EVERY ONE OF US

エヴリ・ワン・オブ・アス; A:1.白い家 2.アッパーズ・アンド・ダウナーズ 3.セレナーデ・トゥ・ア・スィート・レディー 4.移民の少年 5.イヤー・オブ・ザ・グールー B:1.セント・ジェームス病院 2.ニューヨーク1963 ― アメリカ1968

『エヴリ・ワン・オブ・アス』はエリック・バードン&ジ・アニマルズの前2作に比べると、かなり趣の異なるアルバムだ。サイケデリック一辺倒になっていたエリックが、その影響から完全には脱していないものの、彼が本来追い続けていた黒人音楽へ揺り戻したかのような印象を受ける。僕がはじめてこのアルバムを聴いたとき、どこか地味で景気の悪い印象を持っていた『ウインズ・オブ・チェンジ』と『トゥエイン・シャル・ミート』よりも、ずっと気に入ったのを覚えている。この印象は、今でも変わらない。多少強引なアルバム構成ではあるけれども、この『エヴリ・ワン・オブ・アス』こそは、エリック・バードンが自分の個性を存分に発揮し、なおかつエリック・バードン&ジ・アニアマルズのメンバーたちが持てる力を注いだ傑作だと僕は考えている。なによりも、エリック・バードンのファンだという人にとっては最重要と言っても過言ではないアルバムだ。

『エヴリ・ワン・オブ・アス』は、それまではフラワー・ポップを意識するあまりにどこかぎこちない印象を与えていたエリック・バードンが、サイケに影響されるのではなく、サイケを自分の音楽を作る一要素にして、自分の音楽というものに再び目覚めたような、力強い印象を与えてくれる。メッセージ色が強いことは前2作のアルバムと同じでも、そのメッセージの質はかなり違う。それはより私的で、しかしそれだけに、他者のうけうりではない、強烈な説得力を感じるのだ。


一曲目の「白い家(White House)」は、世の中の矛盾を厳しく問いただしたメッセージ・ソング。きれいな家や建物が建設されているかと思えば、その一方ではぼろ家で子ども達は腹を空かせ、貧しい人の住居は朽ちていくがままにされている ― といった、きれい事を人はならべたてているけれど、本当に困っている人たちには何の手もさしのべられてはいない。この世は偽善だらけじゃないか、というエリックの怒りに満ちたメッセージだ。「They are crying out for love all the time but they fail to see the neighbors eyes」という一節には、サマー・オブ・ラヴの中に身を投じてはみたものの、それが一夜のばか騒ぎでしかなかったというエリックの自嘲的な皮肉ともとれる。それだけに、「You better get straight(頭にたたき込んでおいたほうがいいぜ)」と歌うエリックからは、それまでのメッセージ・ソングよりもさらに強烈な意志を感じる。

「セレナーデ・トゥ・ア・スウィート・レディ」は、エリック・バードン&ジ・アニマルズの演奏面で多大な貢献をしたジョン・ウィーダーの作品。ディストーションの効いた機械的な破壊力のあるプレイが魅力的なヴィック・ブリッグズとは対照的に、ジョン・ウィーダーの演奏は心に染みる、アコースティックな音色が魅力だ。「移民の少年(The Immigrant Lad)」は、エリックの自伝的な内容のものと考えていいだろう。炭坑町での生活から抜け出すためにロンドンへ出てきた「ジョーディー(タイン河周辺出身の人)」の少年の物語だ。煤けた炭坑町を飛び出してきた少年。だが、結局はロンドンでも自分を受け入れてくれる場所などはなかった、という内容だが、これはまさしく一人ロンドンへ飛び出したものの、大した成果も得られずに一度はニューキャッスルへと戻らなければならなかったエリックその人ではないか。そういえば、オリジナル・アニマルズ時代のヒット曲「朝日のない街」もまた、おなじような背景から生まれた曲だった。その続編と考えてもいいかもしれない。尚、この歌には対話手法が取り入れられており、会話をしているのはジョン・ウィーダーと、エリック・バードン&ジ・アニマルズのローディーをやっていたテリー・マクヴェイだ。

「イヤー・オブ・ザ・グールー」は、このアルバムの雰囲気ががらりと変わっている理由をほのめかしているのではないかと勘繰ってしまうような内容の歌。「グールー」とはこの場合、カルト宗教の教祖または導師といったところだが、あるグールーに従った一人の男が、様々な理不尽に悩まされたにもかかわらず、最後には自分がそのグールーになってしまうという皮肉な内容のものだが、「Gotta Get a guru」と歌うエリックは、もちろん本当にグールーを見つけて従ったほうがいいぜ、などと言っているわけではない。かってビートルズの面々が、マハリシ・ヨギに失望したのと同じく、ここにはエリックのグールーへの失望と皮肉が込められている。

サマー・オブ・ラヴの動きの中にあまりにものめり込んでいたエリックは、ここへきてその幻想から醒め、自分自身を嘲笑するかのようにこの曲を作り、歌った…というのは、考えすぎだろうか?

