ともだちのWA
遥が生まれてから、本当に色々な事が有り過ぎるほどあったけれど、新太郎の時には無かったことがひとつだけある。
それは、色々な人に出会えて、しかも “お近づき”
になれたことである。それは新太郎の時も、かかわった人たちは沢山いたけれど、この
“お近づき” と言うのはさすがに無かったのである。 |
遥と誕生日が同じ、つまり同じ日に赤ちゃんを産んだ(大人を生む人はいないか)お母さんのうちのひとりの方とは、家内は親しくしてもらっているようである。
それともうひとり、NICUで毎日顔を合わせていたお母さんとも、すっかりお友達になってしまったのである。そう、いわゆる
“ 家族ぐるみのお近づき ” なのである(ん?家族ぐるみのお付き合い、かな?)。今では家庭菜園(などと大げさに言うほどのものではないけれど)のご指導まで頂いて・・・・。この人は何でも知っているスーパーおかあさんなのである。 |
一般の人は一生のうちに何人の人と言葉を交わせるのだろうか?人口一億何千万のうち、おそらく1%、いや0.1%、いやいや0.01%にも満たないだろうと思うのである。そんな中で遥が生まれたおかげで、病院の先生方や看護師さんたち、そしてご家族の方など、より多くの人たちと接することができたのである。これはとてもいいことなのである。せっかくの人生、ひとりでじっと生きていくより、より多くの人たちと係わり合いを持って過ごしたいものである。
ともだちのWAは、『輪』なのである。そして『和』なのである。 |
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