Rail Story 13 Episodes of Japanese Railway  レイル・ストーリー 13 

 里帰りした電車たち 4

神戸港から神戸といえば日本を代表する港の街。大阪湾と六甲山系に挟まれた土地に都市機能が凝縮し、しかも異国情緒にあふれた独特の魅力がある。そんな街を、かつて路面電車が走っていた。

明治維新後、急速に人口が増えた神戸市内の交通といえば人力車か乗合馬車しかなく、将来性が懸念されていた。やはり路面電車の導入を、という気運が高まり、神戸電気鉄道(現在の神戸電鉄とは別の会社)の手で特許申請がなされ、明治43年4月5日、兵庫駅前-春日野間の開業を迎えた。
神戸電気鉄道はその後も路線の延長を行うが、神戸市の都市計画と波長が合わない点が問題視されるようになる。結局市による道路建設と並行して路線を拡張していくほうが良いということになり、大正6年8月1日、神戸電気鉄道は神戸市電気局に生まれ変わった。以後市内中心部から郊外に向けて市電路線が形成されていく。

神戸市電は今でも「東洋一」と言われることが多い。確かに戦前の神戸市電は正にそれを謳歌していた。当時路面電車といえばどこでも創業時から生え抜きの木造車が多く走っていたのに対し、電車の安全性と経済性を重視した神戸市はいちはやく鋼製車を導入、また既存木造車の鋼製への更新も並行して行われ、昭和11年には全車鋼製となるなど、電車のレベルが実に高かった。
特筆すべきは昭和10年にデビューした700形だ。車内は全部転換式クロスシートが並び、窓は屋根に達するほど大きなもので市電というより遊覧バスの雰囲気があり、トラムガールと親しまれた女性車掌が乗務、この電車は「ロマンスカー」と呼ばれ市民からは高い人気を得たという。

その後、太平洋戦争で神戸市電は車庫や工場が空襲されて、全282両のうち143両が被災、この他にも資材不足などで終戦時には可動車はたったの30両という状況だった。しかし国内トップレベルの技術屋集団だった神戸市電気局改め交通局は、たちまち電車の整備を進め昭和20年度末には100両を再び路線へ送り出し、以後は局でも電車を製造、神戸市電は市民の復興を支えていった。
昭和28年に製造された750形2次車5両は、戦時中「贅沢は敵」と撤去されたロマンスカー700形の転換式クロスシートの復活を、という市民のリクエストに応えたもので、トラムガールも復活して「東洋一」の座をキープした。

ただこの後は他都市同様モータリゼーションが神戸市電を悩ませることになる。昭和41年4月いっぱいでの税関線廃止後は、櫛の歯が抜けるように路線の廃止が続き、昭和46年3月13日、板宿-三宮間の廃止をもって神戸から市電は惜しまれつつ走り去ってしまった。

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昭和44年3月31日、神戸より一足先に全面廃止となった大阪市電から、最後は代表格とも言える存在だった2601形のうちワンマンカーに改造されていた14両が、揃って広島電鉄に移籍した。既に昭和40年から大阪市電の広島電鉄移籍は行われており、この時は広島電鉄仕様に装いを改めたのに対し、2601形は大阪時代の装いをほぼそのままに広島での活躍を開始したことで注目を集めた。昭和33年に始まった市内線と宮島線の直通運転も好評で、電車を増やす必要があったようだ。

そんな広島電鉄が、東洋一と謳われた神戸市電が廃止になる話をそのまま聞き逃すはずはなかった。神戸市からは最終製造車の1100形と1150形、それに大正末期から昭和始めに製造された500形が広島へ移籍することになった。いずれも神戸時代にワンマンカーに改造されたものばかりだが、車歴の古い500形が選ばれたのは晩年のワンマン化工事の際大々的に車体を改修した結果、まだまだ先まで使える堅牢なものになったことが決め手になったといわれている。
神戸時代は前乗り後ろ降りだったワンマンカーは広島の後ろ乗り前降りに改められ、大阪市からやって来た2601形改め900形同様、神戸時代の装いそのまま、形式もほぼそのまま(神戸市1100形→広島電鉄1100形、神戸市1150形→同1150形、神戸市500形→同570形)しかもナンバーも特徴ある神戸時代の書体のままでの活躍が始まった。

広島電鉄900形(元大阪市2601形) 広島電鉄1900形(元京都市1900形) 広島電鉄1300形(元西鉄1300形)
広島電鉄900形
(元大阪市2601形)
広島電鉄1900形
(元京都市1900形)
広島電鉄3000形
(元西鉄1300形)

のち広島電鉄には京都市、西鉄からの移籍車が加わり、正に多彩な路線として注目を集める。行政との連携で軌道敷からクルマを排除して定時運行に努め、冷房化など積極的な策が功を奏して市内交通、それに郊外線としての機能を果たしていく。

