57 まりんきょ 2001 01/28 23:26
原子力発電所

住田健二「原子力とどうつきあうか」(筑摩書房)を読んだ。
ある日、行きつけの書店で非常に不安定な位置に立て掛けられていたので、気になって買ってしまったのである。内容は、JCOの事故の顛末と原子力の展望についてである。
読み進めていくうちに、著者はJCOの事故の対策の陣頭指揮をとった方であること、そして原発を推進するしかないと著者は主張をしていることがわかった。
腰巻きに「原子力との共生の道をさぐる」とあったのを見落としていた。買ってしまったものは仕方がない。学ぶところも多いはずだ。
一読した感想は、ことばのはしばしに推進派の強引なやり口がみえる、ということだった。一ケ所だけ挙げよう。p.31の、即発臨界の説明である。即発臨界の危機を脱する機構の主な説明の後で、カッコ内にいくつか他の機構も説明している。この説明が「…という特殊なうまい働きもある」という、いかにも心配ないですよと言わんばかりの自信にあふれた書き方である。結局、表向き心配そうにしていても、
根が楽観論者ならどうしようもないか、とこちらは不安に思うのだった。


56 まりんきょ 2001 01/03 21:27
書き初め

筆と半紙による書き初めはこの??年まったくしていない。
そのかわり、別のものを書いてみた。
コンピュータの設計には「デザインパターン」というものがある。
このパターンにはいくつかの種類があり、これらは互いに関連がある。
これらの関連を図示してみた本を買ったので図だけ清書してみようと思い付いた。
カレンダーの裏側を利用してパターンの名称をそれぞれ書いた。
そして、関連する名称どうしを曲線でつなぐ。その曲線をきれいに書くために、雲型定規を使った。
雲型定規を買ったのは 10 年以上前だが、まともに使ったのは今まで2回しかない。
今回が3度めだろうか。もっとも美しそうな曲線を選ぶのは慣れていないので大変だった。
たかが自分だけが利用する関連づけのための曲線でさえ、素人は悩むのである。
玄人の皆さんはどんなに苦労しているのだろうか。
それがわかっただけでも甲斐があった、少し変わった書き初めだった。


55 まりんきょ 2001 01/03 15:16
夢の続き 1月2日から3日にかけて見た夢

ある用件について話していると、急に緊急事態が発生したようだった。私が話していたある人も含めて、他の人たちは事態に気付いていないようだった。私はすぐにその建物を出た。迷った挙げ句に出た先は、工場の敷地であった。私が居た食堂のような場所は、実は地上のある建屋にあった。しかしその建屋は人気がないようだった。工場の敷地から出るべく門を捜しながら歩くと、割れガラスだらけの建屋だった。このような工場でも人が働いているのだと思いながらやっとのことで門を捜し出し、敷地から出ることができた。


54 まりんきょ 2001 01/03 15:15
1月2日から3日にかけて見た夢

私は会社にいる。ある人とゆっくり話したいと思ったが、どこも混んでいる。どこか人のいない場所がないかとその人に相談する。
その人は「ならば秘密の場所があるよ。案内しよう」という。
その人は、ビルの防火扉(ふだんは壁にはりついているが火気を感じると自動的に閉じる鉄製の扉)の取っ手を引っ張った。すると、張り付いていた壁に別の扉が見えた。その人はその別の扉をあけ、私を中に引き入れた。天井の低い、暗い通路を数分歩いた。着いた先は食堂のようだった。その食堂は確かに広く、採光も十分であったが、なぜか人がたくさんいた。なぜ秘密の場所に人がたくさん入るのかがわからなかったが、その理由をその人に尋ねるのははばかられたため私からはなにも言わなかった。


53 まりんきょ 2000 12/30 21:23
訂正

山田詠美の本の題名は、正しくは"A2Z"でした。


52 まりんきょ 2000 12/17 22:25
AtoZ を読む

山田詠美の"AtoZ"を読んだ。つれあいの口癖である「ちゃんちゃらおかしい」や
「食卓に座ると自動的に飯が出てくると思っている」という文句が、この本に多く出てきた。
つれあいに聞いてみると、この作品を読んだから出てきたのではない、ということだった。


51 まりんきょ 2000 12/17 22:24
ガキへの注意

二ヶ月程前、放置自転車で狭くなっている歩道を歩いていた。その狭い歩道の前に
3歳くらいの女児が立ちふさがり、前にいた老人に「このじじい、どかないぞ」と
叫んでいた。その可愛い顔と叫んだ言葉の落差に私は非常に驚いた。
私はこの女児の顔を見つめ、「そのような言葉使いはやめなさい。」
といった。女児はたじろいで脇に避けたので私は「失礼します」と言い残して先に進んだ。
女児の母親とおぼしき人が近くにいたが、この人は何も女児には注意しなかった。



50 まりんきょ 2000 11/26 22:40
ジョン・レノン・ミュージアムへ行く(つづき)

で展示の内容なのだが、私はあまりジョン・レノンやオノ・ヨーコやビートルズへの
思い入れがないので、ごく普通の感想をもった。
「有名人になると過去の通信簿も公開されてしまうのだな」とか、
「カッティングマシーンがごつくていいな。日本だったら歴史的価値のあるものでも
すぐ捨てられてしまうのかもしれないが」などと思っていた。
私は俗物であった。
一つ面白かったのが、ヨーコの展示物のコピーについてであった。
天井に小さく、活字で"Yes"と書いてあり、そこに照明が当てられている一角があった。
そのわきに、爪の先で引っ掻いたような、"No"と記された跡があった。
照明の角度と見る角度で見えたり見えなかったりするのがいい。


49 まりんきょ 2000 11/26 22:39
ジョン・レノン・ミュージアムに行く

つれあいの発作的提案により、ジョン・レノン・ミュージアム( JLM )に行くことにした。
つれあいがこのように今日決めて今日実行するというのは極めて珍しい。
場所はよくわからなかったのだが、きっとさいたま新都心というところだろうと
見当を付けていったら、その通りだった。
JLM は思ったよりすいていた。といっても待たずに切符が買えただけのことである。
入り口では、「中にはトイレがないので注意して下さい」というアナウンスがひっきりなしに
行なわれていたのがどこかおかしかった。
中に入ったらやはりそれなりの人がいた。
ちょっと戸惑ったのは、各小部屋の入り口であった。
狭くなっているにもかかわらずそこに展示物があるため、
人がそこに集中し、他の人の流れがさまたげられるのだ。まさにボトルネックであった。



48 まりんきょ 2000 11/06 22:34
足利に行く

かつてアルバイトの関係で一ヶ月ほど住んでいた足利につれあいと一緒に行った。
川が広くていい街であるが、つれあいの好きなスパゲッティ屋がなかったのが残念だった。
けっこうおしゃれなブティックがあるのは、織物関係で栄えた街だからなのだろう。








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