2005年その8                  ラテンアメリカ映画リストへ  ラテンアメリカ軍事独裁簡易年表


小説家をみつけたら Finding Forrester (2000年 アメリカ)

最初に書いた小説がピューリッツァー賞をとったが、以後40年だか本をだしていない作家と
父親不在(ドラッグ漬け)のブロンクスに住む本好きの16歳の黒人少年、ふたりの間に
芽生えた尊敬と友情、そして未来。
わかりやすいストーリーだが、とてもほっとして優しい。

町の様子、公立校、私立校、カメラの描写が澄んでいて美しい。
あからさまではないが常に潜んでいる人種差別のなか、文学の天分がある少年は
自分を探している。老小説家は自分を探す事を放棄している。
ふたり共が関わり合いの中で強くなり、自分自身を見つけ出す。

世の中はくそったれかもしれないけれど、捨てたもんじゃない。
夢を持って生きる価値がある。。そう思えてくる。

最後に老小説家はとうとう2冊目の本を書き上げた。
そしてその序文を書くことを少年に託す。
素晴らしい贈り物だ。とてもとても素敵なラストだ。

音楽がこれまたとても良かった。
(2005.06.21)

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ビフォア・サンセット Before Sunset (2004年 アメリカ)

ビフォア・サンライズ(恋人までの距離)から9年。作品発表も9年だし、物語としても9年。
主人公たちのその後のリアルな物語だ。

前作を含め、これはもう、好きか嫌いか、どっちかしか無いという作品じゃないだろうか。
もちろん、わたしは大好きなんである。

9年たったあとの再会、気持ちのさぐりあい、人間まるごと理解したいと思う激しい要求、
相手への怒り、自分への怒り、足りない時間。。
前作もそうだったが、ヒロインセリーヌ(ジュリー・デルピー)の思考回路がほとんど
そのまま自分をみているような気になる。セリフのひとつひとつ、動作のひとつひとつに胸が痛む。

ジェシー(イーサン・ホーク)とセリーヌの姿を借りて、実際は普遍的な人生の痛みをうたっているから
これほどずきんとくるんじゃないかな。
届かなかったもの、あきらめたもの、すれ違ったもの、もし、あの時ああだったら、、という思いが
誰しもあり、本当は実際よりも美化させているのかもしれないし、いや本当にそうなのかもしれないし、

時間だけは厳然と過ぎていき、自分たちは気づくと少しずつ若さを失い老いている。
若さや愛を描いた前作から9年の時間が意味をもって迫ってくる。まだ間に合うのか、
それとももう間に合わないのか。いや、これは単なる気の迷いか?

最後に近づくにつれ、とめどもなく涙が流れ始めた。別に悲しいわけじゃないのに
なんで自分は泣いているんだ。もどかしく切なく、あきらめと希望の間で揺れて
自分自身の80分を過ごしたからだ。この映画の時間は、わたしの時間でもあった。

美しいカメラ、太陽の光、計算尽くされているんだろうが自然な会話、
ジュリーの歌、すべてがとても好きだ。
(2005.06.05)

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ウイスキー Whisky (2004年 ウルグアイ、アルゼンチン、独、西)

じっとりと心に残る映画だった。
日本の宣伝は、滑稽でハートフル、みたいな宣伝じゃなかっただろうか?
ともかく、わたしはそういうイメージを見る前は持っていたが、見終わると
全く違っていた。ウルグアイの取り残された状況へのもどかしさを強く感じると同時に
最後の姿が自分の影絵かのように感じた映画だった。

ウルグアイ、モンテビデオで靴下工場を営む男ハコボがいる。60代ユダヤ系、病気の介護を
続けていた母親が最近亡くなった。
ハコボは判で押したように同じ日々をくりかえす。朝日も昇らないうちから出勤し、工場近くの食堂で
朝食を食べ、7時25分に工場のシャッターをあけ、電気のスイッチを入れる。
いや、ハコボに限らない、
食堂の男は毎朝同じギャグを言うし、工場のベテラン女工マルタもまた、まったく同じ日々をくりかえす。

