Rail Story 9 Episodes of Japanese Railway

 ●新宿駅の怪 2

以前も取り上げたが、新宿駅といえば日本一の大ターミナルであるのは言うまでもない。
この駅が生まれたのは明治18年3月1日、赤羽-品川間を開業した日本鉄道品川線を開業した時だったが、続いて甲武鉄道が甲武線新宿-立川間を開業して、現在の巨大ターミナルへと続く歴史が始まった。のちに両線は国に買収されて現在のJR山手線、中央線となっているが、どちらも元は私鉄路線だったのだ。
のち京王線、小田急線なども新宿を基点に路線を拡大、新宿駅は大きくなっていく。現在も南口の再開発や地下鉄13号線建設工事が行われているが、驚くことにその計画はかなりの昔に出来ていた。

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「もはや戦後ではない」という言葉の下、日本は国民が一丸となって復興に努めたが、結果として残ったのは朝夕の通勤ラッシュだった。東京とその近郊の国鉄路線には茶色の旧型電車が大挙走っていたが、戦前・戦中からの疲れも引きずっていて改善が望まれていた。特に中央線はラッシュ時2分間隔で、旧型電車では限界に達していた。
昭和32年、中央線に登場したオレンジ色の101系電車は新型構造の高性能車で、加減速性能に優れスピードアップを実現した。のちにこの電車は山手線にも進出したが、こちらは中央線に比べ駅の間隔が短く、電車は加減速性能よりも経済性を求められる結果を生んだ。これらのことから、国鉄は電車の性能だけに頼らず、混雑の酷い東京付近の抜本的な輸送改善を行う必要を感じ、昭和36年度に始まった国鉄の第二次5ヶ年計画の中で「通勤5方面作戦」と銘打った大規模な改良計画が始まった。

その計画は、基本的に路線を複々線化して電車の増発を図ろうというものだった。次の5路線がその対象となり、早速着工されることになった。

東海道本線 東京-小田原間
中央線 中野-三鷹間
東北線 赤羽-与野間
総武線 東京-千葉間
常磐線 綾瀬-取手間

この時点で東海道本線は既に平塚までが複々線化を終えており、東京-大船間を共用していた横須賀線の分離と、鶴見-東戸塚間に貨物線を建設する方向に変わって本格化はもう少し先の話となり、平塚-小田原間の複々線化が行われた。
中央線は地下鉄5号線(現在の東京メトロ東西線)との直通運転とも絡み比較的早期に完成したが、東北線のほうは上野駅の拡張が出来ないため完全な形にはならなかった。
総武線では東京-両国間は線路を増設する余地がなく後に地下線での開業となったが、それまで山手線と交わる秋葉原駅では駅のホームが人で混雑して危険なため、ピーク時は総武線の電車を駅の手前で一旦止めて混雑を和らげた後、電車を駅に入れるという苦肉の策も取っていたようだ。千葉方はとりあえず津田沼までの工事が行われた。
常磐線も中央線同様営団地下鉄(現:東京メトロ)千代田線との直通運転の絡みでの線路増設となったが、いざ直通運転が始まると、北千住駅での快速電車乗り換えは予想を超えた混雑を生み、それまで国鉄の駅だった綾瀬駅は営団に移管されて地下鉄直通電車しか停まらなくなり利用者からは大ブーイング、ついには「迷惑乗り入れ」なる言葉が生まれたという。

国鉄の通勤5方面作戦は、昭和40年から昭和46年にかけて行われた第三次長期計画に継続されひとまず出来上がったが、さらなる計画の遂行は武蔵野線の建設を待たなければならなかった。しかし国鉄はこの頃、新宿を中心とした郊外への新規路線による「新・通勤5方面作戦」を計画していたのだ。

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東海道新幹線の成功は、昭和45年の全国新幹線整備法制定に結びついた。これには現在の東北・上越新幹線や北陸新幹線の一部である長野新幹線はもちろん含まれていたが、将来はリニア方式になりそうな中央新幹線も、この時は他の新幹線と同じ規格だった。
しかしこれら各新幹線を全て東京駅へ集中出来ないと考えた国鉄は、上越新幹線・北陸新幹線・中央新幹線を新宿発着とする計画を立てていた。というのも、当時はまだ成田新幹線の計画もあったため、そちらを東京発着とすることになっていたからだ。結局成田新幹線は実現せず在来線と京成の乗り入れという結果となり、東北・上越・長野新幹線の東京駅新幹線ホームは在来線ホームの明け渡しや重層化により事足りている。
でもこの計画がそのままの形で進められていたら、現在新宿駅には間違いなく新幹線ホームが存在しただろう。ただ、中央リニア新幹線がめでたく開業に漕ぎつけた暁には…。

昭和47年3月1日、都市交通審議会の答申は東京の地下鉄新路線建設を打ち出した。この時は10号線(現在の都営新宿線)、12号線(現在の都営大江戸線)と、現在建設中の13号線が計画されていたが、今までの例なら計画途中で経由地が変更になったものが多い中、3路線とも昭和47年の計画そのままで開業、もしくは工事中という珍しい路線で、しかもこれらの路線は全て新宿を経由するというのも不思議な話である。

