New York on April 2-4, 1999

 

ダコタ・アパートメント (Dakota Apartment) 

ニューヨークを訪れることに決めた理由として、アメリカに来たからには、ここを訪れなければならないという義務めいたものが自分の中にあったような気がする。音楽評論家の松村雄策さんが「ホテルからは歩いて行かなければならないような気がした。」と、言っていたが、確かに、そんな気がした。ホテルからは20分ほどの距離だったのだけれど、近づくに連れて、何とも言えない物が込み上げてくる。何だか大袈裟なような気もするが、そんな感じがした。

もちろん、ここはジョン・レノンが射殺された場所である。ジョンが音楽活動を停止して、家族と生活していた場所である。晩年は、ポールも訪れるようになり、長年に渡った冷戦状態に終止符が打たれようとしていたそうである。

ジョンが射殺された時、まだ高校一年生だった。その時は、何だか事態がよく分からなかった。射殺されても目の前にはレコードがあるし、ターンテーブルに載せれば今まで通りに声が聞こえるのだから、全てが自分の前から消えた訳ではなかった。確かに、いわゆるビートルズ世代ではなく、ビートルズが解散した後に聴き始めた世代である。1980年は、5年ぶりに新作を発表した年であったが、その5年前は小学生である。同時代人として、生きてきた世代ではなかった。全て溯って音楽を聴いていた訳だから、射殺されたと聞いても何だかピンと来なかった。そして、この衝撃が実感できるまでには、長い時間が必要だった。あれから約20年が経ち、やっと時間の帳尻が合ってきたような気がする。

その場所に着いた。別に普通のアパートである。確かに高級なアパートで、ちゃんと門番がいる。その点は確かに我家とは違う。でも決定的に違うのは、色々な人が、そこに立ってボーッと立ちすくんでいる点である。我家の前で、そんな人がいたら、即、警察に通報すべきであるが、ここではボーッと立ちすくんでいるのが普通である。こんなところでヤマンバ高校生がタムロしていたら、銃殺されるに違いない。

 

自由の女神 (Statue of Liberty)

皆さんご存知のアメリカの象徴「自由の女神」です。昔、欧州から米国へ船で入国する際、この近くに入国管理室があったそうです。ですから、移民を真っ先に出迎えたのが、この「自由の女神」でした。ここに来ると映画「The Godfather Part2」を思い出します。少年時代のビトー・コルレオーネがシシリー島から米国へ移民する際、この「自由の女神」が象徴的に描かれています。シシリー島で家族を失ったビトー少年が、失意の中、アメリカに辿り着く。その際、天然痘にかかっていたビトー少年は3ケ月間、隣のエリス島に隔離される。その病室でイスに腰掛け、その窓から「自由の女神」を眺め、歌を口ずさむ姿が何とも言えず郷愁を誘うのでした。

アメリカに入国する際の現在の象徴は、入国審査官の意地悪な質問ぐらいです。非常に機械的に、淡々と執り行われるため、何とも味気ないものです。日本からの飛行時間が長いと言っても、船での航海と比べれば、アッと言う間です。命を懸けて、自分の人生を変えに、アメリカに渡ってきた昔の人達とは意気込みが違います。

多少、趣は違いますが、ここを訪れる外国人観光客の中には「おーっ! これがアメリカだ!」というノリは確かにあります。でも、やっぱり、自由の女神は船から眺めるのが一番です。リバティー島に渡ると、そこは単なる小学生の見学旅行先に過ぎないことが分かります。先を急いで自由の女神に登っても面白くはないのです。自由の女神、移民達の女神に登ってはいけません。

 

ワシントンスクエア (Washington Square)

グリニッジビレッジの中心にある広場で、ニューヨーク大学がすぐ近くにあります。その為か、キャンパスの一部のような雰囲気があり、市民の憩いの場にもなっています。家族連れがここで寛ぎ、パフォーマーなどが見られます。

映画「恋人達の予感」で、このワシントンスクエアを観ることができます。シカゴ大学を卒業したハリー(ビリー・クリスタル)とサリー(メグ・ライアン)は、ひょんなことから、車でニューヨークに上京することになります。初対面の二人が道中、決して意気投合はせず、ここで別れ、その5年後再会し、更にその7年後、二人は結ばれます。それにしても、ハリーはニューヨークに、カバンふたつと野球のバットを持ってくるのですが、なぜバットなのか? 未だに疑問が残る点です。