Rail Story 13 Episodes of Japanese Railway  レイル・ストーリー 13 

 里帰りした電車たち 2

福井では平成13年10月から11月にかけて二度、市内交通の新たな方向性を探るべく「交通実験」が行われた
近年地方都市では郊外に大型ショッピングセンターが進出する代わりに市内中心部の空洞化が進む例が顕著である。これはクルマ社会化と同時に既存の交通機関から乗客離れを意味しており、また中心部のあった店舗の存在価値低下も否めない。「交通実験」はこれらの動きに歯止めをかけるべく、路面電車や路線バスの頻発運転や運賃値下げなどを行い、市内中心部の活性化を目的に全国で行われた。

この福井での実験に使われた電車が、後に思っても見なかった「里帰り」を果たすことになる。

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福井市内には福井鉄道福武線の福井新-福井駅前・田原町間の路面区間があり、短区間ではあるがこの間の折り返し運転が行われ、市内交通の一翼を担っていた。ずっと郊外電車スタイルながら小柄のモハ60形電車がその任にあたってきたが、昭和42年には廃止になった北陸鉄道金沢市内線から移籍した3両の路面電車に受け継がれた。
しかし及んでくるモータリゼーションには勝てず、折り返し運転は昭和44年に廃止されて金沢からやってきた電車も運命を共にした。福井ではたった2年半という短い活躍に終わっている。

以後福井鉄道では昭和48年の錆浦線、昭和56年の南越線の廃止ですっかり寂しくなってしまうが、本線格の福武線はその名のとおり福井と武生の間を結んでいた。
ところが平成元年には福井市の市政100周年を記念して福井新-福井駅前・田原町間の折り返し運転が復活することになった。その運転に抜擢されたのは再び北陸鉄道金沢市内線を走っていた電車だった。

というのも、昭和63年6月に一部区間が廃止された名鉄岐阜市内線には、金沢から多くの電車が移籍し活躍していた。しかしこの一部廃止をうけて元金沢市内線の電車は引退することになったものの、幸いにも福井鉄道での運転のため1両の再移籍が決まり、モ562号が番号もモハ562号としてそのまま福井の街を走ることになったのである。
しかしこの区間運転もその年の12月には中止され、またしても福井の路面電車は姿を消したように思われた。モハ562号はその後平成7年の鉄道の日を記念したイベントで少し走る機会はあったものの、車籍こそあれ休眠状態が続いた。

モハ562号が最後に福井の街を走ったのが平成13年の交通実験だった。この時は「すまいるトラム」という名前を付けられ、運転区間はかつての折り返し運転同様福井新-福井駅前・田原町間だった。
ただし実験はこのモハ562号では足りず、名鉄から電車を1両借り受けて行われた。それは美濃町線モ800形のモ802号で、前年7月にデビューしたばかりの、いわばバリバリの新車だった。福井ではモハ562号と同じく「すまいるトラム」という名で走ったが、短期間で岐阜に返すために車内の広告類もそのままに…。

福井鉄道モハ562号 名鉄モ802号
「すまいるトラム」として走ったときのモハ562号 田原町駅で発車を待つ名鉄モ802号

これら交通実験に使われた2両の電車は、生まれは違えど岐阜の同じレールを踏み、続いて福井で同じレールを踏むと奇妙な経歴を持つことになったが、この後、実に珍しい里帰りを果たすとは…誰も想像出来なかった。

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平成17年3月31日、名鉄は採算性が悪化して路線の継続が望めなくなった岐阜地区の600V線区、岐阜市内線、美濃町線、揖斐線の全面廃止を行った。市内線と郊外線の直通運転が意欲的に行われ、さらに美濃町線は規格の違う各務ヶ原線の新岐阜駅に乗り入れるなど、珍しいスタイルで知られていた。
走っていた電車たちは同時に仕事を失ってしまったが、比較的新しい電車が多く、一度福井へやってきたモ800形は平成12年のデビュー、それ以外に美濃町線のモ880形は昭和55年、揖斐線のモ770形は昭和62年、モ780形は平成9年のデビューだった。名鉄はグループ会社を中心に移籍先を探すことになり、早速豊橋鉄道と福井鉄道へ行くことが決まった。また岐阜市内線専用車だったモ590形も四国高知へ移籍することになった。

福井鉄道は郊外電車スタイルの電車で路面区間に乗り入れていた。ただし路面区間のホームは低く、乗り降りには電車に付いているステップが必要だった。しかしこれは近年叫ばれているバリアフリーには対応しておらず、またそれらの電車にも少しずつ疲れが見え始めていのも事実。そこで岐阜から電車を導入すれば若返りが実現するばかりか、路線全体のバリアフリー化を促進出来るというメリットが見えた。

