Rail Story 14 Episodes of Japanese Railway  レイル・ストーリー 14 

 万世橋の謎 2

かつて東京の都心に「万世橋」という駅があったのは有名である。しかも二つも存在していたのは奇遇であり、どちらもはかない運命だったのも驚きだ。以前地下鉄銀座線ストーリーで東京メトロ銀座線の万世橋駅を取り上げたが、今回はもう一つの中央線「万世橋駅」を取り上げてみよう。

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中央線の万世橋駅は生い立ちからして恵まれない運命だったのかもしれない。そもそも中央線は甲武鉄道という私鉄路線で、明治22年8月11日に新宿-八王子間を開業している。のち路線は牛込、飯田町、御茶ノ水へと延び、明治37年8月には飯田町-中野間で電車の運転を開始、これは国電の始祖といわれている。なおも甲武鉄道は計画中だった現在の東京駅を目指していた。
しかし明治39年に公布された鉄道国有法により路線は国有化され、甲武鉄道がターミナル駅として考えていた万世橋駅は自身の手ではつくられず、鉄道院の手で建設が継続されることになる。

ただ、既に東京駅への延伸が考えられていたのに、わざわざ御茶ノ水駅からそう遠くもないところに駅をつくったのはなぜだろう。

というのも、現在は想像もつかない話だが、新宿や池袋などは当時東京のはずれ、東京の市内交通の要衝といえば万世橋駅のあった神田須田町界隈だったのだ。ここに駅をつくろうという話になるのはむしろ当然だった。将来的に東京駅は長距離列車の発着するターミナル駅、万世橋は東京の正に中心的な駅として、空港でいえば成田と羽田のように、両方の駅にそれぞれ別の役割を持たせるという位置づけだったといわれている。
これらの理由があってか、万世橋駅の駅舎はちょっと小ぶりながら赤レンガ造りの堂々たる駅として設計される。これは東京駅の習作としての意味合いもあったと伝えられている。

万世橋駅の模型 実現しなかった長距離列車ホーム

東京駅の開業に先立つ事2年半、明治45年4月1日に万世橋駅は開業した。予想通り多くの乗降客で賑わったが駅そのものは未完成状態で終わってしまった。現在『スーパーあずさ』など中央線特急の一部が東京駅まで乗り入れているが、この万世橋駅にも中央線長距離列車の乗り入れが当初考慮されていて、電車の発着するホームとは別に、長い編成の列車にも対応する長距離列車専用のホームがもう一つつくられていた。しかしこちらのホームは予定していた長さにはならず、肝心の長距離列車が発着する事もなかったという。しかも中央線の線路は万世橋から先、東京駅までは複々線で建設されることになっていた。華々しくオープンしたはずの万世橋駅だったが、こんなところにも将来を暗示させるものがあったのかもしれない。

大正8年3月1日、万世橋-東京間の高架線が開業を迎え、山手線との直通運転が早速開始されて、中野-東京-品川-新宿-池袋-上野間の通称「の」の字が始まる。東京の交通の流れは徐々に現在の形に近づいていくが、同時に東京の中心的立場だった神田須田町の賑わいも分散されていき、東京駅の存在も大きくなっていく中、万世橋駅は…。

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そこに決定的ダメージとなったのが大正12年9月1日に発生した関東大震災だった。東京駅は一部ホーム上屋を焼いた程度で駅舎そのものは無傷で残ったが、万世橋駅舎はあえなく全焼してしまう…。全く対照的な結果だった。
翌大正13年4月、万世橋駅は仮の駅舎が建てられる。規模は縮小され以前の赤レンガ駅舎とは想像もつかない簡素なつくりだったという。開業当時の賑わいはどこへやら、駅の役目は一つの中間駅という位置づけに変わっていく。大正14年4月25日には来る11月1日の山手線の環状運転を控え「の」の字運転は中止され、中央線電車は独立運転になる。万世橋駅は神田・御茶ノ水両駅ともに至近距離とあって、乗降客数は徐々に減少を見せ始めた。

話は少し遡り大正10年10月14日、万世橋-東京間の高架下で、かつて山手線が仮の終点としていた呉服橋に鉄道博物館がつくられた。これは鉄道開業50周年記念事業だったが、高架下という制約もあり施設が手狭だったのが欠点だった。そこで目に付いたのが当時乗降客数の減少した万世橋駅の駅舎部分を利用して、新たに鉄道博物館をつくるという案だった。この頃になると荘厳な赤レンガ様式の建物は時代遅れ、代わって超モダンな最新鋭のビルが建てられることになった。ただし建物の基礎は元の赤レンガ時代のものがそのまま利用可能であったため、平面形状はそれを踏襲したものとなっていたのが特徴だった。


