関東私鉄ストーリー 番外編

お待たせいたしました。ご乗車ありがとうございます。

ちょっと脱線しかかってます(笑)。今回は中京私鉄の話です。


 ●「北アルプス」ものがたり

JRと私鉄を直通する特急列車といえば、東京から伊豆急・伊豆箱根鉄道へ乗り入れる「スーパービュー踊り子」「踊り子」、小田急の新宿からJR東海の沼津へ向かう「あさぎり」があるが、名古屋鉄道(以下名鉄)犬山線からJR高山線へ直通する「北アルプス」が最近まで走っていた。

名鉄から高山線への乗り入れの歴史はかなり前に遡り、昭和7年10月8日に始まっている。それは名鉄線北西部の前身、名岐鉄道が鉄道省高山線に電車を直通させた事に始まっている。名岐鉄道は省の高山線の開通をきっかけに、犬山線鵜沼から温泉で有名な下呂への直通運転を当時の鉄道省へ申請した。ただし乗り入れるのは「電車」だった。

それは私鉄の電車が省線に乗り入れる初のケースだった。しかし現在も高山線は今でも電化されていない。電気がないところに電車をどうやって乗り入れるというのか…という話になるが、当時はまだディーゼルカーは実用化されておらず、当然省の蒸気機関車で電車を引っ張ってもらうことになる。ただ、両者のブレーキ方式が違っていてそのままでは連結が出来なかったのと、長時間の運転になるのにトイレがないという問題が生じてしまった。

しかしこの申請は意外にもあっさり認可が得られたという。というのも当時岐阜を起点にしてしまった高山線の基点を、ぜひ名古屋にしたいという政財界の動きがあったという経緯と聞く。

無事認可も下り、名岐鉄道は電車2両を専用車に改造することになり、電車の車内半分を畳敷きにするという今のお座敷列車の先駆となるものであった。また当時名岐鉄道は名古屋市電にも乗り入れていて、名古屋駅に近い柳橋を起点として利用していた。そのためちょっと路面電車っぽいスタイルの電車による特急「下呂号」がデビューした。

特急「下呂号」は土曜午後・日曜午前に下呂へ向かい、日曜午後に名古屋へ戻るダイヤで、大人気だったという。そしてこんな歌(今でいうイメージソング)も作られたという。

見たか乗ったか 名岐の特急
モダーン日本の ヨイトナ 青畳
一度お乗りよ 下呂行き特急
粋なサービス ヨイトナ 気も晴れる

名岐鉄道は翌年にはさらにトイレ付き専用車を投入した。その後名岐鉄道は愛知電鉄と合併して名古屋鉄道、つまり名鉄となる。のち高山線は富山まで全通し、昭和15年10月10日、今度は名鉄の電車に代わり鉄道省の客車が直通することになり、名鉄線内は電車が客車を引っ張るという形に変わった。同時に直通区間は富山まで延び、これまた大好評。その後名鉄名古屋本線の電圧の統一、新名古屋駅のオープンもあったが戦局の悪化と共にいつしか直通運転は休止されてしまった。

戦後はなかなか高山線直通列車が復活しなかったが、ずっと名古屋港内から国鉄への貨車輸送を一手に引き受けてきた名鉄築港線から名古屋臨海鉄道へのバトンタッチの交換条件として、絶えていた名鉄から国鉄高山線への乗り入れが再浮上、実現の運びとなったのである。

そして名鉄は直通用ディーゼルカー、キハ8000系6両を製造した(1等車2両・2等車4両)。足回りこそ国鉄急行用のコピーだったが、それ以外は全くの名鉄オリジナル設計が許された。名鉄のブランド、パノラマカーから眺望の良い連続窓を継承、前面のデザインは国鉄の特急ディーゼルカーのイメージを取り入れた流麗なデザイン。
車内の装備も豪華だった。当時の国鉄準急列車は冷房など無く向かい合わせの切り立ったシートが当たり前だった中、国鉄特急同等に全車冷房完備、2等車でも転換式二人掛けシートという豪華な内装を備えた全車指定席の準急「たかやま」は、昭和40年8月5日、神宮前-高山間に華々しくデビューした。
また名古屋を朝出発し午後には高山に着き、高山を夕方前に出発して夜名古屋に戻るという観光に都合の良い時間帯に運転されたこともあり、サービスの差も歴然とあれば大人気となったのは当然である。「たかやま」の指定券は発売開始直後に売りきれるという状況が続いたという。

キハ8000系

パノラマカー7500系

のち名鉄「たかやま」は小田急「あさぎり」同様、国鉄の準急制度廃止により急行に格上げされる。そして昭和45年7月第一の転機が訪れることになる。

それは季節運転ではあったものの高山線を富山まで走破し、さらに開通なった立山黒部アルペンルートの玄関口、富山地方鉄道(以下地鉄)の立山まで乗り入れを行うことになったのである。私鉄の列車が国鉄線を経由してさらに私鉄へ乗り入れるという前代未聞のケースで、同時に太平洋側と日本海側を私鉄の列車が結ぶという壮大なものとなり、名前も「北アルプス」と改称した。

