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レイル・ストーリー5、発車いたします


 ●二度経験したというものは?

長野電鉄(以下長電)は、東急電鉄から大量移籍した「青ガエル」転じて「赤ガエル」の活躍で、昭和56年3月の長野線長野-善光寺下間2.3kmの地下化と電車の不燃化を実現した。

長電は昭和55年に突然OSカーを2両だけ大幅マイナーチェンジしてデビューさせたが、その後大きな動きはなかった。

しかし関係者の誘致に向けての努力が実り、長野オリンピック開催が正式に決まった頃、さすがの「赤ガエル」達も疲れが見え始めた。また長電は利用客の減少にも頭を痛めており、電車のワンマン運転も必要と考えていた。これを機会に電車の入れ替えを行うことが決まった。

その頃、ちょうど現役を引退したものの地方私鉄にはピッタリの大きさの電車があった。営団地下鉄(現:東京メトロ)日比谷線の開業と同時にデビューした営団3000系がそれである。地下鉄の電車にしては珍しく、丸っこい前面が特徴だった。

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営団日比谷線は昭和31年8月の都市交通審議会の答申に基づき、都市計画路線の2号線として昭和33年9月に計画されたもの。その時に現在の東武伊勢崎線-営団日比谷線-東急東横線という直通運転が決まった。

それまで地下鉄といえば通常の電車のような架空線を用いず、レールの横にもう1本のレールを敷き、そこから集電するサードレール方式が当たり前だった。そのほうがトンネルの断面を小さく出来て、建設費が安くなるからだ。でも今度は既存の路線との直通運転なのでどちらかに合わせる必要がある。確かに当時外国では両方の集電装置を装備して直通運転を行っていた例もあったが、地下鉄用の集電装置のままでは既存路線で寸法規格をはみ出してしまうことになり、そのための地上設備の改修も大変…という訳で、架空線方式に決まったそうである。

3社の担当者による電車の規格、運転方法等の打合せも無事終わり、路線の建設も進んでいった。そして昭和36年3月28日、その日は春到来が信じられない寒波で、前日までは雪模様だったという寒さの中、日比谷線南千住-仲御徒町間3.7kmが営業を開始した。もっともこの時は、路線は東武にも東急にも繋がっておらず、営団の単独路線だった。その時、実用化されたステンレス車体も誇らしげに走り出したのが3000系なのである。今では信じられないが、開業当初はたった2両編成での運転だった。

その後路線は翌昭和37年5月31日には北千住-南千住間と仲御徒町-人形町間が開通して東武との直通運転が始まり、東京オリンピックを目前に控えた昭和39年8月29日の東銀座-霞ヶ関間完成をもって路線は全通、同時に東急との直通運転も開始されて、営団3番目の路線は首都東京の動脈となったのである。

日比谷線はあっという間に利用者が増え、営団3000系は直ぐに4両、6両、8両へと増結されていった。
この電車は車体の他にも当時の最先端技術が導入された。半導体技術が進歩した今では信じられないが、加減速性能を良くするため制御装置を超多段化、発進加速とブレーキを極力滑らかにした。また早くから自動列車停止装置の実用化試験も行われ、先般開業した南北線のホームドア方式の先駆となった。

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東武、東急の電車を仲間に加え、日比谷線の主力として活躍してきた営団3000系だったが、いよいよ新車03系を新製して置き替えることが決まった。
昭和63年の第一陣に始まり、平成6年度には全ての3000系が引退した。余談だが03系は全部が東武・東急両社の保安装置も装備しているが、3000系はごく一部が両社の保安装置を装備、多くは東武もしくは東急どちらかの保安装置しか搭載していなかった。これは配置された車庫で区別していたという。

その後、足回りだけは富山地方鉄道の元京阪特急3000系改め10030系に使われたりしていたが、車体はステンレス製で腐食などもみられず、実に勿体無い引退ではあった。そこに目を付けたのが長電だった。

平成4年度から営団3000系の長電移籍は始まり、「赤ガエル」と入れ替わるように雪国での活躍が始まった。平成9年度には所定の36両に部品確保用の1両を加えて全車の移籍が完了した。ステンレス車体はそのままだが、今度は長電を強調して窓の下に赤の帯が加えられた。型式も営団3000系から長電3500系と変わったが、電車は2両編成と3両編成に組成され、特に2両編成のものは日比谷線開業当初を彷彿とさせる。また車体の番号の文字は営団時代の書体(フォント?)が引き継がれ、それは長電オリジナルのものとは異なっているが、むしろこのほうが好感を持てるようだ(違和感がないと言うべきか…)。

営団3000系改め長電3500系

営団フォントのまま

1両は部品確保用に

長電長野駅で発車を待つ
3500系

番号は営団時代の書体を継続

須坂車庫に今も営団時代のまま
1両が部品確保用に…

平成10年2月、長野で冬季オリンピックが開催された。なにより長電3500系はそれを機会に営団から移籍したのだが、もともと営団3000系は東京オリンピック開催を機会に開業した日比谷線の電車。この電車は東京と長野という別の場所で、オリンピックを二度経験したという珍しい電車なのである。

長電でも永く活躍した名車「赤ガエル」に代わり、すっかり長電の主役になった3500系。ワンマン運転用の改造も施工され、平成13年度からは遅まきながら冷房装置取り付けも開始された。多くの仲間はまだ扇風機しか付いていないが、良く見るとその扇風機には営団のSマークが今でも確認出来る。

営団時代と変わらず地下駅を出入りする姿は、この電車が持って生まれた、そして本来あるべき姿なのだろう。


長野の実力派私鉄「長野電鉄」ですが、いろいろ話題も豊富です。ぜひ一度ゆっくり訪れてみたかったのですが、ようやく実現しました。まだまだ話題が隠れているとは思いますが…それはまた別の機会にでも。

さて、次の話題は北陸に移ります。

【予告】急行『能登』ものがたり

―参考文献―

鉄道ファン 1994年1月号 特集:全国地下鉄事情 、営団地下鉄3000系を讃える 交友社
鉄道ファン 1997年12月号 長野電鉄の赤ガエルとOSカーの今 交友社
鉄道ファン 1998年6月号 特集:地下鉄ネットワーク 交友社

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