確かにこの繰り返しが、滑稽である。おかしみがある。不思議と飽きない。
決まりきったことに安心感があることも伝わる。
だが、おかしみもやがて悲しき現実かな・・である。
食堂のつかない蛍光灯、工場の古びた機械、こわれたブラインド、すべてが煤けていて遅れている。
セリフも何もない、とてもシンプルで省略に省略を重ねた映画だが、紛れもなくこれは古く取り残された「ウルグアイ」を象徴している。

そこに登場するのがブラジルに住むハコボの弟エルマンだ。
母親の葬式に出れなかったので墓石をたてる式に出席するという。
かれは陽気で、屈託なく、ブラジルで靴下工場を成功させている。

マルタに仮の妻を頼むハコボ。なぜ妻が必要か、などの説明は全く無いし、
そんなものはどうでもよいのである。
新しく成功した姿の弟と、変化を嫌い古びて頑固な兄の間にマルタが加わり、
数日間だけのおかしな共同生活が始まる。

見ている者の期待どおり、マルタは変化する。
脚本もうまく、微妙な気持ちの扱い方など上手い。
一方、かたくななほど、ハコボは変わらない。せっかくだからと海辺の町へ行き、
豪華ホテルで2泊したとき、彼は少し自分の殻から抜け出そうとしたかに見えたが・・

極めつけは、エルマンがハコボに渡した大金だ。
母の介護を手伝わなくてすまなかった。工場にもっと新しい機械を導入してくれ、などと
言うエルマンの金を、ハコボはルーレットに賭ける。
彼は、お金を工場や自分の車などを新しくすることに使わない。

初めてやった大博打で、予想に反して大儲けをするが、その金をマルタにあげてしまう。
これは何も関係を深めようとか、感謝とかではない。
変化を強制する、この無言の圧力の「お金」をマルタに押し付けたのではないだろうか?
かれは変化することの責任から逃げているんじゃないか?

俳優、脚本、カメラ、どれもがとてもよい。滑稽でユーモアも忘れないが、ほろ苦い。
煤けた映像がとてもなじんでいて、小道具もまた素晴らしくマッチしていたので、
まさか監督脚本家が30代の若者で、靴下工場など知らないという事実に驚いた。
これは若者から母国ウルグアイに向けたメッセージなのかもしれない。

さて、
見終えてしばらくすると、この古臭くて変われない「ウルグアイ」が
まるで自分自身の姿のような気がしてきた。
変化への声が聞こえないフリをして、決まりきった日々を生きている自分が
実はハコボのように思えてきた。

何度も見たくなる映画だ。

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No one writes to the colonel  El Coronel no tiene quien le escriba
 (1999年 メキシコ、フランス、スペイン)



「没人写信給上校」という中文と英文の字幕があるDVDで鑑賞。
邦題は「大佐に手紙は来ない」。
(その後米アマゾンでも売っていること判明)
ガルシア・マルケスの原作では舞台はコロンビアだそうだが、
映画はアルトゥーロ・リプスタイン監督の下、メキシコの小さな町になっている。

おそらく、原作にはもう少しマジカルな要素があるのではないか?と思うが、
映画は写実的で重たくて、あまりマジカルな雰囲気はない。だが、振り返って見ると、
これは人間が主役ではなく「雄鶏の物語」だった。そう考えると奇妙な物語だと
いえなくも無い。

27年と8ヶ月、年金を待ち続けている「大佐」とよばれる男がいる。毎週金曜日、
桟橋で船を待ち、自分宛ての郵便物が無いかどうか確かめる。
食べるものにも事欠く暮らし、病弱な妻。。

彼らには息子がひとり居たのだが、闘鶏に関わるケンカで命を落とした。
彼らに残されたのは雄鶏一羽と多額の借金。息子の墓をつくるために家を担保に借金を
したのだが、返済の期限がきても金を返すあてもない。
それどころか、食べるものも無く、憐れみをかけられたくないからと、雑草を大鍋で
煮て、いかにも料理をつくっているフリをする有様だ。