地鉄へは国鉄からの急行「立山」などの直通列車の運転も始まり、盛況ぶりを見せることになった。

続いて昭和51年10月、第二の転機が訪れた。
急行「北アルプス」は特急に格上げされることになった。名鉄8000系はもともと特急と言っても差し支えない装備だったが、これを機会にシートを張替え、車体の塗装を国鉄タイプに改めるなどグレードアップが図られた。なぜ特急にまで昇りつめたのかは…単に当時赤字財政だった国鉄が、少しでも収入を伸ばすために格上げしたのでは…という説が有力である。

立山までの直通は急行時代同様に季節運転だったが、当時国鉄特急といえば食堂車にグリーン車など、多くの車両をつなげたものが多かった中で、普通車だけのたった3両編成の特急というのは大変珍しがられたものだ。ただし高山までは6両だったし、立山直通がない冬期は飛騨古川まで6両のまま運転していた。

当初こそ各地から華々しく乗り入れが行われた地鉄だったが、その後直通列車を利用する観光客も減り、昭和58年11月には「北アルプス」は飛騨古川止まりに戻ってしまった。しかしその後高山線特急の需給見直しにより、「北アルプス」は昭和60年3月再び富山まで延長される。この時国鉄「ひだ」名古屋-金沢直通の1往復は廃止され、高山線を富山まで走破する特急は国鉄ではなく、名鉄の「北アルプス」という事態まで招いてしまったのである。

ながらく活躍を続けてきたキハ8000系だったが、平成元年2月JR東海が特急「ひだ」に投入した高性能新車キハ85系が走り出すと、さすがに疲れが目立つようになってきた。確かにこの時点で「北アルプス」の利用者は少しずつ蔭りが見えていたことは事実ではあったが、時はちょうどバブル景気真っ盛り。名鉄はここで新車を製造しての列車存続を決めた。

「北アルプス」は平成2年3月には運転区間が新名古屋-高山間に短縮され、続く平成3年3月、新車キハ8500系に交代し、第三の転機となった。今度の新車も足回りはJRのコピーだが、車体や装備は今度も名鉄オリジナルで、パノラマスーパーの思想が受け継がれた。ただしJR東海の意向で、JRのキハ85系と連結出来る様になっていた。イギリスのカミンズ社の高性能エンジンを搭載したのも同じで、走行性能は大幅にアップした。

先代のキハ8000系は引退したが、最後まで残ったキハ8200型は国鉄設計の重く非力なエンジンを1両につき3台(1台はサービス電源用)も積んでいたため車重は相当なもので、地方私鉄への売却はままならず、結局全車廃車されてしまったという。

JR東海の「ひだ」増発の一翼を担った名鉄「北アルプス」だったが、その後高山観光にはあまり適さない時間帯の運転になり、さらに不景気の煽りを受けて乗客は減る一方…。これに東海北陸自動車道の延伸が追い討ちをかけた。
名古屋からの高速バスが開設され、所要時間が殆ど変わらないばかりか運賃は約半額とあって、人気はそちらに移ってしまったのだ。「北アルプス」は、最後はバス1台分にも満たないほど乗客も減り、そのためにたった5両の専用車とそれを維持する意味もなくなり、平成13年9月30日をもって「北アルプス」の廃止が決定したのである。

こうして、名列車がまたひとつ消えて行った。


思えば「北アルプス」は働き者だった。キハ8000系はデビュー当初から高山へ向かう前に朝の通勤特急として豊橋まで足を伸ばしていたし、新名古屋に戻ってからも犬山や津島へと走っていた。また乗り入れ先の富山地鉄でも立山からさらに宇奈月温泉へと走っていた時期もあったことは特筆される。
同じようにキハ8500系も、朝は新岐阜、常滑へと一っ走りした後「北アルプス」として高山へ向かっていたし、高山から戻ったその足ですぐさま東岡崎行き特急に早変わりしてした時もあった。

たった10年余りで役目を失ったキハ8500系はその後の去就が注目されていたが、今は会津鉄道に移籍し、活路を見出している。いつの日か東武鉄道に直通して浅草へ行くという夢を描きながら…


さて、名鉄は名古屋-金沢の高速バスに参入したが、実はそれ以前からもう1路線別の一般道経由の特急バスも走っていたのである。ただし季節運転ではあったが。

それは1日1往復だけの特急「五箇山号」といって、名鉄バスターミナルと金沢の間を名神・東海北陸道・国道156号線、国道304号線・北陸道等を経由して、高速バスの倍ほどの時間を掛けて(運賃も高速バスの倍ほどだったが)のんびり走っていたのである。正式には「名金線」といい、かつては国鉄バスとの共同運行だったが国鉄(JR)は撤退し、最近まで名鉄便だけが残っていた。残念ながら平成13年度からは運行されていない。このまま廃止されてしまうのだろうか…


ながらくのご乗車、お疲れ様でした。関東私鉄ストーリーはこれにて終点です。今後も新たなネタを探してストーリー展開を続けていこうと思っています。なにしろ電車はみなさんの足なのですから、ちょっと位は裏話にも興味を持っていただければ幸いです。

また感想、お叱りの言葉、情報、リクエストなども大歓迎です。こちらへどうぞ。

どうもありがとうございました。

【参考文献】

鉄道ジャーナル 1976年12月号 異色の新特急<北アルプス> 立山への道 鉄道ジャーナル社
名列車列伝シリーズ 15 特急しなの&ひだ+JR東海の優等列車 イカロス出版

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