「セント・ジェームズ病院(St. James Infirmary)」は、古くはキャブ・キャロウェイ、そしてボビー・ブルー・ブラインドのヒットでも有名なニューオリンズの伝承曲。このあたりの選曲はオリジナル・アニマルズ時代にはあたりまえのように見受けられていたものだが、エリック・バードン&ジ・アニマルズ時代のアルバムでこうした曲がとりあげられたのは初めてのことだ。それだけに、エリックの黒人音楽への回帰という説もどこかしら説得力を持つのだが、実際にはライヴなどでは依然としてブルーズを取り上げていたから、それほど大騒ぎすることではないと僕は思う。それよりも、この曲のカヴァーのすばらしさに注目すべきだろう。バンド・メンバーの演奏・アレンジもさることながら、エリックの渾身のヴォーカルは見事としか言いようがない。この辺の力の入り方が気にいらない、という人もいるかもしれないが、これにハマってしまうともうエリック・バードンの魅力からは逃れることができなくなってしまうだろう。


そして、このアルバムで何よりも注目すべきなのが、ズート・マネーとの共作「ニューヨーク1963−アメリカ1968」(ちなみに、エリックが実際にニューヨークを初めて訪れたのは1964年…)。全長19分近いこの曲、「移民の子」と同じく、歌というよりも語りに近いスタイルで、対話手法を取り入れている。ここで会話をしているのはエリック・バードンとスタジオのテープ・オペレーター(名前は不明)だ。冒頭のエリックの独白ともいえる部分では、エリックの黒人音楽への憧れと、その憧れの象徴でもあるアメリカの地での印象的な思い出が述べられている。この「125番通りにあるアポロ劇場。そこは閉まっていた。そして雨が降っていた。私は是非とももう一度そこへ行こうという考えにとらわれていた。タクシーの運転手は私をまともじゃないと思った(何故なら、白人がそんなところへノコノコとやってくるなど考えられないことだったから)。(中略)黒人は私のヒーローでもあり、リーダーでもあった。彼らの変わったやり方、味わいは、私に大変な影響を与えた。私は、彼らのような音を出そうと必死になった。彼らが動くとき、稲妻のように動くとき(私もそうしようと必死になった)…」(『愛』SMM9053-54のライナー・ノーツに記載された訳を参考に編集してあります)。海の向こうの事件(これは、ベトナム戦争のことだろう)からセントラル・パークの情景へと移る過程は、思うにエリックが何故自分の音楽を変化させようとしたのかというきっかけが語られているのだろう。間に挿入された、どこか「スカイ・パイロット」を連想させる一兵士の会話もまた、エリックが何故メッセージ・ソングに情熱を注ぐようになったかを知る手がかりとして重要だ。ラストで延々と繰り返される、ズート・マネーとのフリーダム問答とでも言うべき掛け合いは、迷いに迷いながらも、自分の信念を貫こうとするエリックの心情をそのままさらけ出したものだと考えられる。この問答自体は、あまりにも抽象的すぎて僕には解釈しきれないのだが、これを解くヒントとして、この時期にエリック・バードンが残した次のコメントを引用しておく。

「まだ学校に行っていた頃から、私はレイ・チャールズやボ・ディドリーが最高だ、と言っていたんだ。他の人はボビー・ヴィーがいい、なんて言っていたが…。それから少したって私の正しかったことが証明されたのだ。ブルースが人気を得たのだから…。それが今になって、君はラヴィ・シャンカールや『スカイ・パイロット』をやっていないで、ブルースをやらなければいけない、なんてことを言われる筋合いではないさ。何かをはじめようとするとき、人が何て言うかを気にしていたら、まず絶対と言っていいくらい何も出来ないからね。それに、僕は意識して今のスタイルを取っているんだし…。最後目的に至るまでに必要な変化なんだ。これは…。」(『愛』SMM9053-54のライナー・ノーツより)


尚、『エヴリ・ワン・オブ・アス』には、ズート・マネーは本名のジョージ・ブルーノの名でクレジットされている。ズート・マネーの名を使うことを憚られるような事情があったのだろうか。ダンタリアンズ・チャリオットが不評だったことがその原因かとも勘繰ってみたけれども、真相についてはよく分からない。『エヴリ・ワン・オブ・アス』からは「白い家」がシングル・カットされているが、この曲でさえも、ほとんどコマーシャルとは言えないような内容であることからもわかるように、『エヴリ・ワン・オブ・アス』はとてもコマーシャルとは言えないような内容の ― 言ってみれば、私小説的な性格を持ったアルバムだった。イギリスのMGMがこのアルバムをリリースしなかった最大の理由は、エリック・バードン&ジ・アニマルズのアルバム・リリースがあまりにもハイ・ペースでついて行けなかったということなのだが(1968年だけで3枚のアルバムがアメリカMGMからはリリースされている)、『エヴリ・ワン・オブ・アス』のこういった内容も大きく関係していたものと思われる。

ERIC BURDON

HOME