Rail Story 12 Episodes of Japanese Railway レイル・ストーリー12

 阪急電車の謎 3

現在まで数々の話題をこの場に提供してくれる阪急電車。前回は京都線の生い立ちから京阪を中心とする話題を紹介したが、今回は元祖阪急電車である宝塚線の話題を取り上げてみよう。

ただ、一口に「阪急」と言っても、その業態は鉄道業に留まらない。創業時からの伝統である自社開発の高級住宅街と併せた清楚なイメージは電車のカラーにも一致するものがあり、ターミナルの梅田界隈の賑わいと自社ブランドイメージは揺るぎない存在だ。今では関西のみならず関東でも「阪急」の文字を目にすることができ、大型書店「ブックファースト」も阪急系列である。

しかし…今日こうして繁栄する阪急の姿は、もしかしたら存在しなかったかもしれない。

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十三駅宝塚線ホームの阪急6000系阪急の前身は明治40年10月19日に設立された箕面有馬電気軌道(以下略して箕有電車)である。会社設立に先立つ明治39年12月22日付けで既に梅田-宝塚間をはじめ宝塚-有馬、宝塚-西宮、梅田-野江間及び箕面支線の路線特許を取得している。
当時、大阪を中心として開業した私鉄各路線はいずれも都市間の連絡を目的にしたものだったが、箕有電車の場合はとても都市間連絡とは言えないのが悩みだった。しかも沿線には畑以外何もない…ミミズ電車とまで言われたほどで、そのため今に伝わる名湯の有馬温泉や、景勝地の箕面などと大阪を結ぶ観光路線としての性格が求められた(社名にも反映されることになったが)。しかし宝塚から有馬までの険しい地形は鉄道の建設を阻み、結局明治43年3月10日、現在の宝塚線と箕面線の開業をもってスタートしている。

いっぽう、現在「宝塚線」を名乗る路線がもう一つ存在する。JR西日本福知山線がそれだ。この路線はもともと阪鶴鉄道という私鉄で、社名が示すように大阪と舞鶴を結ぶという壮大な夢を持っていた。
阪鶴鉄道の路線は明治24年9月に尼崎港-伊丹間を開業した川辺馬車鉄道に端を発したもので、この鉄道は同年12月に摂津鉄道と改称し伊丹-池田間を延長しているが、レール幅762mmの軽便鉄道だった。
明治26年8月には兵庫県や大阪府などの有志により阪鶴鉄道が設立されたが、これは当時の政策では関西と山陰を結ぶ路線が大阪を基点とするものではなく、現在の山陰本線や播但線などが予定されていたためで、ぜひとも大阪からの路線をつくりたいという強い希望から生まれたものだ。計画では大阪から三田、福知山などを経由して舞鶴へ至るものとされていたが、舞鶴といえば天然の良港として知られ、明治期以降は軍港としても栄えたのは有名である。

この頃の鉄道路線は都市と軍事施設との関連が重要視されたこともあり、阪鶴鉄道の計画案は認可に向けて好スタートを切ったかに見えたが、一部区間が官営鉄道の東海道線と重複することから起点は神崎(現在の尼崎)とされ、また福知山から先は京都鉄道が建設することになってしまう。当初計画よりも路線は短くなってしまったが目的を達成するには建設を急がなければならず、明治27年7月に路線仮免許の下付を受けることになる。

阪鶴鉄道は明治30年2月16日に摂津鉄道を合併、レール幅を官設鉄道と同じ1,067mmに改修して池田(現在の川西池田)から福知山を目指すことになった。同年12月27日には宝塚まで延長開業、明治37年11月3日には福知山まで全線が出来上がった。この時京都鉄道から官設になっていた福知山から東舞鶴までの線路も完成、阪鶴鉄道はこの間の貸与を受けて大阪-東舞鶴間の営業が実現した。

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せっかく、社名に謳った大阪と舞鶴がレールで繋がったのもつかの間、明治政府は今で言うインフラ強化である「鉄道国有化」を進めることになり、明治40年8月1日、阪鶴鉄道もこの対象となってしまう。阪鶴鉄道の歴史はあっけなく終わりを迎えるが、実はまだ路線が宝塚に至る前の明治30年6月には、現在の川西池田駅から分岐し能勢街道(現在の国道176号線)沿いに集落を縫い、そのまま大阪梅田へ向かう「川西池田延長線」計画が出来上がっていた。

というのも、阪鶴鉄道の起点は尼崎であり、大阪までは官設鉄道乗り入れという制約がつきまとう…それに沿線でも比較的大きな街は当時伊丹だけと言っていい位で、これでは集客はあまり望めず、列車の運転本数も多くは出来ないというのが阪鶴鉄道首脳陣の大きな悩みだった。こうなると自社の力での大阪キタの中心、梅田を目指す新路線計画に大きな期待がかかった。
川西池田延長線は途中池田、石橋、岡町などを経由して東海道本線大阪駅の北に隣接する梅田駅へ向かうもので、さらに箕面へ向かう支線も計画されていたというが、なぜか阪鶴鉄道は路線免許申請を躊躇してしまう。

