レイル・ストーリー

大変ながらくお待たせいたしました。

気分も新たに発車いたします。ご乗車ありがとうございます。


 ●「推進回送」の謎

推進だの回送だのって言われても、そりゃいったい何の事?

かつて東京の北の玄関口と言えば上野駅だったが、東北・上越新幹線が出来、それが東京まで伸びた頃から少しずつ影が薄れて行ったという感じもしないではない。

ご存知のように、上野駅には高架ホームと地平ホームとがあるが、東北、常磐方面行きの特急列車は地平ホームの出発・到着が行われていることが多い。ただし、この地平ホームは上野駅で行き止まりである。上野駅地平ホームに着いた列車は、電車ならそのまま折り返して行けるが、機関車が引っ張ってくる客車列車は、折り返しはバックするしか方法がない…。

上野発着の客車列車は全て特急。札幌行きの「カシオペア」と「北斗星」2往復、金沢行きの「北陸」、秋田行きの「あけぼの」以上5往復。青森行きの「はくつる」が平成14年12月の東北新幹線八戸延長を機に廃止されたのは記憶に新しいところだ。これらの夜行特急列車は上野到着後、上野の二つ北の尾久駅に隣接する車庫(尾久客車区という)で日中整備やシーツ等の交換、車内の清掃が行われる。

というコトは、上野に着いたこれらの列車は、お客さんを降ろしたら次の列車のためにホームを空けなければならないというコトだ。そして尾久の車庫に向かうことになる。逆の上野始発の場合は尾久からバックして上野駅に向かう必要もある。ただ困ったことに機関車が先頭で走ってきた…というコトは、今度は一番後ろだ。牽くのではなく推す格好になる。それを推進回送という。確かにこのような推進運転ってのはあるんだけど、運転士は前も見えないし信号も確認し辛い。そこで規定では25km/h以下と決められているが、二駅間もそんなのろのろ運転をしていったら後の高崎線や東北線の運転に差し支えてしまう。

そこで、昔から行われている方法がコレ。機関車の反対側の先頭に、もう1人運転士を乗務させるというもの。動力は確かに最後尾の機関車だが、信号の確認と万一のブレーキ操作は客車の先頭にいる運転士が行えば、規定をやや緩和した45km/hでの走行が可能であるらしい。これならどうやら高崎線や東北線の運転には差し支えないようだ。

上野に着いた客車列車の例では、到着後今度は先頭となる客車に特殊な携帯型(といっても結構大きいようだが)ブレーキ装置を持った運転士が乗り、装置を接続する。その後列車はバック運転となり、尾久の少し手前の井堀信号場というところから車庫に向かって行く。天気のいい日はもちろん、雨の日も雪の日もこうして先頭のドアを空けて乗務しているそうだ。推進している機関車の運転士も手馴れたもので、客車の先頭でふんばる運転士の万一のブレーキ操作などは実際皆無なのだそうだ。
上野駅へ回送されて来る列車でもこれは同じ。バック運転なのに停止位置にピタリと止めるのは、まさに神業としか言いようがない。機会があったら一度じっくりと見て頂きたい。

ただし客車には先頭にドアがないのもあるが、それはもちろんワイパー完備。最新の特急カシオペアもそうで、上野寄り先頭の車両のスイートルームの窓にも、ちゃんと付いている。

♪上野発の夜行列車降りた時から〜なんて唄がかつて流行ったものだが、その頃は急行列車が多かった。さらにそれ以前の高度経済成長期の頃は夜行列車だけでなく、昼間の列車も客車だったので、この上野-尾久間の推進回送(略して推回)という名の二駅間のバック運転は、今とは比較にならない本数だった。


上野駅でカシオペアを見ていたら、実に羨ましい列車だなと思ったものです。こんな優雅な列車で北の大地へ旅してみたいものです。続いてやって来た北斗星はさすがに10年選手(改造以前を含めると20年以上だが)ということで、その違いも大きく感じました。

次は、今や幻となったものとその面影を辿ってみましょう。

【予告】玉電の幻影

―参考文献―

鉄道ジャーナル 1971年10月号 特集:輸送の裏方さん (株)鉄道ジャーナル社刊
鉄道ファン 1999年6月号 特集:短絡線ミステリー2 (株)交友社刊
JR時刻表 1999年12月号 (株)弘済出版社刊

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