交通博物館となってからの鉄道博物館玄関

昭和11年4月25日、晴れて鉄道博物館は万世橋で華々しくオープンを迎える。一方の万世橋駅は博物館とは別にホームの東端に小さな規模の改札口とホームへと続く細い通路や階段が設けられた程度、もはや駅としてのかつての賑わいはここにはなかった。もっとも博物館開館当時は駅時代の設備が一部残されており、元の大広間(改札ロビー)を利用した機関車ホールには、ホームから改札口を経て館内へと続く通路がそのまま生かされ、特別入館口として使われたという。また万世橋駅建設当時に予定されていた長距離列車用ホームには、鉄道記念日などのイベントとして現役機関車などの展示が行われて、鉄道が国を支える確固たる地位を誇っていた当時、鉄道博物館は絶大な人気を誇ったようだ。

しかし万世橋駅は、地下鉄の開業、東京市電(現在の都電)路線の発達、バス路線の形成などもあって存在意義すらなくなってきた。地下鉄万世橋駅が仮の駅だったのに対し、こちらの万世橋駅はれっきとした駅としてつくられたというのに。やがて太平洋戦争が開戦、昭和18年10月31日をもって駅は休止になってしまう。事実上の廃止だった。いっぽう鉄道博物館は太平洋戦争下もどうにか営業が続けられていたが、戦火が本土にも及び、とうとう昭和20年3月10日、休止となる。
…そして終戦。日本の鉄道は大混乱を迎えるが、鉄道博物館の再開は意外にも早く、昭和21年1月25日「交通文化博物館」の名で復活する。次いで昭和23年9月1日には「交通博物館」と再度改称、展示物も鉄道以外の交通機関にも目が向けられ、以後多くの見学客が訪れた。長く親しまれた交通博物館だったが、平成18年5月14日、大宮駅の北に建設された現在の鉄道博物館への移転のため、惜しまれつつ閉館されたのは記憶に新しい。

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かつて赤レンガ時代の万世橋駅には、駅舎向かって左から3つのホームへと続く通路があった。
左側は降車口で、電車のホームと長距離用ホームの両方からの下り階段がホーム下で一つの通路に合流して集札口へ続いていた。真ん中と右側はどちらも大広間の左右にあった改札口から続く乗車口で、真ん中が電車ホームへ、右側が長距離ホームへと続いており、、各々階段からホームへ上がるものだった。このように乗車・降車がそれぞれ独立した動線となっていたのは開業当初の東京駅と同じで、やはり習作だったという証拠にもなろう。
これらの中で、鉄道博物館当時の特別入館口である真ん中の電車ホームへの通路・階段はその後も残されていた。交通博物館となってからは機関車ホールの右奥、自販機コーナーがかつての改札口を出たホーム真下の通路だったといわれており、その左側の普段は閉鎖されていたドアを開けると…暗闇の中に階段があったという。


屋外階段の下が最後の改札口だった

いっぽう鉄道博物館開館後に設けられた改札口からホームへ続くルートは、駅の休止後改札口こそなくなったものの、通路や階段はこちらもそのまま残されていた。交通博物館の閉館を前に、旧万世橋駅遺構として特別公開されたのがこの部分だった。
交通博物館の玄関右側にあった事務所からは、その通路に直接出入り出来たのだという。元の長距離ホームに続く通路を利用した特別資料展示室の上を通り、階段を上っていくとホームに続いていた。閉館直前、この部分を見学出来た人も多いだろう。
交通博物館は屋外施設の撤去が行われたが、建物はそのまま残されている。そのデザインは今日もなお通用するもので、ガラスの面する階段室などは現在のカーテンウオールの先駆でもあり、日本の近代建築史上からも価値のある建築物と言える。

閉館後の交通博物館 特徴ある階段室の意匠

万世橋駅は一度だけ復活を果たしている。東京駅への長野新幹線乗り入れに伴い、東京駅の中央線ホームは押し出されるように重層化され、線路切り替えの一日だけ東京-御茶ノ水間の運転を休止したことがある。この時、御茶ノ水で乗客を降ろした電車が、折り返し出発するためにこの旧万世橋駅で一旦停車、再び御茶ノ水へ戻るために利用されたのである。もっともここで乗り降りが行われたものではなかったが、中央線の電車が久しぶりに「発着」したことには間違いない。

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「万世橋」を名乗る駅は、やはり短命だった。東京メトロ銀座線の万世橋駅跡は現在その痕跡を殆ど残していないが、中央線の万世橋駅跡は意外なほど残されている。交通博物館がなくなっても、かつての中央線万世橋駅の一部はその高架橋と一体となっている関係から、これからもそのままとなる事だけは確実である。都心に残る数少ない遺構として。


現在の鉄道博物館に展示されている駅名標


薄幸の駅。中央線万世橋駅はそう呼ぶにふさわしいのかもしれません。今は日の目を見なかった長距離ホームが保線基地として、また電車ホーム跡もその形骸を残しています。中央線の電車に乗った時、ちょっと思い出してみて下さい。

次は横浜から、栄華を誇った路線の話です。

【予告】 追憶のボートトレイン

―参考文献―

鉄道ピクトリアル 2006年5月号 70年の歴史を閉じる交通博物館 -館内展示と旧万世橋駅部分を見る- 鉄道図書刊行会
JTBキャンブックス 東京駅歴史探見 JTB

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