大変ながらくお待たせ致しました
レイル・ストーリー7、只今発車します


 ●今日を走る京都市電

近年、都市交通「LRT」としてその存在が見直されつつある路面電車。かつて「市内電車」と呼ばれていた都市が多かったことから、「市電」という言い方もポピュラーだ。

京都といえば、日本の路面電車発祥の地であることは有名。その最初の路線は京都電気鉄道(以下京電)により明治28年2月1日、京都(官営鉄道京都駅東側)-伏見下油掛間が開業した(開業がその前日の1月31日という説もある)。
当時京都では第4回内国勧業博覧会が南禅寺を会場に行われることもあり、京都駅前-南禅寺橋間の完成も急がれていたが、こちらも博覧会オープンと同時の同年4月1日に開業している。

さて道路に自動車など殆どなかった当時、電車などというものが道路上を移動するというのは危険ではないかということで、開業翌年の明治28年8月には「電気鉄道取締規則」なる京都布令が施行された。これは具体的には「告知人」を電車の前5間(約18.2m)に走らせ、昼間は赤旗を振りながら街角など混雑している場所で、夜間は赤提灯を振りながら運行区間全部で「あぶのうおっせ〜のいとくれやっしゃ〜」と叫ばせて注意を促せというものであった。
しかし小さな電車に運転士、車掌、告知人の3人の乗務員は人件費がかさみ、なにより告知人の体力も限界とあって、明治31年9月には夜間の告知人が免除となった。また肝心の告知人が電車に轢かれるという事故も起こったため、それから6年余り経った明治37年11月には規則改正により告知人は姿を消している。

京電の電車は京都電燈より購入した電力で走っていたが、当時京都では毎月1日と15日が休みで、電力会社もそれに合わせ供給を止めて点検日に充てていた。京電は当然運休を余儀なくされていたが、のち京電自身の手で火力発電所を現在の京都駅八条口に建設し、事無きを得た。しかし今もその場所に発電所があったなら、公害問題となっていただろう。
博覧会が終わると南禅寺近辺の乗客は激減、京電は一部路線を運休したがこれは無届だったらしく、京都府に見つかって叱られ、やむなく運転を再開したという(笑)。また当初の京電路線は単線で、上りと下りの電車が停留所間でハチ合わせして「お前がどけ」「いやお前がどけ」という乗務員同士の口喧嘩がとうとう乗客同士の喧嘩騒ぎにまで発展したこともあったとか。

明治35年4月21日、京電には「壱等車」がお目見え。ただし乗客はサッパリで運行効率も悪く2年余り後の明治37年12月20日には姿を消している。

京電は路線の拡充を進め市内の環状線も実現、その他支線も加えていくが、後の北野線が全通したのは明治37年12月27日で、これが京電としては最後の新路線であった。のち単線部分の複線化などが行われたが、京電の歴史は割とあっけなく終わりを告げる。

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京都市内の道路は、基本的には平安京遷都以来のもの。明治後期にはそれらは全て狭い道と化していた。そこで京都市は主要道路を拡幅し、同時に路面電車を走らせようという計画を立てた。後に大阪市が道路建設と同時に地下鉄をつくったのに似ている。

明治45年6月11日に京都市の路線は一部開通し、大正2年8月1日には千本・大宮線、烏丸線など第一期線が開通した。レールの幅は京電が1,067mmを採用したのに対し、京都市は1,435mmを採用、一部京電と重複する区間は3本のレールでお互いの電車を走らせる方法を取った。この京都市電の開業は京電の経営を圧迫し、たちまち無配に転落、大正7年7月1日、京電は京都市に買収という形で日本最初の路面電車の看板を降ろすことになる。

京都市は続いて第二期線の建設に取りかかる。ここで並行・競合する元京電の路線存続が問題となり、結局北野線京都駅前-北野間だけは京電の姿そのままで残ったが、日本最初の市電である伏見・稲荷線はレールの幅を広げて存続、他の京電の路線は廃止されてしまう。
逆に京都市電は昭和4年2月21日、九条線油小路-大宮間の開通で大部分の路線が出来あがり、市内主要道路をレールでも結ぶことになった。また京都市は日本で2番目となるトロリーバスも昭和7年4月1日に導入している(ちなみに日本で最初は
こちら)。四条大宮-四条西大路と区間は短かったが、戦後梅津、松尾橋へと路線は延びていく。

この頃から日本は戦時国家となっていく。京都市電はさらに少しずつ路線を延ばしていくが、電力事情が悪化により昭和15年12月から朝夕ラッシュ時に半数の停留所を通過とする急行運転が始まり、のち昭和18年11月にはこれが終日実施となった。
終戦前後には蹴上線の廃止、梅津線の新設や、
思いがけない理由で他社線との接続も行われた。

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戦後の京都市電は京福電鉄叡山線(現:叡山電鉄)への乗り入れ(昭和24年12月から昭和30年8月まで)や、相次ぐ新車の導入などで活気付いていく。しかし市電路線が全て出来た頃には早くも北野線の老朽化が進み、昭和36年7月31日をもって廃止された。北野線の電車はN電と呼ばれ、明治以来のスタイルを残すことで多くの市民に愛されたが、実は北野線がここまで続いたのは、京電の買収時に計画されていた北野線の一部廃止とレール幅の拡張が、昭和初期の不況と戦時体勢の突入で事実上不可能だったから…という話も残っている。