目下地下鉄工事中の明治通り
地下鉄13号線工事中の明治通り

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通勤5方面作戦、新幹線乗り入れ構想、各私鉄路線の拡充に地下鉄路線の新設と、新宿は巨大ターミナルになるべきしてなった駅でもある。国鉄は昭和50年、新宿駅の将来構想を発表した。

それによると今の西口は既に再開発を終えていたため東口と共にほぼ現在の姿のままとされたが、この部分は「北部ターミナル」と呼ばれていた。現在のルミネ1は新宿ターミナルビルの名で建設されていたが、現在の南口は少し北にセットバックした形で北部に含まれていた。

ルミネ1 ルミネ2
「新宿ターミナルビル」という名だった
ルミネ1
もう少し北にあるはずだった
ルミネ2

甲州街道を挟んで今の新南口は「中央ターミナル」となっていた。奇遇というか、この構想では今のタカシマヤのところに「総合交通センタービル」が建設される予定だった。これは新幹線に対応するためのものであったが、当時新宿駅のこの場所は貨物駅だった。跡地の利用という点ではタカシマヤと同じだが、武蔵野線の開業により昭和59年1月31日には実際に貨物駅が廃止されており、どちらもそれを見越した計画だったと言える。
さらに渋谷方には「南部ターミナル」が予定されていた。これはもう代々木駅をも含んだもので、現在の都営大江戸線との接続が考慮されたものだったが、さらに「新・通勤5方面作戦」の一つ、中央-総武方面開発線の接続も考えられていた。

タカシマヤ タイムズスクエア 代々木駅方向を望む
「総合交通センタービル」そのままの
タカシマヤ・タイムズスクエア
さらに「南部ターミナル」が
代々木駅にまで達していた

さすがに新幹線と中央-総武方面開発線は実現しなかったが、現在は新宿南口地区基盤整備事業が進められている。これは甲州街道の南側にペデストリアンデッキをつくることになっているが、形は多少違うもののこれこそ将来構想に存在していたものに近い。
また将来構想ではさらに今の南口である北部ターミナルへもペデストリアンデッキが続いていたが、これは実現しないようだ。だが現在のサザンテラスとタカシマヤの間の橋は…既にこの構想に含まれていたものだった。

工事中のペデストリアンデッキ
現在工事中のペデストリアンデッキは
既に計画されていた

このように新宿駅は奇妙なほど現在の形に似た、大掛かりな再開発が考えられていたのは驚くばかりだ。

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さて「新・通勤5方面作戦」だが、これは新宿を中心に東北-東海道方面開発線、中央-総武方面開発線、常磐方面開発線の3線が計画されていた。中央-総武方面開発線は幻に終わったものの、他の3方面は近年ようやく実現、もしくは実現の運びとなった。
…というのも、東北-東海道方面開発線は新路線建設という形ではなく、ご存知「湘南新宿ライン」という形になったからだ。もっともこれも武蔵野線の開業が大きく関連している。

まずは元の通勤5方面作戦の残り、東海道本線の貨物新線の建設が進み品川から先の品鶴線という貨物線を横須賀線に転用、昭和55年10月1日に東海道本線と横須賀線の分離運転が実現して、ようやくこの作戦は終了をみた。
同時に山手(貨物)線の貨物列車も大幅に減らせたため、昭和61年3月3日から埼京線の新宿(のち恵比寿)への延長が実現、続いて平成3年3月19日から成田空港へのN'EXが走り出した。さらに大崎駅の改良が進み埼京線とりんかい線との直通運転開始と同時に横須賀線・山手貨物線・東北線という新ルートも繋がり、湘南新宿ラインが完成した。それどころか武蔵野線が、あの将来構想に似た、タカシマヤも含めた新宿駅南口の再開発にも寄与したのは驚きだ。

いっぽう常磐方面開発線は当初の目的である新宿乗り入れは実現しなかったが、こちらは「つくばエキスプレス」となって建設が進められ、平成17年8月24日の秋葉原までの開業が実現した。

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新宿駅はこうして、今もどこかで新たな変化が起こっているが、それは…バルセロナのサグラダ・ファミリア教会のように、ずっと永遠に続くものなのかもしれない。


日本一のターミナル、新宿駅は時代と共に変貌を遂げてきましたが、その影には意外な事実が数多く隠れていたようです。

次はなぜそんな路線が?という話です。

【予告】小便小僧は知っていた

―参考文献―

鉄道ファン 2004年9月号 「首都圏5方面作戦」とは何だったのか 交友社
鉄道ピクトリアル 2000年11月号 山手貨物線の記録 鉄道図書刊行会
鉄道ピクトリアル 2004年9月号 東海道本線 線路改良の記録 鉄道図書刊行会
鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション4 東京圏国電輸送1960〜70 将来の"大"新宿駅の構想 鉄道図書刊行会

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