妻は映画館(というほどじゃないが)に、いつもお金を払わずに入り、
出て行けっとなじられても知らんふりする。痛々しくて可哀相な女という感じでもないのだ。

打ちのめされて、心臓が捩れるほどどん底な映画で、とにかく、貧しくて貧しくて、
餓えを待つ日々、
ありもしない夢を抱えて頑迷に待ち続ける夫と、その夢を共有しているかのようでいて
時には現実的になって夫をなじる、いかにも「女」の妻。

さて、どうにもいかなくなり、大佐はいったんはこの雄鶏を売るが、寂しくてたまらず、
取り戻そうとする。
大佐と妻は、このとき、この時初めて、行動に出る。
年金を待ち続けていた自分は間違っていた。
お金のことを口にだすのを恥ずかしく思っていた自分は間違っていた、と
雄鶏を取り戻すためのお金を算段し、人生に積極的に働きかけたかと思ったが・・・

雄鶏がいつかもたらす大金を夢みる大佐。
雄鶏にすがりつきながらも、雄鶏を憎む妻。


希望がヒトを食い物にしている、そんな気がした、やるせない話だった。
対比にカトリック教会や神父がでてくるのだが、これもある意味死後の天国を餌に
ヒトを食い物にしていると言えなくもない。カトリック教会を大変嫌う大佐だが、
実は同じことをしているのではないか?

物悲しいというよりも、とことん消沈してしまった。この話が見るに耐えるのは
役者の演技が素晴らしいのと、映像が素晴らしいからではないか?
ななめに差す光、セピア色、室内の小物、とても美しいカメラワークだった。
(2005.06.28)

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バッドマン Batman (1989年 アメリカ/UK)

ティム・バートン監督、マイケル・キートン、ジャック・ニコルソン、キム・ベイシンガー
ありゃまぁ〜。こんなに面白いものだったとは、もっと早くに見ておくんだった。

わたしはTVで毎週「バットマン」をみていた世代なので、バットマンというと
ピチピチタイツのおっさん、というこっぱずかしいイメージがつきまとっていた。
調べると、昭和41年〜43年、バットマンは、「ウルトラQ」や「ウルトラマン」と
同じ頃に放送されていたのだ。げげ、そんなに昔だったか・・・(大汗)
広川太一郎さんの声のバットマンと、太田博之くんの声のロビンはちょっととぼけた味が
あり、あの特徴あるメインテーマ、ばばばばばばばば(8回)ばばばばばばばば(8回)
ばっっまーん! も、格好良いのか、オバカなのか、微妙な味わいだった。

前置きが長くなったが、そういうわけで敬遠していたバットマンだったが、今頃になって
映画をみて、怪しいブレードランナー的雰囲気たっぷり、ミステリアスなダークヒーローに
すっかり満足した。根暗なマイケル・キートンが予想以上にバットマンにはまっていたし、
ジャック・ニコルソンのはじけっぷりも大満足。ノスタルジック美人のキム・ベイシンガーも
ぴったりだった。
ティム・バートン独特のファンタジーワールドだ。


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バッドマン・リターンズ Batman Returns(1992年 アメリカ/UK)

ティム・バートン監督、マイケル・キートン、ダニー・デヴィート、
ミッシェル・ファイファー、クリストファー・ウォーケン

下のに続けて、これを見たが・・
う〜むむ、なんていうか、変だ、とっても変だ、下の第1作は映画として
まとまっていたと思うが、こちらはストーリーとしてはまとまりが弱くて、
その代わりに「恨み」がこもっている。フリークの哀しみや怨念は全開するし、
対峙する一般大衆って奴らも浅はかで意地汚い。

こんなこと言っちゃお終いだけど、こんな大衆を救う価値なんてあるんだろうか?
バットマンの存在意義は、はなはだ心もとない。
いや、違うのか、そうじゃない?
彼は弱き正しき者を悪の手から救う、なんて考えちゃないのかもしれない。
古い日本人的嗜好のわたしは、「月光仮面のおじさんは〜、せ〜いぎ〜のみ〜かた〜だ〜」
と、かよわき者を助けてくれる正義の味方を求めてしまうが、
このバットマンは、正義の味方ってのと微妙に違う。
守るべきものが無いのに、なぜだか戦う。
自分の内にある怒りのために戦っているだけなのかもしれない。