その後トロリーバス四条大宮-松尾橋間が昭和44年10月1日に廃止されたのをきっかけに、昭和45年4月1日には日本で最初の路面電車だった伏見・稲荷線が廃止となる。ちなみに伏見・稲荷線には京阪本線との平面交差があったが、昭和9年に衝突事故が起こって京阪が京都市に電車を1両賠償したとか。

京都市電は戦前・戦中に行っていた急行運転を昭和37年3月27日に復活、今度は朝7時から9時まで約1/3の停留所が通過となった。だが市電の人気は落ちる一方で、路線廃止が相次ぐ。昭和47年1月23日には四条線と千本・大宮線、昭和49年4月1日には烏丸線、昭和51年4月1日には今出川線、丸太町線、白川線が、昭和52年10月1日には河原町線と七条線の一部、昭和53年9月30日にはとうとう京都の外周に残っていた東大路線、北大路線、西大路線、九条線と七条線の残りが一度に最後の日を迎え、京電から続く歴史に終止符を打った。

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京都で活躍していた電車たちの一部は再び他の都市で活躍を始めた。

一大勢力を誇っていた1800形は6両が南海電鉄阪堺線(現:阪堺電軌)に移り、平成7年6月まで活躍を続けた。うち1両は京都時代の塗装に戻り、廃車となった現在も車庫に保存されていてイベントの時に展示されているという。
京都では最後に新製された2000形は、5両が坊ちゃん列車運転で全国的に有名になった愛媛県の伊予鉄道松山市内線に移籍、レールの幅が変わり、塗装も変わったものの、現在も元気に活躍中である。

京都市1800形

京都市2000形

阪堺線に移った京都市1800形

伊予鉄道に移った京都市2000形

一番多くの両数が移籍したのは広島電鉄(以下ひろでん)である。この鉄道には既に大阪市や神戸市から電車が移籍していたが、何といっても他の都市からひろでんへ移籍した電車は、殆どがほぼ移籍前の姿で活躍していることで有名だった。
京都市からは1900形の後期製造車で、京都時代に事故で廃車された1両を除く総勢15両がまとまってひろでんへ移籍した。現在は移籍後25年以上経ち既に京都時代よりも長い活躍だが、途中で冷房も搭載され、なおも1両の廃車もなく現在に至っている。

京都市1900形

広島電鉄1900形

元大阪市2600形と

京都市時代の1900形

現在は広島電鉄1900形

元大阪市2600形と並んで

電車の塗装は京都時代のまま。ナンバーの書体も京都時代を踏襲、京都市のマークもそのままついているなど、ひろでんの電車に対する愛情がよく判る。ずっとこのまま活躍をつづけて欲しいものだ。

京都市のマーク

ひろでんのマークと京都時代のままのナンバー書体

京都市のマークがそのままついている

ひろでんのマークとナンバー

また北野線で活躍していたN電のうち2両が愛知県の明治村で走っているのは有名だが、平成6年に京都の平安遷都1,200年を記念して行われた全国都市緑化フェアの際に京都市が保存してきたN電1両を復活整備しており、現在も時折梅小路公園に設けられた線路を走る時がある。特筆すべきはアメリカに渡ったN電がいることで、ロスアンジェルス郊外のオレンジ・エンパイヤ鉄道博物館で北野線引退時の姿のまま、綺麗に整備され動態保存されている。

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現在ひろでんはドイツからの輸入車「グリーンムーバー」を中心に宮島線直通運転を拡充、己斐・広電西広島駅のリニューアルと横川駅前広場への延長改修でさらに便利になり、加えて新路線の計画もあるなど「平成のLRT」とへの生まれ変わりを見せる日本の路面電車のトップリーダー的存在である。その最新の路面電車と、日本最古の路面電車を繋ぐ一つの橋渡し役として、京都市電改めひろでん1900形は、今日も広島の街を元気に走り続ける。

広島電鉄5000形「グリーンムーバー」
ひろでんの明日を担う「グリーンムーバー」


路面電車はかつてとても身近な存在でしたが、日本全国で邪魔者扱いされ消えて行った路線が多いのは残念です。でも広島の「京都市電」の活躍は、まだまだ続きそうです。

次はとても神懸りな駅の話です。

【予告】橿原神宮前の謎

−参考文献−

鉄道ジャーナル 1999年11月号 特集 路面電車復権と近代化への道筋 鉄道ジャーナル社
鉄道ファン 1972年3月号 なつかしのN電 交友社
関西の鉄道 1995年初冬号 京都市交通特集 関西鉄道研究会
関西の鉄道 2001年初冬号 大阪市交通局 特集PartV 関西鉄道研究会
RM LIBRARY 33 N電 京都市電北野線 ネコ・パブリッシング
京都の電車 市電・嵐電・叡電・京津電車 トンボ出版

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