ERIC BURDON DECLARES "WAR"

A : 1.THE VISION OF RASSAN;A)DEDICATION B)ROLL ON KIRK 2.TOBACCO ROAD;A)TOBACCO ROAD B)I HAVE A DREAM C)TOBACCO ROAD B : 1.SPILL THE WINE 2.BLUES FOR MEMPHIS SLIM;A)BIRTH B)MOTHER EARTH C)MR.CHARLIE D)DANISH PASTRY E)MOTHER EARTH 5.YOU'RE NO STRANGER


 1970年4月にリリースされたこのアルバムだが、当時はヴェトナム戦争の問題が取り沙汰されていたこともあって、そのグループ名とタイトルは、ちょっとした論議を巻き起こしたとも言われている。当時、国内盤のライナー・ノーツは中村とうよう氏が書いていたが、そこにも「皆がVサインを出してピースを唱えているときに、あえて3本の指をたて、宣戦布告する」ことは驚きだ、というようなことが述べられていた。70年といえば、ウッドストックも終わり、そろそろ60年代の「ラヴ&ピース」が、楽観的なばか騒ぎだったのではないか、と皆が気付き始めていた頃だったのではないかと思っていたのだが、この当時には、まだまだ過激なものだったようだ。グループ名を考えたのは、エリック・バードンとも、スティーヴ・ゴールドとも言われているが、はっきりしない。ゴールドシュタインによれば、それは

「世界の他の地域で何が起こっているか、ということについてのエリックの認識だったのだと思う」

ということだし、ハロルド・ブラウンによれば

「事実上、スティーヴが私たちのことをウォーと名づけた。彼は、私たちはギャングの一団のようだと言ったんだ。」

ということだった。しかし、その由来についての答えは、次のロニー・ジョーダンの言葉が正解だろう。


「私たちはグループ名を"ウォー"とン呼んだ。なぜなら、大規模な平和運動が起こっていたからね ―― もしその手の名前にしたら、誰も見向きもしなかったと思うよ。人は、『何でそんな(ウォーという)名前なんだ?』と、訊くだろう。そこで私は、自分達の戦いというのは、銃弾の代わりに、楽器を持って、人々に注意をよびかけることなんだ、とね。私たちは、戦争に対する戦争を行うんだ。実際、私たちの宣伝活動のスローガンは、『WAR IS MUSIC』だった。」


それでは、エリック・バードン&ウォーは何のために宣戦布告したのだろうか。

それはジャケットに明確に述べられている。

「WE THE PEOPLE, HAVE DECLARED WAR AGAINST THE PEOPLE, FOR THE RIGHT TO LOVE EACH OTHER」。

つまり、エリック・バードン&ウォーの言う戦いとは、「人類愛を守るための」戦いだった、ということだ。先述した、とうよう氏によるライナーにも、次のようなことが書かれていた。

これは「人間主義宣言なのだ」、と。


 アルバムの内容を少しみておくと、まずA面一曲目のメドレー後半部は、ローランド・カークに対するトリビュート。このアイデアは、エリック・バードンが出したもので、ハロルド・ブラウンは

「あの曲は、ローランド・カークへのトリビュートだったんだ。エリックは、私たちにカークの音楽を教えてくれた ―― 彼はいつもどこかに私たちを座らせて、違うものをかけていた。彼は、私たちを音楽漬けにしたんだ」

と語っている。この曲に限らず、エリックがウォーの面々に与えた影響には、無視できないものがある。B面1曲目は、エリック・バードン&ウォー、そしてウォーにとっても最大のヒット曲、「Spill The Wine」(全米3位)。この曲などは「バンドのジャムに、エリックが即興で詞を乗せる」という、エリック・バードン&ウォーの演奏スタイルの典型にして最高の成果を残した、名実ともに代表曲といえるものだ。

この曲が作られたときのエピソードを、ハロルド・ブラウンは次のように語っている。


「ある晩、ウォーリー・ハイダーにいたとき、ロニーがコンソールの上に大瓶のワインをぶちまけてしまった。それで私たちは別のスタジオへ行った。そしてエリックとジェリーが話し始め、誰かが『このことを歌にして、災い転じて福となすのはどうだ?』と言ったんだ。歌詞に出てきたストーリーはエリックが考えて ―― そして、曲の中でスペイン語をしゃべっているのは、全部エリックのガールフレンドだ。」


この女性の語りについては、ジミ・ヘンドリクスのガールフレンドだったという説もあるが、いずれにしても名前まではわからない。また、その詞のストーリーについてのエピソードは、'99年にリリースされた『Live At The Coach House』というドキュメンタリー風ライヴ・ビデオの中でエリック・バードンが語っていたりもする。これはDVDとビデオ、両方リリースされているので、興味のある人は一度観てみてはいかがだろうか。そして、B面2曲目は、メンフィス・スリムに捧げるメドレー。

ハワード・スコットによれば、

「エリックが、『マザー・アース』を持ってきたんだ。エリックがフランスで出会ったブルース・ピアノ・プレーヤーのメンフィス・スリムがこの曲をやっていた。そして、エリックはこの曲を彼に捧げていたものだった」

ということだ。かつてオリジナル・アニマルズ、エリック・バードン&ジ・アニマルズにおいて、そのファースト・アルバムでエリック・バードンは自分の尊敬するアーティスト達への敬意を表し、自らの音楽的出自を、その音楽観にからめて歌ってきた。ここでも、そのような試みが行われていると見ていいだろう。エリック・バードンとウォーの演奏、そして歌はそれまでのいずれの曲よりもクールで、それでいて引きがある。さらに、ここでは『EVERY ONE OF US』に収録されていた「NEW YORK 1963 - AMERICA 1968」のように、人の生き様に対する彼なりの人生観が述べられている。「人は母親の穴から生まれ、そして母なる大地の穴へと帰っていく」と歌うこの歌は、それまでになくシュールなものだ。最後に、劇的な(演出過剰気味のように感じなくもないが)銅鑼の音が鳴り響いたあと、聴くものを穏やかに包み込むようなゆったりとした曲、「You're No Stranger」でこのアルバムは幕を閉じる。詞はウォーのメンバーによって書かれたものだが、曲自体はそもそも存在していたものらしい。法的な問題から、このアルバムのリイシュー盤のなかには、この曲が削除されたものもあるというが、僕はそれを見たことがない。


 蛇足ながら、ファースト・アルバムには、エリック・バードン&ウォーのローディーを務めていたヒルトン・ヴァレンタインにスペシャル・サンクスが送られている。このほかにも、ヒルトン・ヴァレンタインはウォー単体でのファースト・アルバム、『WAR』(AVENUE R2 71041)収録の一曲、「Back Home」において、作詞面で協力していると言われている。

ERIC BURDON

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