レイル・ストーリー10 Episodes of Japanese Railway

 垣根の曲がり角

現在多くの鉄道会社の車両には、連結されている車両の間に出来る隙間からホームに転落する事故を防ごうと「転落防止装置」というものが取り付けられている例が多い。確かに車両間は大人一人分程度の間隔が出来てしまうが、列車がカーブを通る際必要な空間でもある。近年に至るまでその対策は無かったのだろうか。

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かつては機関車の牽く客車列車の補助として比較的短距離の運転ばかりだった電車は、やがて性能も上がり都市間の高速電車に発達する。昭和初期にはアメリカの郊外電車に範を取った電車が数多く登場するが、その中でも昭和5年に参宮急行電鉄(今の近鉄大阪線・山田線の一部。以下参急)にデビューしたデ2200形(のち近鉄モ2200形)は、大阪電気軌道(今の近鉄大阪線)、との直通運転により大阪と伊勢神宮の直結を実現した名車だった。
当時アメリカの電車には連結した車両間に柵のようなものを渡していたが、これが元祖転落防止装置と言えるだろう。参急デ2200形もその例に倣い転落防止装置を装備して落成している。装置は電車の正面の向かって右側にのみ取り付けられていて、連結時にお互いの装置が連結相手に届くものだったが、取り扱いに難があったのか、それとも効果がないと判断されたのか、営業運転開始直前に転落防止装置は取り外されてしまったようだ。

100形の安全畳垣(模型)続いて転落防止装置を採用したのが大阪市だった。昭和8年5月29日、地下鉄1号線梅田(仮)-心斎橋間3.0kmが開業したが、この開業に備えてつくられた電車の100形にも、正面の両側に転落防止装置が装備されていたが、これはニューヨークの地下鉄やイリノイセントラル鉄道の電車に倣ったものだった。
参急モ2200形の例と異なり両側となったのは、装置内部にバネがあり、電車同士を連結した場合にお互い押し合って車両間の隙間を閉じるという構造だったからだ。これなら電車の連結、解結時に転落防止装置を操作する必要がなかったが、この電車は他にも電気系統の連結に戦後まで他の鉄道で採用されなかった電気連結器を日本で初めて採用、他にも車体の不燃構造や電気ブレーキなど、当時の最新装備を誇った。何より開業当初の地下鉄1号線は1両での運転だったが、将来の連結運転を考慮した先見性は、駅の構造とも合わせ今も大きく評価出来るものだ。

この転落防止装置は「安全畳垣」と名づけられた。この後心斎橋-難波間の延長に備え200形が製造されて2両運転となり、安全畳垣がさっそく役立つことになる。続いて天王寺延長時に300形、3号線大国町-花園町間開業時に400形と仲間が増えていくが、400形は戦時中の製造のため16両つくられる予定が6両で終わってしまった。しかし手違いがあったようでモーターなどの電気部品はちゃんと16両分用意され、こんな時期に貴重な予備品とはありがたい…と重宝されたらしい。
戦後は運転台が拡がった500形に続き通風装置を改良した600形が1号線昭和町-西田辺間開業のために準備された。この時点で1号線は3両編成での運転だった。

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それでも戦後の地下鉄の乗客は増える一方で、1号線は4両編成化されることになり昭和28年から新車1000形が製造されたが、この電車からは安全畳垣は廃止されてしまった。この1000形は600形以前の電車と連結しない設計となり、さらに後期製造車からは蛍光灯の実用化など近代化が進んだ。戦前のスタイルそのままで安全畳垣のついた電車は「旧型車」となってしまい、のちに新車が続々と1号線に投入される中、徐々に目立たない存在となってしまう…。

やがて1号線が新大阪まで延びると、中津駅を出るとすぐに地下から一気に高架線へと続く600m近くの上り坂となり、1両当たりの出力の低い(170kw2台)旧型車ばかりを連結している列車では、雨のラッシュ時などはやっとの思いで坂を上っていたとか。
こうしてすっかり旧型の烙印を押された600形以前の電車だったが、近代化されながらも足回りが旧型車と同じだった1000形も含め、生まれ育った1・3号線を離れることなく結局万国博輸送用に製造された30系にバトンタッチするまで活躍を続けた。

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さて、この車両間の転落防止装置の類は大阪の地下鉄だけだったのだろうか。

昭和33年11月1日に運転を開始した国鉄の特急電車『こだま』には、似たような装置がついてはいた。とにかく『こだま』はそれまでの電車の概念を大きく変えたが、車両間は車体の外周に亘るビニール製の幌(外幌という)で繋げられていた。
これは車両間がもたらす空気抵抗を減らそうとしたもので、転落防止を目的にしたものではなかった。当初は1枚ものが製作されたが、検査などで連結を切り離す際に面倒なため、2枚ものをジッパーで繋ぐものに改められた。のちディーゼル特急『はつかり』にも外幌は採用されたが、当時『こだま』は最高速度110km/h、『はつかり』に至っては100km/hで空力特性の改善は殆ど認められず、それ以上に取り扱いが煩雑なため上越線特急『とき』以降は廃止されている。
さすがに昭和39年10月1日に開業した東海道新幹線では210km/hの世界、車両間の空気抵抗は無視出来ずウイング式の小さな板が取り付けられ現在に至っているが、これは転落防止装置と言えなくもないだろう。