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阪鶴鉄道の社内ではこのようなフラストレーションが続き、せっかくの開業も手放しでは喜べなかった。しかも徐々に国による路線買い上げが明らかになり始めると、会社の将来は…。阪鶴鉄道の会社存続案は、かつて首脳陣が描いた「川西池田延長線」を実現し、長距離輸送から都市近郊輸送への転換を図ることだった。
それならばと時代を先取りして当初から電車を走らせるものを計画、大阪-箕面-池田-宝塚-有馬、宝塚-西宮間の路線を明治39年4月に路線特許申請し、阪鶴鉄道首脳陣による「箕面有馬電気鉄道」としてスタートする。この年の12月には一部ルートの修正を受けたものの特許が得られ、新路線建設は実現に向かった。翌明治40年10月19日には社名を箕面有馬電気軌道と改めた…。

つまり阪急宝塚線は、阪鶴鉄道が成しえなかった案が形を変えて実現したものであり、その阪鶴鉄道は何と現在の阪急宝塚線にとって直接のライバルであるJR宝塚線(福知山線)であるという、実に奇遇な、かつ奇妙な結果を見ることになる。

もっとも阪急宝塚線の前身、箕有電車がたったの8ヶ月で路線特許を得たという裏側には、阪鶴鉄道国有化の代償という見方が強いようだ。また現在の阪急箕面線は、阪鶴鉄道時代に予定線として存在したもの…というのも興味深い。当時の計画では池田から箕面へ向かう予定だったが、箕有電車が得た特許では石橋から分岐するものとなり、現在に至っている。阪鶴鉄道川西池田延長線は箕有電車とほぼ同じルートだったが、十三は経由せず淀川を東海道線と並んで渡り、南方付近を経由するものとなっていたのが違いといえようか。ともかく、現在の阪急宝塚線・箕面線のルーツであることは確かである。

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箕有電車は能勢街道沿いに路線を建設したものの、ミミズ電車と言われる位に他の私鉄路線に比べ沿線人口はまだ希薄だった。しかし元阪鶴鉄道首脳陣の中には先見の明を持った人物が一人いた。後の阪急を築いた小林一三である。
まずは路線開業と同時に池田駅前に土地付き分譲住宅を売り出したが、小林は前年3月既にこの土地を取得しており、最初から状況を把握しながらも乗客を確保することを見越していたようだ。またこの宅地は1区画100坪前後という大きなもので、当然庶民には手が届かない位の高額だったようだが、住宅は欧米スタイルを取り入れた先進的なものが建てられ好評を博した。この手法は後の神戸線沿線でも踏襲される。

また有馬温泉へ路線を延ばせなかったために終点となった宝塚は、当時温泉地ではあったものの規模は有馬温泉とは比べものにならない小さなものだった。しかも駅は宝塚温泉から少し外れており、小林は集客を図るため「宝塚新温泉」を建設、路線開業の翌年の明治44年にオープンする。さらに翌年にはこれを拡張して「宝塚パラダイス」とした。その後もこの場所へ積極的にイベント等を誘致し、大正3年に行われた婚礼博覧会の中での少女歌劇が現在の宝塚歌劇団の始まりだといわれている。

その後箕有電車は有馬温泉ではなく神戸を目指す。途中の十三から分岐して六甲山麓をほぼストレートに路線を建設したが、これはもともとこのルートに街道筋がなかったことと、現在の宝塚線が能勢街道を忠実にトレースしたものだったために、カーブが多くスピードアップ出来なかった反省があったようだ。大正7年2月4日、神戸線の開業を控え箕有電車は「阪神急行電鉄」と社名を変更、この時の略称「阪急」がずっと親しまれていくことになる。
2年後の大正9年7月10日、神戸市中心部からはちょっと北西部に位置する上筒井と大阪梅田を結ぶ神戸線が開業、沿線には甲陽園、苦楽園など阪急ブランドの高級住宅地が展開されていく。同時に大阪のターミナルである梅田駅には白木屋(現在の東急百貨店の前身)をテナントとする駅ビルが出現し、人々を驚かせたという。大正15年7月15日には早くも梅田-十三間の高架複々線化が行われ、宝塚線と神戸線の分離運転が実現、昭和4年には阪急百貨店が入店した梅田駅ビルが堂々新築された。

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こうして阪急は現在へ至る繁栄の礎を築いていく。反対に現在のJR宝塚線(正式には福知山線)は、今でこそ阪急宝塚線と並ぶ存在にはなったものの、国鉄時代末期まで本格電化されずローカル線然とした存在に甘んじていた。こんな結果を誰が予想しただろうか。
ただし阪鶴鉄道が、川辺馬車鉄道に目を付けず最初から能勢街道沿いのルートで路線を計画していたとしたら、現在の阪急宝塚線はJR宝塚線だったかもしれない。そうなると阪急は…。ともかく関西の鉄道路線網が今とは大きく違っていたことだけは間違いないだろう。


今では鉄道業以外で、それも全国規模でもよく「阪急」という言葉が聞かれますが、その陰には生い立ちの謎が潜んでいたとは驚きです。ところがその後の神戸線開業以降も含めて、阪急電車には興味深い話が残っているようです。

次は、そんな謎めいた話です。

【予告】 阪急電車の謎 4

―参考文献―

鉄道ピクトリアル 1998年12月臨時増刊号 <特集>阪急電鉄 鉄道図書刊行会
鉄道ピクトリアル 2003年10月号 【特集】関西大手民鉄の列車ダイヤ 鉄道図書刊行会
関西の鉄道 1997陽春号 阪神間ライバル特集 関西鉄道研究会
関西の鉄道 2000新緑号 阪急電鉄特集 PartW 神戸線・宝塚線 関西鉄道研究会
JTBキャンブックス 大阪・京都・神戸 私鉄駅物語 JTBパブリッシング

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