ご乗車ありがとうございます。
レイル・ストーリー続編です。ごゆっくりどうぞ。


 ●特急『くろしお』の謎

紀勢本線の特急列車と言えば、「オーシャンアロー」、「くろしお」だが、これらの列車の歴史はかなり古い。また運転形態はかなり特色あるものだった。

「くろしお」の歴史は戦前に遡る。今では「くろしお」という平仮名だが、当時は「黒潮」と漢字表記だった。昭和9年11月に運転を開始した。運転区間は難波・天王寺-白浜口(今の白浜)だった。鉄道省(今のJR)の手で建設が始まった紀勢本線は全線開通のはるか前で、紀勢西線と称していた頃。その紀勢西線は東和歌山(現:和歌山)から先で、大阪までの路線はなかった。

大阪から和歌山までの路線はどうなっていたの?という話になるが、当時存在したのは南海、それと阪和電鉄だった。阪和電鉄というのは今のJR阪和線で、私鉄だったのだ。天王寺駅の阪和線ホームが高架の行き止まりホームなのはその名残だ(国有化を前提とした設計だったとも言われるが)。この両社が和歌山から先の南紀方面へのリゾート路線が開通したのを黙って見過ごすはずもなかった。当然のように直通列車を計画した。

その列車は鉄道省の客車を南海・阪和両社に直通させることになったが、始めは南海か阪和かどちらを鉄道省に乗り入れるかの選択に迷ったという。結局両社が直通ということになり、南海の難波-和歌山市、阪和の天王寺-東和歌山の区間は電車に連結して走らせ、南海の難波から走ってきた客車は和歌山市で電車から鉄道省の蒸気機関車にバトンタッチ、その先の東和歌山では同じく阪和の天王寺から走ってきた客車を連結、白浜口を目指した。この特異な運転形態もさることながら、南海、阪和、鉄道省ともにスピードにしのぎを削った。

特に阪和は既に天王寺-東和歌山間に「超特急」を走らせていた。所要時間は45分で、これは後の新快速よりも速かった。その電車を2両使い、省の重い客車4両を牽くというハンデをものともせず超特急と同じ45分で走破した。いっぽう南海は難波-和歌山市間を上りは53分(下りは55分)で走破、この記録は今でも破られていない。和歌山市、東和歌山での電車から蒸気機関車へのバトンタッチも極力時間を詰め、バトンを受け継いだ省の蒸気機関車も力走を続け、終点白浜口まで天王寺からのトータル2時間55分で運転した。この記録も、戦後蒸気機関車からディーゼルカーに置き換わるまで破られなかった。

阪和は東和歌山での電車から蒸気機関車へのバトンタッチの時間を惜しみ、さらなるスピードアップのために蒸気機関車でそのまま白浜口へ直通させる計画を考えた。今も「SLやまぐち号」、「ばんえつ物語号」で活躍するC57型を省からコピーさせてもらい、さらに流線型にしてたった数分でも切り詰められないかと検討したといわれる。しかしこれは電車だけの阪和に蒸気機関車用の設備も必要となり、乗務員の養成も必要だった。この案は計画に終わった。

この各社メンツをかけた勝負は昭和12年12月1日、戦時体制の突入により中止された。さらに阪和電鉄は南海に吸収され阪和山手線となったのもつかの間、昭和19年には国のものとなってしまった。

戦後、昭和26年4月に直通運転はその名も同じ「黒潮」で復活し、新宮までの直通となった。阪和は既に国鉄阪和線になっていたから南海の直通運転となった。当初国鉄の客車1両が南海に直通したが、南海が昭和27年5月に国鉄客車に準じた設計で新製した客車を使うようになり、この客車は南海のイメージカラーの緑に塗られ、国鉄列車に連結されて異彩を放った。のちに南海は国鉄の列車がディーゼルカーに変わった時に、同じく国鉄の設計に準じたディーゼルカーも新製して直通運転に使った。

「黒潮」の名前は昭和39年に紀勢本線にデビューしたディーゼル特急「くろしお」に受け継がれた。南海からの直通ディーゼルカーは国鉄急行「きのくに」に連結、直通客車のほうは紀勢本線の普通列車に連結されるようになった。

特急くろしお

南海の直通客車は客車そのものの老朽化と、それを牽く電車も老朽化して昭和47年3月に廃止されてしまった。ディーゼルカーのほうも昭和53年10月の紀勢本線電化とともに特急「くろしお」が電車に変わったものの、電車が投入されずディーゼルカーのまま残った急行「きのくに」は人気が急落、南海からの直通車は冷房もないのに指定席というのも評判を落とす結果となり、昭和60年3月には後を追うように姿を消してしまった。いっぽうの特急「くろしお」のほうは、ディーゼル時代は名古屋-天王寺間をロングランするものもあったが、これも電車化で新宮までとなり分断され、名古屋方は「南紀」と変わった。

その後天王寺から大阪環状線に直通する線路が出来て、「くろしお」は新大阪や京都へ足を伸ばす。それを機に電車はリニューアルされ、阪和線には関空特急「はるか」も仲間入り。さらに「くろしお」には新車「オーシャンアロー」がデビューし、「くろしお」の存在は戦前の「黒潮」時代から変わることなく、関西からのリゾート特急として現在に至っている。

そして阪和・南海「黒潮」のたった3年余りの伝説は、今も熱く語り継がれているという。


ご乗車ありがとうございました。レイル・ストーリー2はここで終点です。

地下鉄銀座線ストーリー以来、こんなに数を重ねるとはボク自身思っていませんでした。ただし振り返って見ると「北アルプス」の話以外は関東・関西の話ばかりです。今後は他の地域にも目を向けようとも思っています。まずは中京方面からかなあ…と思ってみたり、はたまた広島電鉄も是非訪れてみたい魅力がいっぱいです。おやおやそれでは地元北陸を忘れているではないか…ということで、今のところまだまだ思案中なのです。

まずは頭の中を整理して、それからまた旅に出ようと思っています。

おや?番外編があるようです。お乗り換えのかたは、お忘れ物ないよう願います。

【予告】まだあった地下鉄銀座線ストーリー

―参考文献―

鉄道ファン 1994年11月号 阪和線と呼ばれて50年-その1- (株)交友社

このサイトからの文章、写真等の無断転載・引用は固くお断りいたします。

トップへ