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 ●食パン電車っていったい何

電車というのはいろんなスタイルがあるが、「食パン」なんていうヘンテコな電車っていったい何だろう。色、形がまるで食パンなのか、それともその電車に乗ると食パンがサービスされるとか?

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昭和39年10月、日本の鉄道技術を結集した東海道新幹線が開業した。同じ頃には地方の国鉄線も電化・ディーゼル化が進み、さらに高度経済成長を受けて各地に多くの特急列車がデビューした。高嶺の花だった特急列車はすっかりポピュラーな存在となっていき、昼の特急もさることながら、夜行特急"ブルートレイン"は「走るホテル」とも言われ、しかも翌朝には目的地に着いて仕事が出来るということで、少しでも時間を有効に使いたい出張族のモーレツ社員にとっては人気の的だった。

特急「しらさぎ」の583系

そんなモーレツ社員のような電車が国鉄にもデビューした。昼は座席車だが、夜は寝台車に模様替えして、昼夜を問わず働く特急電車581系が昭和42年10月、新大阪-博多・大分間に走り出した。世界初の座席・寝台特急電車だった。翌昭和43年9月には改良型583系が東北線にもデビュー、高度経済成長を支える大活躍が始まった。

この電車の普通車は通常の昼の特急とは違い、構造上向かい合わせシートだった。これはそれまでのA寝台の構造を取り入れたもので、夜は座席を引き出してB寝台にする必要があったからだが、それが昼の特急では「特急らしくない」と不評も買ったという。しかし外国の特急列車は向かい合わせシートが多かったことから、それを知る人からは「かえってゆったりしていて良い」という意見もあったらしく、結局最後まで賛否両論だった。ちなみに今のN'EXの普通車が向かい合わせなのは、この欧米人の嗜好に合わせたものだし、座席そのものもフランス製だ。
東北線でのデビュー時はグリーン車が追加されたが、これは夜のA寝台への転換方法に決定打がなく、最後まで座席だけということになった。

昼夜を問わない、まさに大車輪の活躍を続けた581系・583系だったが、山陽新幹線、続いて東北新幹線の開業で、職を失い始めた。やがて寝台特急の人気にも翳りが見え始め、夜行急行への転用も始まった。しかし大量につくられたこの電車は、多くが余ってしまった。

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国鉄地方幹線の電化が盛んに行われた昭和40年代以降も、特急などの優等列車は電車化されたが、普通列車は機関車が電気機関車に変わっただけで茶色や青の客車はそのまま、運転本数も少なく、今では考えられないような長距離を走りぬくものも多かった。

年々増え続ける赤字に悩んでいた国鉄がJRに変わる頃は、国鉄の輸送形態は大きな変貌を遂げつつある頃でもあった。

旧体然としたローカル輸送よりも、電車の機動力を生かして本数を増やし、地方中核都市を中心とした比較的短距離の普通列車が要求されるようになっていったのだ。これには急行列車の任を解かれた電車が役目を負ってはいたが…

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同じ頃、荷物・郵便の輸送方法も変わった。それまで普通列車には何両もの荷物車・郵便車が連結されていた。
各駅に停車しながら、荷物や郵便の積み下ろしを行っていたのだったが、高速道路の整備が進み、トラックの性能も向上して物流の主役はトラックに移っていったのは事実。時間も掛かり、何度も積み下ろしされて荷痛みの激しい鉄道輸送は嫌われるようになり、宅配便の誕生や高速道郵便の進出でこれら荷物・郵便輸送は衰退し、明治以来の歴史に終止符を打った。

かつて全国の主要な駅では、荷物や郵袋を運搬する台車が、今では大きな卸売市場でしか見られなくなった通称"バタバタ"に牽かれて構内を行ったり来たりしていて、とても賑やかだった。
郵便車も車内での区分けをする区分室があって、そこは郵便物が飛び散らないよう窓が開かない構造だった。晩年に冷房装置が設置されるまでは、夏の暑い日など大変な苦労があったらしい。

荷物車・郵便車を連結する必要がなくなった普通客車列車は、客車自体の老朽化やそれを牽く機関車の老朽化もあって、次々と電車化する必要が生じたのだが、いかんせん電車が足りない。
だが国鉄は毎年の赤字続き。新車を造る余裕はなかった。そこで真っ先に目に止まったのは役目を失っていた座席・寝台特急電車の581系・583系だったのだ。これを普通電車用に改造すれば、どうやら事足りる。かつて特急で全国を走りまわった電車なので耐用年数はあまり期待出来ず、「10年もてばいい」を合言葉に東北地区、北陸地区、九州地区の普通電車増発用として改造が行われる事になった。

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昭和59年2月、最初の改造電車715系がベージュにグリーンの帯に装いを変え、九州地区にデビューした。とにかく予算がないので改造は最小限に留められ、ドアは増設されたものの特急時代と同じ70cm幅のものだったし、出入口付近を除いて座席はそのまま、不用になった洗面台はただパネルで塞がれただけだった。足回りのギアボックスは、当時中央線などで引退した電車のお古を回し、ローギアード化した。
また先頭車が足りなくなるため、当時山手線などで活躍していた電車の103系と似たスタイルの運転台を中間の車両にくっつけるという改造も行われたが…

この増設された運転台のスタイルが、のちに「食パン電車」と言われるのであった(形としてはイギリスパンのようではあるが…)。
続いて昭和60年3月、東北地区にも715系(1000番台)、北陸地区には赤に白帯の419系が投入された。北陸地区の419系は、のちに車体が北陸地区標準のオイスターホワイトに青帯に変わった。どの路線も電化されてからかなりの年月を経て、ようやく電車の本領を発揮出来るようになった。

これが食パンスタイル

ドアは特急時代のまま

オリジナルの顔はこちら

これが噂の「食パン」スタイル

特急時代のままのドア

こちらはオリジナルの顔

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やがてお約束の10年が過ぎ、平成10年3月、九州地区・東北地区の715系は後輩に道を譲り、使命を全うして引退していった。

しかし、北陸地区の419系は今も45両全車が走り続けている。ドア幅70cmではラッシュ時の乗り降りに時間が掛かり、足回りもローギアードされているので、運行ダイヤを乱す常習犯として評判は決して良くない。老朽化も進んでおり乗客からのクレームも多いと聞く。早く後継車が決まればいいのだが、もうしばらくは老体にムチ打って働かなければならないのか…。

かつて座席・寝台特急電車として全国を駆け抜けた栄光はどこへやら、時には日本海の荒波を受けながら今も細々と走る419系。もう栄光など知る利用者は少ないだろう。

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ただし、中には改造を受けなかった仲間がいる。JR東日本に残った583系はかつての装いのまま、今でも臨時列車を中心に余生を送っている。JR西日本に残ったものは塗装こそ変わったが、唯一の定期列車である夜行急行「きたぐに」大阪-新潟間で活躍を続けている。


581系・583系には「月光型」というサブネームがついていたのです。今ではそんな言葉は使われませんが、華やかりし頃の活躍が思い出されてなりません。何故か今の世の中とオーバーラップしたものを感じるのは、ボクだけでしょうか。

次は地道にローカル急行として頑張ってきた列車の話です。そして最終回となります。

【予告】さようなら 急行『能登路』

―参考文献―

鉄道ファン 1984年12月号 新車ガイド 715系1000番台・419系登場 交友社
鉄道ファン 1995年3月号 特集:寝台電車583 交友社
鉄道ピクトリアル 2002年4月号 【特集】581・583系電車 鉄道図書刊行会

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