Rail Story 14 Episodes of Japanese Railway  レイル・ストーリー 14 

 湘南特急の宿命(後編)

157系の引退後、東京からの伊豆方面リゾート輸送は183系1000番台の特急『あまぎ』2往復の他は、多くを153系電車による急行『伊豆』が一手に担っていた。
しかし153系に疲れが見え始めた頃、その後継車について高い汎用性が求められたのが国鉄設計陣の悩みの種だった。

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昭和55年1月22日に関西地区の新快速にデビューした117系電車の韋駄天走りは、実にセンセーショナルだった。結局153系の後継車はこの117系と兄弟のような関係となることが決まった。
足回りについては、東海道線東京口の最高速度が110km/h程度であり高速性能はこれで十分であること、通勤輸送の時には近郊型電車と同じ加速性能が求められることからギアレシオは117系と同じとされた。車内設備は急行、さらには特急にも使用可能なように普通車にはロマンスシートが採用されたが転換式となるなど、かなり特色のある電車となった。それ以上に、車体のアイボリー地に緑のアシンメトリーなストライプという斬新さは、それまでの国鉄特急型電車の常識を打ち破るものだったが、正面にどこか先代の157系電車の面影を残す185系電車が誕生した。客室の窓も開閉可能だが、これだけは157系と違って上昇式とされた。

特急『踊り子』にデビューした185系電車185系は、昭和55年10月1日ダイヤ改正時にデビューを果たす。しかも157系電車と同様に急行『伊豆』で走り出したが、約1年かけて153系電車との置き換えを行うため、153系電車とも連結が可能なように設計されていた。このためデビュー直後は伊豆急下田行きが185系、修善寺行きが153系(その逆もアリ)という混成編成も見られたようだ。
所要の全車が出来た翌昭和56年10月1日、この時のダイヤ改正で急行『伊豆』は特急『あまぎ』も含め特急『踊り子』に格上げされる。時代は「急行」よりも「特急」を求めていたのだ。もっとも列車名については当初『あまぎ』も考えられていたようだが、新車投入によるイメージ一新も狙ったのだろう。湘南特急に新たな歴史が刻まれた。

その頃東北・上越新幹線は開業が近づいていたが、大宮-上野間の路線建設が遅れたため大宮以北での暫定開業を余儀なくされ、この区間は在来線列車『新幹線リレー号』によるピストン輸送が行われる事になった。ただ上野開業までの期間限定とはいえ、新幹線の利用客を乗せるからにはそれ相当の電車が必要となる。そこで抜擢されたのが185系電車だった。
『踊り子』は伊豆急下田行きの10両と修善寺行きの5両という編成だったが、リレー号は7両編成となり必要に応じて2編成を連結した14両での運転も考慮されていた。同時にそれまで157系電車の後を継いだ165系電車を使用した急行『あかぎ』などの特急格上げも視野に入っており、また信越本線での使用も考慮され碓氷峠で電気機関車にサポートしてもらえる構造にもなっていた。ただし車体は、あの緑の斜めストライプではなく平凡な横ストライプだったのはちょっと残念と思ったファンも多いだろう。リレー号でのデビュー前、まずは急行『草津』『軽井沢』などに投入される。こちらでもやはりデビューは急行列車だったのだ。
昭和57年6月23日、東北新幹線が大宮暫定開業して185系電車による上野-大宮間の『新幹線リレー号』が走り出した。ちなみに上野-大宮間は快速扱いでの運転だった。半年後の11月15日、上越新幹線も開業して185系によるリレー号はますます忙しくなったが、同時に新設された上越線特急『谷川』が同じ185系電車で運転を開始、また吾妻線特急『白根』も185系に置き換えられ、特急としてのデビューを果たし奇しくも先代157系と同じ列車に使われる。

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一方韋駄天走りの続く117系電車は、関西地区に次いで名古屋地区にも登場する。ここではずっと名鉄が通勤・地域輸送の主導権を握ってきたが、トヨタ自動車のお膝元とあってクルマとの対抗上、名鉄は7000系パノラマカー以降は2ドアのロマンスシート車を路線投入し続けた。
これは通勤でも快適にという配慮だったが、オイルショック以降は名鉄の混雑は増すばかりで朝ラッシュ時など駅での積み残しは日常茶飯事、これを見かねた名古屋陸運局も「混雑を緩和するように」と異例の通達を出す始末だった。急遽東急電鉄から3ドアの旧型車を購入したり、3ドア車の新車6000系をデビューさせて凌いだが、一方の国鉄はといえば昭和50年代半ばまで東海道線の普通電車はラッシュ時を含めて1時間に3〜4本程度。地方都市圏にさえ負けるような貧しいダイヤでは並行する名鉄の後塵を浴びるばかり。これでは国鉄の面子が立たない。ダイヤ改革のための投入だった。
昭和57年3月からそれまで153系で運転されていた「快速」は順次117系に置き換えられ、「東海ライナー」の愛称で親しまれていく。車体は関西地区のアイボリーに茶色のまま名古屋地区進出を果たした。ちなみに昭和31年11月19日の東海道線全線電化の時まで存在した関西急電色は緑とオレンジの湘南色(かぼちゃ色)に統一されて消滅していたが、一転して名古屋地区の主役に躍り出ることになった。普通電車の増発も叶い、名古屋地区は都市型のダイヤへと変わっていく。ただし117系が名鉄パノラマカーと同じ2ドアだったのが、のちに意外な結果をもたらす。

