レイル・ストーリー

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 ●「新線」の謎

東京では「新線」という名の路線が二つあった。京王新線と有楽町線新線がそれだ。「新線」という名前自体なんだか違和感があるなというカンジもするが、路線の生い立ちからして謎につつまれているようだ。

ただし「新線」という両者は、似かよっているようで実は全く意味合いが違う別物でもある。

まず、京王新線のほうから話を進めると、その前に都営新宿線を語らねばなるまい。この路線はもともと東京都の都市計画路線10号線として京王線との直通を前提につくられた。昭和53年の暮れも押し迫った12月21日、岩本町-東大島間が部分開通、続いて昭和55年3月16日には新宿-岩本町間が開通、この時同時に京王は笹塚からの京王新線を開通させ、両社の相互乗り入れ運転が始まった。その頃だったと思うが都市計画路線をそのまま名乗るのはいかにも味気ないというコトで、都営地下鉄線は1号線が浅草線、6号線が三田線と公募しての改称。都営10号線改め新宿線は路線を千葉県へと延伸し、平成3年3月19日、本八幡まで全通。

京王新線っていったい何?というと、あれは新宿-笹塚間の「京王線の混雑緩和のための複々線化」という名目なのである。そのついでにと言うか、初台駅、幡ヶ谷駅は新線に移り、付近の再開発も同時進行したばかりか本来の目的である、既存の京王新宿発着系統を笹塚までノンストップに出来たというおまけつきだった。

メリットはそれだけではなかった。実はそのような大都市の路線を大規模に改良する場合は、国から無利息で資金を借りられる措置があって、当然京王新線はこの制度を活用してつくられている。新線の建設はもとより、既設の京王線の地下線初台-笹塚間の改修と、電車の大型化までもがその対象となり、京王電鉄は無事その恩恵を受けられただけでなく、運賃値上げという利用者にとっての痛手となることもなく、みんなが得したねという例なのである。

さて、有楽町線「新線」。

結論から先に言うと、あれは本来西武の電車が走る線ではなく、東武東上線だけが乗り入れる路線だったという事実。つまりは東武新線となるべきだったとも言えよう。

そもそも営団地下鉄(現:東京メトロ)有楽町線というのは、都市計画路線8号線のことであり、当初の計画では練馬-新木場間とされていた。ここで、ん?練馬?と思うのが当然だろうと思う。しかも新木場から先はJR京葉線にも乗り入れる予定だったという。新木場駅のホームが京葉線と隣り合わせなのは、その名残だ。

有楽町線は昭和49年10月30日に池袋-銀座一丁目間が部分開通しているが、計画では池袋から先は練馬へ延長して西武池袋線だけに乗り入れる予定だったのである。しかしその後どういうわけか有楽町線の矛先は二手に分かれ、成増をも目指す。ほぼ同時進行して小竹向原から別れて新桜台までの路線が出来たが、こちらは有楽町線ではなく「西武有楽町線」という名の都市計画路線8号線…というヘンテコな事態となり、一方成増へ向かった路線は「有楽町線」を名乗ったまま昭和62年8月25日、和光市まで伸びて予定外の東武東上線との直通運転が始まってしまった。

予定していた西武有楽町線の練馬延長、それと西武池袋線直通運転は練馬駅付近の再開発に手間取ったのが原因で、東武乗り入れに遅れること7年余り経った平成6年12月7日、ようやく実現の運びとなった。その時同時に開通したのが営団地下鉄の「新線」小竹向原-新線池袋間なのである。新線とはもともと有楽町線とは別の都市計画路線13号線(現在の副都心線)の一部先行開業という形だった。こんなややこしい話はない。せっかくの新線は有楽町線の複々線という扱いになり、途中駅に駅はなく快速運転状態だった。

…もっとも小竹向原から和光市へ向かった「有楽町線」が有楽町線を名乗ること自体が間違いで、この区間と現在の「新線」が「都市計画路線13号線の一部」となるのが本来の筋だったのだ。

実は有楽町線は、建設段階の途中から練馬だけでなく営団成増(現在の地下鉄成増)まで延長するのが決まっていたという。そして小竹向原から練馬へは支線的扱いとなった辺りから話がおかしくなってきたらしい。

本来13号線というのは、東武東上線志木から今の東京メトロ直通電車を小竹向原で本来の有楽町線と接続して「新線」を池袋へ進み、新宿・渋谷方面へ伸ばすことになっていた。つまり東武東上線と東京メトロ副都心線というシンプルな乗り入れ形態となるはずだった。ところが計画されていた路線の延長は、JR埼京線の新宿・恵比寿延長、さらにりんかい線直通も実現した影響を受けてなかなか先に進まなかった。

平成20年6月14日、ようやくこの複雑怪奇な現象に一応のピリオドが打たれた。

13号線は池袋-渋谷間の「副都心線」として開業、あの「新線」は予定通り副都心線の一部区間として生まれ変わり、有楽町線同様西武・東武との直通運転に。もと新線には千川、要町の2駅が新設され小竹向原-池袋間は有楽町線と並んだ複々線区間のような形に変化した。そこへ西武・東武・東京メトロ各社の電車が入り乱れ、しかも西武・東武両社は自社の地上線区間もあるという、終わってみればやっぱり複雑怪奇な現象に。とにかくこの時点で有楽町線「新線」は消滅したが、千川・要町の両駅は新線が開業した時点で既に完成していたのだという。つまり空洞のまま長い間待っていた駅だったのだ。

将来の副都心線の乗り入れ先となる東急東横線については渋谷駅の地下移転が具体化、さらにみなとみらい線との直通運転も視野に納められている。

そういえば有楽町線のイメージカラーはゴールド。駅での表示や営団車の帯の色もそうなっているが、実はこれは西武池袋線乗り入れを前提として、西武線のカラーである黄色にちなんだものだった!!逆に副都心線のエンジ色は…東武のエンジ色じゃないか!


平成12年12月12日に都内を環状線として結ぶ路線に生まれ変わった都営12号線は、なんと「大江戸線」という愛称が与えられましたが、それはどうやら石原都知事の「天の怒り」などもあったようで…(笑)

次は初のJRの話題です。

【予告】「推進回送」の謎

−参考文献−

鉄道ファン 1974年5月号 搬入が始められた営団地下鉄7000系車両速報 (株)交友社刊
鉄道ファン 1998年6月号 特集:地下鉄ネットワーク (株)交友社刊

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