Rail Story 8 Episodes of Japanese Railway

 ●横浜「駅」ものがたり

神奈川県横浜市。鉄道唱歌「汽笛一声新橋を…」に始まる日本の鉄道の歴史だが、その時の終点はここ横浜だったことは今更言うまでもない話。しかし横浜市内の駅は、それはとても信じられないような複雑な変遷がある。

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平成1621日、横浜には新しい鉄道路線「みなとみらい線」横浜-元町・中華街間4.1kmが全線地下線で開業した。同時に桜木町を終点としていた東急東横線は東白楽-横浜間を地下化して直通運転を開始、前日の131日には横浜-桜木町間が廃止されている。ながらく東横線の終点として親しまれた桜木町駅だったが、もともと京浜東北線に併設という形で、ホームの番号も連番となっていた。

JR東日本桜木町駅 廃止直前の東急桜木町駅
JR東日本桜木町駅 廃止直前の東急「桜木町」駅

現在京浜東北線は根岸線と直通運転をしているため桜木町駅は途中駅といった感は否めないが、もともと明治51014日に日本の鉄道が「正式に」スタートした時に終点「横浜駅」として開業していた。いっぽう神奈川駅のほうは鉄道が仮営業を始めた明治57月には既に開業しているが、これは現在の横浜駅の少し東寄りになる。

この後、東海道本線はさらに西へと伸びていくことになるが、横浜港に面した横浜駅から線路を伸ばすには現在の根岸線のようにぐるりと迂回する必要があるため、神奈川駅からストレートに程ヶ谷(現在の保土ヶ谷)へ向かう形となり、神奈川と程ヶ谷の間には平沼駅が設置された。しかしこれでは横浜駅を経由して西へ向かうには神奈川へ一旦バックする必要が生じるため、横浜に入った列車もそのまま西へ向かえるように程ヶ谷への線路がつくられ、結果的にデルタ状の路線が形成された。

江戸時代以前からの港として栄えていた横浜港は、明治11年に始まった明治政府の港湾整備工事で国際貿易港としての日本の玄関口となっていくが、同時に京浜工業地帯の重工業も栄えていく。これは港湾地区の鉄道整備の必要を生じることになり、明治4491日に開業した今の「汽車道」を始めとする臨港線の建設が急ピッチで進められることになる。

横浜駅は旅客・貨物両方で賑わうことになったが、神奈川との間には高島町駅を新設、この先の横浜までは高架線として旅客列車専用とし、貨物列車は元の線路に残した分離運転が始まった。大正31220日には東京-高島町間を電化して電車を走らせ(但し故障が続発して実際の運転開始は翌年510日だったとか)、ところが増え続ける横浜駅の乗降客はさばききれない程増加してしまい、いっそのこと横浜駅を移転拡張しては…という話が持ち上がった。

ここまで横浜駅を経由する東海道本線の列車はスイッチバックしていたが、その分岐点である高島町駅を改良してストレートに西へ向かえるようにしたのが大正4815日に開業した二代目横浜駅である。元の横浜駅は現在の「桜木町」と名を改め、大正41230日には電車の運転が延長され京浜線と名乗った(今の京浜東北線の前身)。平沼駅はこの時廃止されたが、その名は相模鉄道平沼橋駅に受け継がれている。

ただしこの時点で神奈川駅は元のまま存在していた。 

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大正1291日、あの関東大震災が起こり横浜地区の鉄道路線も大きな被害を受けた。この復興事業として貨物専用として残っていた神奈川-程ヶ谷に改めて横浜駅をつくろうということになり、ここに現在の三代目横浜駅が昭和31015日開業した。東口の駅舎は太平洋戦争にも生き残り、昭和53年までその姿を残していた。
この三代目横浜駅は神奈川駅とたったの300mしか離れていない位置に建設されたため、鉄道創業以来の存在だった神奈川駅は廃止されてしまう。

ところがもともと東海道本線の神奈川駅には明治3712月に京急の前身、京浜電気鉄道が終点として神奈川停車場前(のち大正1411月、京浜神奈川と改称)の名で隣接した駅を開業していた。また東横電鉄も後の桜木町までの全通以前に同じくここを終点として、神奈川の名で駅を開業していた。

東海道本線の神奈川駅が廃止されても両駅の名は戦後まで残ったが、東横電鉄改め東急東横線の神奈川駅は昭和2547日に廃止されている。 

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貨物輸送の大幅な伸びで横浜港に伸ばされていく臨港線だったが、京浜線が運転を開始した大正41230日には高島埠頭に貨物専用の高島駅が完成、続いて東京方面の鶴見からの貨物列車専用線が大正6617日に出来あがり、太平洋戦争前後を挟んで臨港線の賑わいはピークに達する。二代目横浜駅の開業後も「高島」の名は東横線「高島町」と共に堅持していた。

神戸港など日本の戦後を支えた臨港線だったが、国際コンテナとトラック輸送の急速な発達は鉄道輸送の衰退を生み、しかも横浜港高島埠頭の「みなとみらい21」地区への再開発が決定、臨港線はもはや過去のものとなり部分廃止が相次ぎ、平成7227日、貨物駅の高島駅は姿を消した。

そもそも「みなとみらい21」計画が発足したのは昭和56年度の横浜市総合計画によるものだった。みなとみらい線はこの時の計画によるもので、のち昭和60年度の運輸政策審議会答申第7号で整備目標区間が決められたが、それは驚く事に東神奈川-元町間、即ちみなとみらい線に乗り入れるのは東急ではなく国鉄(当時)横浜線が予定されていた。しかし当時は正に国鉄末期。分割民営化を控えて新規路線への乗り入れなど考えられないのが実状で、結局現在の東横線直通となったのである。

さらに歴史を紐解くと、みなとみらい線はもともと横浜地下鉄2号線としての計画に遡り、本来は屏風ヶ浦を基点として吉野町で地下鉄1号線と接続、京急線よりも山側を通って横浜駅へと伸び、終点は神奈川新町というもので、京急のバイパス路線という位置付けだったのだ。それに昭和423月、既に路線認可を受けながらも首都高速横羽線や横浜ベイブリッジ工事の関係で、本来の工事が延び延びとなっていた横浜地下鉄3号線関内-山下町間は、結局みなとみらい線と路線が重複することになり昭和6310月に未開業のまま廃止扱いされてしまった(計画ではさらに本牧まで延びる予定だったとか)。これらの路線が奇妙な顛末を経て、ようやく開業したものなのだ。

東横線はみなとみらい線直通運転のため横浜-桜木町間は途中駅の高島町駅を含めて廃止されてしまったが、長い歴史を持つ「高島町」の名は、横浜地下鉄が現在唯一受け継いでいる。


さて東横線神奈川駅廃止後も残った京急の神奈川駅ですが、こちらも複雑なことになっているようです。それに横浜市内には京急黎明期の「証」もあるとかで…。

次はもう少し横浜の話です。

【予告】京急線の謎2 

―参考文献―

鉄道ピクトリアル 1998年臨時増刊号 <特集>京浜急行電鉄鉄道図書刊行会
鉄道ピクトリアル20023月号【特集】鉄道と港-臨港線回顧 鉄道図書刊行会
鉄道ジャーナル20021月号 鉄道・軌道プロジェクトの事例研究 5 横浜市営地下鉄の建設史
鉄道ジャーナル 20045月号 横浜高速鉄道みなとみらい線 21日開業後の現状と今後

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