新幹線リレー号は昭和59年3月1日の東北・上越新幹線の上野開業と同時に短い役目を終える。一部は『踊り子』用にコンバートされるが、これは185系に混じって使用されていた183系電車の置き換えだった。183系は中央線特急『あずさ』の増発に回ることになり、湘南特急は185系で統一される。またこの頃には帰宅ラッシュ時に僅かのプレミアムでゆったり座れる「通勤ライナー」が国・私鉄を問わず走るようになり、東海道線・東北線・高崎線などに設定されたこれら列車には、185系の性能・設備はうってつけだったようだ。

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平成2年4月28日、伊豆系統のリゾート特急に新たな仲間が加わる。新宿・池袋・東京-伊豆急下田間の特急『スーパービュー踊り子』である。新宿・池袋始発列車の設定は、現在の湘南新宿ラインに近い運転形態だ。
『スーパービュー踊り子』の251系電車は、従来の特急電車とは全く違った設計で10両編成中1・2・10号車は二階建て、先頭部は運転台越しとはいえ前面展望も楽しめるようになっている。グリーン車には個室やサロン室が、普通車もロマンスシートと向かい合わせシートの両方を用意、幼児用のプレイルームも設けられ多様化した利用客のニーズに応えた。都会的で洗練されたデザインとリゾート特急としての華やかさを持ち合わせた電車だ。、伊豆方面へのリゾート特急は『スーパービュー踊り子』をフラッグシップに『踊り子』、それに伊豆急の2100系電車を使用した『リゾート踊り子』も加わり、目的や行先に応じた多彩な運転がなされていく。

通勤輸送から特急まで幅広く活躍を続けてきた185系電車だったが、時代の要請によりトイレの一部洋式化、グリーン車のシート取替などが行われ、さらに平成11年から平成14年にかけて大掛かりなリニューアルが行われている。普通車の転換式ロマンスシートは一般的な回転式に交換され、快適性がアップした。特筆すべきは『踊り子』用の185系は、車体の色が緑のストライプからこれまたアシンメトリーな緑とオレンジのブロックパターンとなったことだ。
この緑とオレンジは急行『伊豆』の153系電車にも使われてきた国鉄からの伝統の湘南色。それがアクセントカラーとして戻ってきたことになる。また上野-前橋間特急『あかぎ』などに使用する仲間は、黄色とグレーと赤のブロックパターンとなり、こちらは上州三山をイメージしたものだそうだ。

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関西や名古屋地区で「新快速」「快速」で活躍を続けた117系だったが、それは意外にも長続きしなかった。JR化後、関西では私鉄の快進撃は一段落してJR線の乗客が増え始めた。私鉄特急対抗として特化された117系は、その2ドアという車体構造が乗降に時間が掛かり遅延の原因となることや、さらなる高速化が求められるようになる。
関西地区では平成元年デビューで最高速度を120km/hにアップした3ドア車の221系電車に主役の座を渡す。117系は最高速度を設計限界の115km/hまで出せるよう改造を受けてラッシュ時限定の新快速に残ったが、一部の仲間は関西急電色から185系のような緑の帯に姿を変え福知山線へ移った。やがて湖西線・草津線・JR奈良線へと活躍の場を移し、岡山地区や広島地区、きのくに線にも装いを変えて走り出す。
また名古屋地区でも、関西地区と同じ平成元年に最高速度を120km/h・3ドアとした311系で「新快速」が走り出し、117系は関西急電色からJR東海のコーポレートカラーであるオレンジに帯を変えラッシュ時の「快速」には残ったものの、やはり最高速度110km/h、2ドアというのはネックだった。日中は混雑の少ない大垣-米原間の普通列車に使われるようになった。

113系と並ぶ185系 今も関西急電色の117系
113系電車と並ぶ185系『踊り子』 伝統の関西急電色を残す117系

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思えば湘南特急というのは、運命づけられた不思議な存在である。157系も185系も同じ伊豆の地で急行としてデビュー、のち電車ごと特急に格上げされ、やがて信越本線や吾妻線もその活躍の場としてしまう。しかも特急以外の列車にも使われるというのも同じ。どこかバイプレーヤー的な存在でありながら汎用性の高さと足跡は高く評価されよう。
また関西地区の117系電車は今では新快速として走る事はなくなったが、一部はあの関西急電色のまま活躍を続けている。現在はすっかり私鉄特急を圧倒してしまったJR西日本の新快速だが、117系の活躍がなければ歴史が変わっていたのかも…。
同様に名古屋地区の117系も、国鉄からJR東海に継承された車両の中で唯一全車両が欠けることもなく、今も走り続けている。

117系電車がすっかり脇役となってしまった今、なおも湘南特急の主力として走り続ける185系。将来的には最新型電車に交代する日が来るだろう。ただ先代157系と違っていたのは短命に終わらなかった事だ。また東京-三島間の短区間ながら東海道線を特急として走るのは、東海道新幹線開業前の黄金時代を知る157系の残した、一つの伝統なのかもしれない。湘南特急の宿命と伝統を受け継ぐ新型車の登場に期待を込めつつ、185系の一日も長い活躍が続くことを願いたいものだ。


意外なほどに共通点のある157系と185系。湘南はそんな電車を求めていたのでしょう。バイプレーヤーはオールラウンドプレーヤーでもあったということに他なりません。

次は、関西に目を移します。そんな時代があったのか…という話です。

【予告】 箕面線の謎

―参考文献―

鉄道ピクトリアル 2004年10月号 【特集】157系電車 鉄道図書刊行会
鉄道ダイヤ情報 2008年2月号 [特集]117系・185系電車に注目! 交通新聞社

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