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まるで広島が生まれ育った地であるかのような活躍を続けた元神戸市電たちであったが、さすがに平成の世となってからは転機が訪れる。

平成11年6月、広島電鉄には画期的新車「グリーンムーバー」5000形がデビューした。ドイツ製のスマートな車体はたちまち注目を集めた。超低床構造でバリアフリー化を実現、走行性能も国産車を上回るものだった。もちろん宮島直通系統に投入されたが、運用の合間には市内線も走ることがある。そしてこの電車には当然のようにプリペイドカードが使えるようになっていた。
いちいち小銭を用意しなくても、乗り降りの際カードを読み取らせるだけで電車に乗れる気軽さは至って便利で、広島電鉄では全車にカードリーダーを設置していたが…。

神戸市から移籍した広島電鉄1100形、1150形、570形は、いずれも前の扉(出口)が他の電車に比べて狭く、カードリーダーを設置してみると降車する客の流れを妨げてしまった。さすがにこの頃になると車歴の長い570形は数を減らしていたが、1100形、1150形はなおも移籍した全車が健在、共に冷房装置を積み活躍を続けていたものの、他の電車より出力がやや低いことも問題視されるようになり、平成15年3月には広島の元神戸市電は1100形の全車が引退、570形は584号と587号、1150形は1156号の以上3両を残して引退することになった。
以後も元神戸市電の活躍は見られなくなる一方で、平成17年6月には587号も引退、残った2両も殆ど走ることがなくなってしまう。

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平成15年3月28日、神戸市電が市内の御崎公園で公開された。広島で直前まで活躍した1100形の1103号だった。もともと神戸時代からあまり装いを変えていなかったが、もともと搭載していなかった冷房装置は撤去されている。

神戸市1100形
御崎公園に保存展示された1103号

残念ながら車内までは公開されていないが、広島時代の装備はそのまま残り、従ってワンマン機器も後ろ乗り前降りと神戸時代とは逆になっている。また広告類も貼られたまま、今は静かに佇んでいる。

神戸市では全面廃止を前にロマンスカー700形の705号、それに800形の808号を永久保存している。705号は既にロングシート化されていたが、工場に残っていたクロスシートを集め、本来バネ式だった吊革は営団地下鉄銀座線で使われていたものを譲ってもらい、ロマンスカー当時に復元されている。両車は現在、神戸市地下鉄の名谷車庫で大切にされている。705号は廃止を記念したイベントを始め、その後も何度か公開され姿を目にした市民も多いことだろう。
また東灘区の本山交通公園には、1150形で唯一ワンマン化改造を受けず広島へ移籍しなかった1155号が保存されている。年々状態が悪くなり一時は解体という話まで持ち上がったが、最近になりすっかり美しく蘇った。
また広島に移った仲間も570形(神戸市500形)の573号は運転台部分だけだが広島市立子供科学館で保存展示された。また578号はアメリカはサンフランシスコに渡り、イベント走行を行っている。集電装置はかつての神戸時代同様ポールに戻ったが、「広島駅」などの行先表示もそのまま走っているという。ただし神戸でも広島でも左側通行だったものがアメリカでは右側通行、ちょっと勝手が違って戸惑ったかもしれない。

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御崎公園にはサッカーチーム「ヴィッセル神戸」のホーム、神戸ウイングスタジアムがあり、また公園の地下は神戸の地下鉄湾岸線御崎車両基地となっているが、なにより1103号の保存された場所こそ、神戸で最後まで在籍した和田車庫のあった場所である。

1103号はかつての家に帰ってきたのだ。幸せな里帰りだったと言えるだろう。


緑の濃淡のボディ、それに特徴ある書体は、のちに神戸市地下鉄西新・山手線にも、もちろん引き継がれました。最初の新長田-名谷間の開業を記念して、名谷駅ではロマンスカー705号が展示されていましたね。

さて神戸市内にはもう一つ路面区間を持つ私鉄がありました。それは市電とも実に謎めいた繋がりを持っていたようで…。

次はそんな「謎」にふれてみましょう。

【予告】 幻の路面電車 3

―参考文献―

鉄道ジャーナル1999年11月号 特集 路面電車復権と近代化への道筋 鉄道ジャーナル社
鉄道ファン 1973年9月号 電車をたずねて 7 大阪・神戸・阪急を集めて賑わう広島電鉄 交友社
RM LIBRARY 75 全盛期の神戸市電(上) ネコ・パブリッシング
RM LIBRARY 76 全盛期の神戸市電(下) ネコ・パブリッシング
神戸市電・阪神国道線 トンボ出版
JTBキャンブックス 神戸市電が走った街 今昔 JTBパブリッシング

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