Rail Story 8 Episodes of Japanese Railway

 ●京急線の謎2

日本で一番歴史の古い駅、東海道本線神奈川駅は現在の横浜駅が開業した昭和31015日に廃止されているが、それは両駅の距離がたったの300m程度しか離れていないからに他ならなかった。

京浜急行(以下京急)の前身、京浜電気鉄道は明治371224日品川-神奈川間を開通させたが、その時の横浜側の終点は東海道本線神奈川駅に隣接した「神奈川停車場前」駅だった。のち神奈川駅と改称したが、大正1411月には京浜神奈川駅と再び改称している。

もっとも当時の神奈川駅周辺は横浜の町外れ。当初京浜電気鉄道は東京市内・横浜市内への電車乗り入れのためにレールの幅を1,435mmから1,372mmに変えているが、実現したのは品川駅前への僅かの距離を東京市電の線路を利用して乗り入れた程度で、横浜市電への乗り入れは成らなかった。

のちこの点を解消すべく三浦半島方面への路線を計画していた湘南電気鉄道と線路を結び、同時に横浜市内を貫通しようという計画が進む。その頃ちょうど東海道本線は三代目横浜駅への移転計画が進んでおり、これを機会に横浜駅に進出することが決まった。

ただし京浜電気鉄道は三代目横浜駅の開業と同時に乗り入れることは出来ず、昭和4622日に一旦横浜仮駅まで路線を延長している。これは当時京浜線の横浜から先の高架線が完成しておらず、工事の完成まで横浜駅への乗り入れが出来なかったためで、翌昭和5126日に京浜線の工事が完成、その直後の同年25日に京浜電気鉄道は横浜駅へ乗り入れた。

同じ頃、京浜電気鉄道が開業した時から存在した反町駅は昭和53月に廃止されて近くの青木橋駅に駅業務を移転したが、それもつかの間、三代目横浜駅の開業で廃止された東海道本線神奈川駅に隣接する京浜神奈川駅は存在価値がなくなり廃止が決定、続く同年4月にはその青木橋駅を京浜神奈川駅と改称した。つまり駅名だけは受け継がれたものの、場所は異なるという複雑な結果となった。その後京浜電気鉄道は太平洋戦争のため湘南電気鉄道ともども東横電鉄と合併、東急となるが戦後すぐに袂を別つことになる。

東海道本線を挟んで同じく存在した東横線の神奈川駅は昭和2547日に廃止され、「神奈川」を名乗る駅は京浜電気鉄道改め京急だけとなった。これを受けてか京急は京浜神奈川駅をズバリ「神奈川駅」と改称、現在に至っている。なお駅舎は平成4226日に建て替えられており長く複雑な歴史を感じるというものではないが、逆に現在の京急線神奈川-横浜間には、その歴史を物語る遺構が残っている。

現在京急線を神奈川駅で電車を降りると、少し南側にはもう横浜駅のホームが見える。京急線に並行した道路を横浜駅方向に向かって歩くと、奇妙なことに道路は少し線路から膨らむ形で緩くカーブしてその中に京急の倉庫が建てられているが、どうにも不自然な敷地であるのに気づく。

現在の京急神奈川駅 元祖神奈川駅跡
現在の京急「神奈川」駅舎 この出っ張りが元の神奈川駅

実はこの土地こそかつての東海道本線神奈川駅の跡であり、同時に「神奈川」という駅名を今に伝える唯一の証でもある。

● ● ●

さて話を元に戻そう。京浜電気鉄道と湘南電気鉄道は接続を決めたものの、湘南電気鉄道が昭和541日に黄金町-浦賀・逗子間を開業した時点ではレールの幅も電圧も違っていた。このままでは直通運転は出来ない。

京浜電気鉄道は湘南電気鉄道と共同で残る横浜市内の黄金町-横浜間の建設工事に着手することになったが、一応両社の財産上の境界は途中の日の出町とするものの、路線の規格はすべて湘南電気鉄道のレール幅1,435mm、電圧1,500Vとすることが決められた。昭和61226日、工事が完成して電車が走り始めたが、本来京浜電気鉄道であるはずの横浜-日の出町間は、湘南電気鉄道の電車がそのまま走ることになってしまった。

のち、京浜電気鉄道は昭和841日、現在の品川駅開業と同時にレールの幅を1,435mmに改修、ようやく両社の直通運転が実現したが、まだ電圧が異なったままなので、両方の電圧に対応する複電圧車が必要だった。

戦時中は両社の東急との合併、資材不足によって複電圧車が維持困難となり直通運転の休止などもあったが、戦後京急となり電圧も1,500Vに統一され、現在に至っている。

京急が京浜電気鉄道と湘南電気鉄道という二つの会社だったことは、今では殆ど忘れ去られようとしている事実にもなっているが、実は湘南電気鉄道が三浦半島を目指したという証が、両社の接続地点となった日の出町駅に存在している。

日の出町駅のホーム上屋の柱はモザイクタイル貼りの仕上げとなっているが、その中の1本には、三浦半島を描いたものが存在する。これはかつて京浜電気鉄道と湘南電気鉄道の両社のレールがここで繋がり、三浦半島への「夢」が実現したという事実を残すものである。

京急日の出町駅 柱には三浦半島が 下りホームの柱
現在の京急「日の出町」駅 上りホームの三浦半島が描かれた柱 下りホームの柱はこのとおり

この柱は日の出町駅の改札を通り、階段を昇って上り品川方面行きホームに出たところにある。機会があったら一度ご覧頂きたい。

反対の下りホームには同じものが存在しないが、三浦半島を目指したはずの両社が、何故目的地に向かう下りホームにもその柱を設けなかったのだろうか…。


横浜にある駅が、こんなに多くの話題に満ち溢れているとは思いませんでした。まだまだこの他にもいっぱい話題が隠れているのかもしれません。

次は最近の首都圏の電車と、それにまつわる話です。

【予告】異母兄弟の謎2

―参考文献―

鉄道ピクトリアル 1998年臨時増刊号 <特集>京浜急行電鉄 鉄道図書刊行会

このサイトからの写真・文章等内容の無断転載は固くお断りいたします。

トップに戻る