個人的には、へへへ、クリストファー・ウォーケンが、いやぁ〜ん、素敵だ、
くらっときちゃったわ(爆)。
劇中の彼は、どうみてもあんなデカイ息子がいるとは思えんかっこよさ。
すわった目、たてがみのような銀髪、やられた。。
思わずクリストファー・ウォーケンをせっせと検索してしまった(笑)。

するってぇと、【踊るクリストファー・ウォーケン!】 のページに行き着き、
どっしゃ〜、クリスは踊る、踊る、ははは、すごいダンサーなんだ〜、大受け!
そうか、元々10才からショービジネスの世界に入ってる人なのね。
見る気があまりなかった「キャッチミー・イフ・ユーキャン」も彼が踊っていると
いうので、借りてみようかと思った(爆)。

バットマンの予習は第1作だけで十分だったが、こんな横道を発見できるから、
それはそれなりに楽しい。


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バットマン・ビギンズ Batman Begins (2005年 アメリカ)

ハナマル!!!

イギリス人監督クリストファー・ノーランに、主役はウェールズ生まれのクリスチャン・ベール。
脇を固める主要な役者は、マイケル・ケインに、ゲイリー・オールドマン、トム・ウィルキンソン(UK)
リーアム・ニーソン、キリアン・マーフィー(アイルランド)ルトガー・ハウアー(オランダ)
渡辺謙(日本)
アメリカ人なのはモーガン・フリーマンとケイティ・ホームズくらいじゃない?

アメコミのヒーローともいうべきバットマンの映画だというのに、
主要な白人男性にアメリカ人がいないという、なんとも不思議なアメリカ映画だ。

さて、これはアクション映画ではないし、ダークファンタジーワールドでもない。
青年が苦難を乗り越え大人の男になるという伝統の成長譚であり、そこに犯罪被害者、
トラウマ、テロリズム(目的が正しければ暴力は是か?)などの現代的テーマが
しっかりと織り込まれた人間ドラマなのである。

痛快なアクションを求めて観に行く人はがっかりするだろうし、
悪人退治を期待する人もがっかりするかもしれない。
(渡辺謙を観に行く人は、相当がっかりするだろう)
とにもかくにもこれは生身の人間の葛藤を描いたちょいともの悲しいドラマなのだ。

原作を愛する人に受け入れられるのかどうなのか、わたしには全く分からないが、
少なくとわたしは、おおいに気に入って深く感じ入ってしまった。

両親の殺害、残された苦しみ、怒り、罪悪感(あのとき自分がああしなかったら)に
とらわれる主人公ブルース・ウェイン。
彼がなぜ武道に通じ、なぜコスチュームを身につけ、なぜバットマンになったか、
これがドラマのなかで十分に納得できる。
前半の部分にでてくるモチーフやセリフが、後半に何度も繰り返される。
これが実にいい。心に残るセリフがいくつかあり、泣かせる。

クリスチャン・ベールのかたく結んだ口元を思わず見てしまう、、素敵だ。
深い決意と哀しみをたたえている。

こうもりが乱舞するシーンが美しい。耳を聾するほどの音なのに静寂の世界のようだ。

暴力とは?復讐とは?正義とは? バットマンは何のために戦うのか?
まさに下にわたしが書いた疑問にこの映画は答えていた。


見るべし!見るべし映画なんだが、一部、JR福知山線事故を彷彿させるシーンがあり、
人によっては大きなショックを受けてしまうかもしれない。注意されたし。


# クリスチャン・ベール、激やせしたポスターがあまりにインパクトありすぎて、
彼が上腕の筋肉をみせたシーンでは思わず、本当? CG? と思ってしまった(爆)。
# キリアン・マーフィー、気になります、ええですねぇ〜。
# バットモービルがすごいのだ。ステルスになるってのが、ツボだったわ・・
(2005.07.03)


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