関東私鉄ストーリー

お待たせいたしました。ご乗車ありがとうございます。

こんどは関東の方々にも満足頂きましょう。さぁ出発進行!!


 ●異母兄弟の謎

平成7年に起こった阪神大震災では、阪神電鉄の電車が受けたダメージが大きく、高架式の石屋川車庫と共に落下したり、本線上で落下したり地下線で壁に激突したりして全314両の電車のうち、41両が廃車になった。

このため阪神電鉄は代替の電車を新製したが、特急・急行用の電車は新たに9000系という新型とすることにした。

この電車、たしかに正面こそ阪神のオリジナルだけど、側面はどこかで見たような…と思って他社の電車を眺めているうち、それは何とJRの209系、そう京浜東北線の電車と瓜二つだということが判った。JR209系は20mの4扉だけど、阪神9000系は19mの3扉だ。長さと扉の数は違えど、車体の構造やディテールは全く同じだ。それもそのはず、阪神電鉄では震災後の設計期間があまりなく、「車両メーカーの標準製造ラインとなっている軽量ステンレス構体を採用した」ということだ。つまりは電車を製造した神戸の川崎重工で造っていたJR209系をアレンジしたものなのだった。

さて以上は関西での例だが、最近関東でも似た例があったのが判った。

東急は目蒲線改め目黒線と営団地下鉄(現:東京メトロ)南北線、都営地下鉄三田線との直通運転を開始した。さらに埼玉高速鉄道まで足を伸ばしだした。このために3000系という電車を新製したが、これも正面は新設計だがまたもや側面は…何かどこかで見たような…。そうか!これはJRの205系、そう山手線の電車と瓜二つだ。こっちは長さや扉の数まで同じだ。盗作か??

東急3000系

JR205系

都営6300型

実はスカイライナーの謎でも書いたが、東急は「東急車輛」という電車メーカーを持っている。このメーカーは、東急は当然、その他数々の私鉄や国鉄・JRにも多く電車を納入している。それで理由は判ったようなもの。JR205系と同じ設計で電車を設計してしまったのだ。また、都営三田線で既に走っていた6300形も、東急3000系と殆ど同じデザインだった。目黒線では東急・東京都・営団・埼玉高速の全部の電車が見られるが、営団南北線と埼玉高速の電車も正面が違うだけであとは同じだ。

電車製造メーカーでは通常「コンター」という車体の断面が製造上のキーポイントである。これを新たに設計して型を起こすのは結構面倒な作業らしい。JRの電車は大量に製造するため、いったん起こした型は結構長く使えるし、メーカーには部品がたくさんあるはず。それならそのまま流用してしまえ〜というのが電車製造のコストダウンにはもってこいな訳だ。

一般的に私鉄の電車設計は電車製造メーカーとの共同作業で行われる。それでこのような事が起こってしまったのだろう。


逆にノウハウがないから、JR(国鉄)の設計を流用させて欲しいという例もある。

秩父線の開業と共にセメント・石灰石輸送を行うようになった西武鉄道では、勾配がきついために大型の電気機関車が必要になった。しかし、その頃私鉄の機関車と言えば電車とたいして変わらない馬力しかだせないのが当たり前、国鉄と同クラスの大型電気機関車など、どう設計してどう造ればいいのかさっぱり判らない。それに西武ではそれまで国鉄払い下げの古い小型電気機関車しかなかったからなおさらだ。

そこで、大型の電気機関車なら国鉄ということで設計をコピーさせてもらうことになり、足回りは今でも特急北斗星やトワイライトエキスプレスを牽いているEF81型を、車体と機械関係はこれも今でも健在なEF65型をプロトタイプとして設計が行われ、その両者の型式の数字をもらった西武E851型は昭和44年、先代レッドアローと同時デビューを果たした。

車体のデザインはプロトタイプよりもむしろ洗練されていたというか、デザインの基となったフランス国鉄BB9200型に近いものとなっていた。赤い車体にベージュのストライプという塗装もそうだし、車体中央の二つの丸窓はBB9200型そのものだった。そんなかっこいい機関車が、いつも黒い貨車を引いて黙々と秩父と池袋(のち新秋津)を往復しているのを見て、「いつかはお客さんを乗せた客車を牽かせて、西武のスターにしてやりたい…」と思うファンや社員も多かったのは間違いないだろう。

それは事実だった。そしてそれはE851型最後の舞台を飾るに相応しいものとなって実現したのである。

E851型は荷主の三菱マテリアルが輸送をトラック化するという決定を受け、貨物列車の廃止は即ち引退を意味していたのである。それは平成8年3月のことだった。そこで引退記念イベントで花道を飾ろうと、自然と社員から声が上がった。最初は機関車だけを走らせてと考えたが、お客さんを乗せられない。なら、電車を牽かせてみたらという意見が出たが、ブレーキ接続の関係で難しい。それなら、JRの客車を借りてみては…という話になって、JR東日本に協力を要請したところ、快くオッケイという返事が来た。

あとは保安上の問題。運輸省に相談したところ一つだけ問題が発生した。JRの客車は低いホームでも使えるよう、出入口に段がついている。西武のホームは電車用で高いので、乗り降りのときに一段段差がついて低くなるという障害が発生するのである。しかしそこは粋な計らいで、「短期間の運転で、乗り降りする駅も限られているのなら、係員が監視するだけでよい」というお墨付きをもらい、E851型生まれて初めて、最初で最後の客車牽引が決定したのである。

こうして平成8年5月22日、JR東日本高崎運転所からJRのEF65型に牽かれた客車は、無事新秋津で西武E851型にバトンタッチ、所沢でホームと出入口の関係を確認したあと、小手指車両管理所に入った。ここで西武での寝泊りをしたが夜間は盗難、いたずらなどの警戒のため、2名の職員で終夜監視体制をとるという超VIP待遇だった。そして数回の試運転の後、5月26日には所沢-横瀬間でさよなら列車運転と撮影会というイベントが行われ、E851型は最後の花道を自ら客車を牽いて走り、引退した。

イベントに使われたJRの客車は、その日のうちに返却回送された。またE851型はその大型車ゆえに引き取り手がなく、全4両のうち保存機のE854を残して解体されてしまった。一方残ったE854は現在横瀬車両基地にひっそりと体を休めて、正丸峠や秩父の山並み、それとも所沢や池袋の街並に思いをはせているに違いない。


こうして瓜二つという電車たちは、以外な理由を秘めて、走りつづけているのです。それと電車のドアはJRの部品をそのまま使っている私鉄が多いというのも事実のようです。

次は電車を離れ、なんとバスの話題です。

【予告】都バスの謎

【参考文献】

鉄道ファン 1996年5月号 新車ガイド4 阪神9000系 (株)交友社
鉄道ファン 1996年8月号 さよならE851 (株)交友社
鉄道ファン 1998年6月号 特集:地下鉄ネットワーク (株)交友社
鉄道ファン 1999年6月号 新車ガイド2 東急3000系 (株)交友社

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