John Steel

 アニマルズのオリジナル・ドラマー。1957年、アニマルズの原型 、
ペイガン・ジャズメンのメンバーになったことでエリック・バードンと
知り合う。1966年、アルバム『animalisms』のセッションが終わった
頃にアニマルズを脱退。故郷に戻ってブティックを経営していたが、
1968年末のチャリティ・コンサートでオリジナル・アニマルズの再結成
が行われたのがきっかけで、一時期はチャス・チャンドラーの相棒として音楽
業界に関わっていた。チャスは既にジミ・ヘンドリクスと別れていたが、
スレイドはまだ無名だったころからチャスとジョンが育てたバンドだ。ジョン
はスレイド担当だったという。

 また、アメリカのバンド、エッグズ・オーバー・イージーがデビュー前に
渡英していたとき、このバンドのドラマーを務めたのはジョン・スティール
だった。チャスにアルバムをプロデュースしてもらおうと考えていたエッグズ
はこのとき、ドラマーが居なかったためにジョンが事実上のメンバーとして
リハーサルに参加していたらしい。エッグズは後に帰国、ジョンはメンバー
の誘いを断ってチャスとのビジネスを続けている。アメリカへの帰国後、
エッグズ・オーバー・イージーがリリースしたアルバムの裏面には、小さいが
はっきりとDedicated to John Steelと記されている。

1978年にはマネージャー業からも手を引き、薬品関係の仕事を行う傍ら、アマチュア・バンドに参加。
1993年、自分のバンドのヴォーカリストが辞めてしまって活動できなく
なったところに、、ヒルトンがジョンを誘ったことでアニマルズ2が発足。
正式にアニマルズ2が活動を始めたのは1994年になってからのことだ。
1999年1月には来日、衰えぬプレイを披露してくれた。

2001年7月、アニマルズ2は解散。ジョンはデイヴと共に、Animals & Friendsとして活動を続けている。

2003年6月、デイヴ・ロウベリー他界。冥福を祈ります。

2004年4月現在、デイヴの後任はアラン脱退時のアニマルズのサポート・メンバー

としてツアーに参加した、元ブロックヘッズのミッキー・ギャラガーが勤めている。

animalisms

home