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レイル・ストーリー5、発車いたします


 ●ヘンな鉄橋の話

日本には多くの中小私鉄が存在する。その中でも大手私鉄なみに頑張っているのは何処…ということになれば、長野電鉄だと答える人は多いだろう。平成14年3月末をもって木島線が廃止されたのは残念だが、県都長野を中心とした運転形態はなかなかの実力を誇る。

長野県の地図を見ればすぐに判ることだが、長野市を中心とする地域は千曲川の西側に信越本線(今のしなの鉄道も含む)が走っている。だが川の東側にも多くの都市がある。それらを結ぶ鉄道路線が必要と思うのは実に自然な発想であることは確か。

長野電鉄路線図

長野電鉄(以下長電)の歴史は、その千曲川の東側の名(河東地区)をとった河東鉄道がルーツだ。今のJR小海線を建設した佐久鉄道が、さらに事業展開を進めようとしていたところに河東地区の有志が呼応し設立されたものだ。先に佐久鉄道が取得した屋代-須坂間の路線免許を活用して大正9年7月17日着工。当時沿線市町村はかなり協力的だったらしく、路線はあっという間に出来あがったらしい。続いて須坂-信州中野間が大正12年3月26日に、信州中野-木島間が大正14年7月22日に開通、河東鉄道の路線は全通をみた。

ただし河東鉄道は当初蒸気機関車が活躍していたが、大正15年1月29日には電化され、電車が走り出した。

いっぽう長野と河東鉄道、湯田中を結ぶ路線も計画された。大正12年に設立された長野電気鉄道がそれであるが、実は河東鉄道と長野電鉄とは社長は兼任だったという。大正15年6月28日には現在の長野線須坂-権堂間が開通、続く9月30日、両社が合併して現在の長野電鉄がスタートした。昭和2年4月には信州中野-湯田中間が、翌昭和3年6月には権堂-長野間が開通して、現在の路線が出来あがった。

長野電鉄(以下長電)の路線は屋代で信越本線と繋がっていたが、戦後は国鉄からの直通運転もスタートした。まだそれは信越本線が電化される前で、アプト式(急勾配のため歯車を併用していた)だった碓氷峠を通れるようにしたエアサス車のキハ57系が新製されて、上野から直通の急行「志賀」が屋代経由で長電の湯田中へ乗り入れた。また冬のスキーシーズンは木島へも走っていたようである。
のち信越本線が電化されてからはディーゼルカーに代わり急行電車が乗り入れるようになったが、徐々に特急「あさま」が増えていくと急行は人気がなくなり、いつしか廃止になってしまった。このため長電乗り入れ「志賀」も同じ運命を辿った。

その後長野新幹線が開業、信越本線は横川-軽井沢間が廃止され、篠ノ井-軽井沢間が第三セクターのしなの鉄道に変わった。このしなの鉄道はJRから譲渡された電車が走っているが、電車の検査は屋代にある長電の子会社に委託されているそうである。

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現在長電は、長野と須坂・信州中野を結ぶ長野線・河東線を主体に運転されている。長野から電車に乗ると地方私鉄には珍しい地下線もあるが、そこから先は住宅街と田園風景が折り重なる、今の長野を象徴するかのような車窓が広がる。そして千曲川を越えて須坂へと向かうのであるが…

何と、この千曲川を渡る鉄橋は道路と同居しているのだ!

長電長野線同様に須坂へ向かう国道406号線は、長電柳原駅近くで国道18号線から分岐してすぐに千曲川を渡る。それが村山橋なのだが、橋の下流側は長電長野線の線路が併設されている。

線路と道路が同居?

電車がやって来ました

橋での車窓は…

橋は線路と同居

ちゃんと電車も走ってます

電車からはこんな風景が…

しかし橋の部分で道路が狭く混雑しやすいせいで、村山橋は架け替え工事が行われている。現在上流側に2車線の道路橋が完成して長野方面へは長電と同居せずに渡ることが出来るようになったが、須坂方面へは2車線が同一方向に走れるようになったものの相変わらず電車と共用だ。工事完成の暁にはこの橋は長電と国道が分離されるのかもしれないが、それまでしばらくは、この珍しく、そして奇妙な光景が続くことになりそうだ。

現在工事中の村山橋
架け替え工事が始まった頃の村山橋

鉄道と道路が同居する橋としては名鉄の犬山橋が有名だった。もっともこちらのほうは名鉄犬山線が道路と併用だったので、パノラマカーや高山線直通『北アルプス』等の車両が、のそのそと路面電車のように走っていた。
ずっと混雑の原因となっていたことから、平成12年3月28日に下流側に建設した道路専用の橋が完成、大正14年から続いた歴史に終止符を打ったという。元の橋に残った名鉄犬山線は改修工事が行われたが、長電の村山橋のほうはどんな運命を辿るのだろうか。


長電は長野市とその近郊を結ぶ足として、今日も走り続けています。長野は県庁所在地として発展を続けていったのは良かったのですが、皮肉な事に長電は市を分断してしまったのです。その解決策が決まったのはいいとしても…

次は、その解決策に絡んだという悲運の名車の話です。

【予告】名車『OSカー』の話

―参考文献―

鉄道ジャーナル 2001年2月号 長野電鉄木島線 鉄道ジャーナル社
鉄道シャーナル 2001年4月号増刊 年鑑 日本の鉄道01 鉄道ジャーナル社

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