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大阪の地下鉄から安全畳垣が姿を消し、転落防止装置に似たものは新幹線だけとなってしまったが、皮肉にもその存在が再びクローズアップされたのは事故だった。平成7年に岡山駅で起きたホームでの身障者転落死亡事故は衝撃的だったが、それまでも鉄道各社では毎年数回転落事故が起きており、これに鑑み急いで全国的に転落防止装置の設置を進めることになった。これは大阪の地下鉄とて例外ではなかった。

そもそもこの隙間は列車がカーブを曲がる際に必要だが、通常は50cm程度。しかしよほどの大柄な人以外は通り抜けられる寸法だ。ただし厳しいカーブの多い地下鉄路線では隙間は大きくせざるを得ない。大阪の地下鉄では70cmとしていたが、これは検車場に半径55mという急カーブがあるためで、これ以上狭めるのは不可能。かといって転落防止装置は必要。ゴムを突き合わせるなどいろんな方法が検討されたが決定打ではなかった。そこで地下鉄技術陣がふと思いついたのが「安全畳垣の復活」だった。

さっそく安全畳垣の構造を少し簡略化したものが試作され、実際に電車に取り付けて走ってみたところ効果は上々、半径55mのカーブも見事にクリアして実用化の目途がついた。
平成10年度から設置工事は急ピッチで進められ、平成13年度には完了をみた。

御堂筋線10系の転落防止装置 堺筋線66系の転落防止装置 安全畳垣と同じ構造
御堂筋線10系の転落防止装置 堺筋線66系の転落防止装置 安全畳垣譲りの構造

面白いのは堺筋線で、他線同様隙間は70cmとなっているものの検車場は阪急京都線にあり、急カーブもあまりないので阪急からの乗り入れ車は阪急のオリジナル構造のままとなっている。ちなみに阪急のはもっとシンプルな板バネ式だ。

阪急3300系の転落防止装置 こちらはシンプルな板バネ式
阪急車の転落防止装置 シンプルな板バネ式

いっぽう中央線と直通運転している近鉄東大阪線の電車は、地下鉄の安全畳垣式と全く同じものを装備している。同じくOTS線の電車も安全畳垣式だが、こちらは電車そのものが地下鉄24系と同じなので当たり前の話だ。

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引退後も車籍が残っていた旧型車のうち100形の105号車は昭和47年に廃車となったが、ほぼ原形を留めていたことで保存が決まり港検車場に移った。港検車場の廃止後は緑木車両管理事務所で保存されているが、現在は製造当初の姿に復元されイベントの際に展示されている。
また500形の510号車は救援車として御堂筋線我孫子車両工場に残り、営業運転当時の姿のまま、もちろん安全畳垣も装備したまま万一に備えていたが、我孫子車両工場が廃止になった昭和63年7月に工場と運命を共にした。もう少し生き永らえれば平成の世まで姿を留めることが出来たかもしれなかった。

また平成14年秋に出来た大阪歴史博物館7階には地下鉄開業当初のシーンが再現されたブースがあり、100形のカットモデルが展示されている。緑木車両管理事務所で保存されている100形はなかなか目にする機会はないが、こちらは気軽に見に行くことが出来て、再現されている安全畳垣の姿も判るようになっている。
カットモデルの背面にあるモニターには梅田仮駅の様子が大阪市地下鉄行進曲にのって映され、別のモニターには梅田-心斎橋間の地下鉄建設の様子や、牛に牽かれてやってきた電車の地下への搬入の様子など、貴重な映像を見ることが出来る。

地下鉄100形のブースとカットモデル
大阪市歴史博物館の地下鉄100形カットモデル

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安全畳垣は、こうして現在も大阪の地下鉄に生き続けている。一旦は姿を消した存在とはいえ、再び路線上でその姿が見られるのは、これが先駆者が残した如何に偉大な装置だったか…ということだろう。


万国博を前に引退した「旧型車」でしたが、その万国博では日本全国から大阪に集まった観客を、さらに万国博会場へと運ぶため前代未聞の輸送大作戦が遂行されました。しかしそれは予想を上回るものだったようです。

次はその万国博輸送の話です。

【予告】ああ万国博

―参考文献―

鉄道ピクトリアル 2004年3月臨時増刊号 【特集】大阪市交通局 鉄道図書刊行会
RM LIBRALY 56 万博前夜の大阪市営地下鉄 -御堂筋線の鋼製車たち- ネコ・パブリッシング
関西の鉄道 2001初冬号 大阪市交通局 PartV 関西鉄道研究会
関西の鉄道 2003初夏号 大阪市交通局 PartW 関西鉄道研究会
大阪の地下鉄 創業時から現在までの全車両・全路線を詳細解説 産調出版

近畿日本鉄道 参宮特急史 プレス・アイゼンバーン

―協力―

大阪市歴史博物館

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