岐阜地区の600V線区の電車の保守を一手に引き受けてきた名鉄岐阜工場では移籍に向け最後の整備が行われ、並行して福井鉄道では福武線のうち路面区間以外の高いホームを低く改良する工事も行われた。そして元美濃町線モ880形、元揖斐線モ770形、それに元美濃町線モ800形がやってきたが、そのモ800形の中にはかつて「すまいるトラム」として平成13年に福井の街を走ったモ802号が含まれていたのだ。

過去に一度だけ来ただけの福井が、第二の活躍の地になるとはモ802号は思わなかっただろう。まさかこんな里帰りが実現するとは…。

名鉄モ800形改め福井鉄道モハ800形
福井で再び走りだしたモ800形

平成18年4月1日、福井鉄道はダイヤ改正を実施、元名鉄車たちの活躍が始まった。車体のコスチュームこそ福井鉄道カラーに変わったが、ナンバーは名鉄独特の書体がそのまま受け継がれた。福井市内はどこか岐阜の街並みに似ており、電車が走る姿は岐阜時代を思わせるものがある。またモハ880形のうちコカ・コーラの全面広告車となったものはベースカラーが赤ということもあって、むしろ名鉄の電車がそのまま走っている感さえある。

福井鉄道モハ770形 福井鉄道モハ800形 福井鉄道モハ880形
元揖斐線モ770形のモハ770形 元美濃町線モ800形のモハ800形 元美濃町線モ880形のモハ880形

福井鉄道はこうして体質改善を実現した。一方その陰で「すまいるトラム」として走ったモハ562号は西武生駅の隅でずっと休む毎日だったが…。

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平成18年9月、モハ562号は金沢市内のあるホームセンター駐車場に、その姿を見せた。

平成13年10月の交通実験以来、福井鉄道で走らなくなって久しく去就が注目されていたが、金沢市内の会社の好意で、奇跡とも言える里帰りが実現したのだ。昭和42年の北陸鉄道金沢市内線廃止後は岐阜に移り、ワンマン化改造などは行われたものの、自慢のスリムな車体は健在だった。今は金沢近郊でレストアが行われていると聞く。長い間走らずにいたせいか車体各部の痛みは否めなかったが、近いうちに北陸鉄道モハ2200形のモハ2202号現役当時の姿が見られることを期待したいところだ。

北陸鉄道モハ2202号
39年ぶりに金沢に戻った北陸鉄道モハ2202号

一方北陸鉄道金沢市内線からは豊橋鉄道にも電車が移籍している。北陸鉄道モハ2300形の2両で、豊橋ではモハ3300形と型式こそ変わったものの、後年豊橋鉄道カラーに塗り替えられるまでは北陸鉄道時代の姿のままで活躍していたという。ところがモハ2200形同様のスリムな車体は冷房装置の搭載が出来ず、また収容力も小さいので、長く続いた豊橋での活躍にもピリオドを打つことになった。平成12年3月末の引退直前に、2両のうちモハ3302号は金沢時代の姿に復元されて最後の営業運転を果たし、利用客やファンを驚かせた。

これら2両は、7月30日の豊橋鉄道豊橋市内線開業75周年イベントでの公開を最後に、アメリカはイリノイの博物館へ引き取られることが決まっていたが、アルカイダによるテロ事件の影響を受け話が流れてしまった。ところが鉄道技術研究所でハイブリッド路面電車の試験に供されることになり、その後2両は東京は国立へと旅立つことになる。現在モハ3301号はリチウムイオンバッテリーなどを搭載し試験運転を繰り返しているが、モハ3302号は予備車としてそのまま保管されている。復元された金沢時代の姿で…。

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金沢、福井、岐阜、そして豊橋。これら中部地方の都市を舞台に繰り広げられた電車の移籍劇だったが、中でも名鉄モ802号は、ほんのちょっとアルバイトに行った先だったはずが、その後仲間を引き連れての正社員登用に話が進展した。また北陸鉄道モハ2202号は岐阜での活躍を終え、福井で隠居生活を送っていたものの、最後に思いを馳せていた古巣の金沢に戻れるとは…どちらも想像出来なかったに違いない。


平成19年、金沢市電こと北陸鉄道金沢市内線が廃止されて40年を迎えましたが、それでもなお一部の電車たちが現存しています。そして稼動車が1両…試験終了後はもう1両と共に金沢に戻って来られたら、と思う次第です。

次の話題は関西へと移りますが、同じく「里帰り」を果たした電車の話です。

【予告】 里帰りした電車たち 3

―参考文献―

鉄道ピクトリアル 1996年9月号 <特集>北陸の鉄道 鉄道図書刊行会
鉄道ピクトリアル 2000年11月号 豊橋鉄道豊橋市内線開業75周年 鉄道図書刊行会
鉄道ピクトリアル 2001年5月号 【特集】北陸地方のローカル私鉄 鉄道図書刊行会

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