関西私鉄ストーリー

本日も御乗車、ありがとうございます。

このページでは地下鉄銀座線ストーリーに引き続き、私鉄王国関西のことを紹介致します。

 

●神戸高速鉄道っていったい何?

神戸には神戸高速鉄道というものが存在する。しかしその鉄道会社の電車を見たことがある人は、この世に誰一人として存在しないはずである。

そもそも神戸には国鉄(現JR)以外に市内を東西に貫き、都市間輸送をする鉄道がなかったのである。以前は阪急神戸線が三宮、阪神電鉄は元町、山陽電鉄は兵庫がターミナルだった。偶然にも以上三社はレール幅が同じで、電圧など規格をを統一すれば相互の直通運転が可能であった。

これを実際にやってしまおうというのが神戸高速鉄道の目的。同時に神戸市中心部と北郊を結ぶ神戸電鉄との接続も含め、新たな交通網の形成を目指した会社が設立された。これは昭和33年の事で、東京、大阪以外の地下鉄道線としては比較的早い展開だったが、路線が開通したのは昭和43年4月7日と、約10年の歳月を要している。電圧が唯一600Vだった阪急は、宝塚線も含めて1,500Vに改修して直通運転に備えた。

神戸高速鉄道の最大の特徴は、会社が保有するのは線路と駅員だけで、電車と乗務員は各々乗り入れてくる会社が新装なった神戸の地下線をそのまま運転を続行していく珍しいケース…実態のない脱税目的のトンネル会社ではなく、つまりこれが本当のトンネル会社とも言えようか。その結果、神戸高速鉄道オリジナルの電車は存在しなかった。

路線は東西線と南北線の二つから成っている。東西線は阪急三宮から西へ進んで地下に潜る。阪神電鉄の元町からはそのまま地下を西へ進む。この二つの線路は高速神戸で合流し、新開地へ進む。反対側からは山陽電鉄が自社の終点を西代に変更し、ここから地下へ潜って新開地へ。三社のレールが一つにつながって、東西線となった。一方の神戸電鉄は湊川を地下駅に移し、そのまま新開地へと進んだ。これが南北線である。こうして神戸市内の私鉄四社は接続を果たした。

東西線は紳士協定とでも言うべきか、一部列車を除き三社ともに特急を乗り入れることになった。そして神戸高速鉄道を介してさらに乗り入れを行うことになり、阪急、阪神は一部列車を山陽電鉄の須磨浦公園まで、山陽電鉄は阪急、阪神両社に乗り入れることになり、阪急へは六甲まで、阪神へは大石までの乗り入れが実現した。南北線では神戸電鉄は全列車が新開地まで運転。

面白いことに東西線では確かに乗り入れる列車は特急なのだが、お互い自社線内は特急として運転してくるものの、神戸高速線内に入ると各駅停車、さらにはその先の乗り入れ会社線内も各駅停車として運転することが決まった。ただし「特急」の表示はそのままに運転!

こちらは阪神梅田行き

こっちは阪急梅田行き

高速神戸駅ではホームの両側に阪急と阪神の梅田行き特急が並んだり、乗り入れ先の各駅に停まってしまう特急とホントの特急が混在…このユルさがたまらない。

駅の行先案内は「普通・東須磨行き」なのだが、
電車は「特急」のまま運転している

ところが、昭和62年の国鉄分割民営化が神戸高速鉄道、いや全国の鉄道界に大きな変革をもたらす。
国鉄と私鉄という関係がなくなってしまったので、鉄道会社は全部「民営」という一つのカテゴリーに収まってしまう。そこで従来の日本国有鉄道法と地方鉄道法が「鉄道事業法」に統一されたのを機に、施設を保有して自ら営業する第一種鉄道事業者、施設を利用する第二種鉄道事業者、他者が施設を利用する第三種鉄道事業者に区分された。

これにより神戸高速鉄道は第三種鉄道事業者、私鉄各社は第二種鉄道事業者となり、同じ頃各地に誕生した第三セクター鉄道と似たような形態となる。いわゆる上下分離方式のスタートだった。ただしこの時は神戸高速鉄道の駅など施設や社員をそのままとしたので、法律は変わっても実態は変わっていない。

後に阪急は「本当の」普通(各駅停車)東須磨行きを運転するようになった。山陽は神戸高速線内一部通過としたS特急を走らせた。最近になり、需給バランスの変化により各社の乗り入れ区間が大幅に見直され、阪急は臨時列車を除き山陽へ乗り入れないようになって新開地止まりとなった。山陽の阪急乗り入れも中止で三宮までとなった。いっぽう阪神と山陽は一部の特急をお互いの終点、梅田−姫路間「直通特急」の運転を開始する。

これは三社の輸送力の差が大きくなったためである。阪急は列車の両数が8両(ラッシュ時一部10両)というのに、山陽へ直通運転する列車は6両に限定され(新開地から山陽線内は最大6両まで)、電車の運用はもとより混雑が問題となっていた。また山陽から六甲まで乗り入れてくる電車は4両で、これも混雑を招くという問題が前からあったという。
阪神と山陽は列車の両数こそバランスが取れているが、阪神は震災後の乗客の伸びが芳しくなく、山陽はJR新快速に押されてこちらも伸び悩みという事実があり、思い切って両社直通の特急を走らせることとなったという。

平成17年、世の中を揺るがす「投資ファンド事件」が起こった。この結果長い間ライバル関係にあったはずの阪急電鉄と阪神電鉄は翌平成18年、阪急阪神ホールディングスに経営統合する結果となったが、平成21年には神戸高速鉄道の筆頭株主である神戸市から保有株の一部の譲渡を受け、神戸高速鉄道の筆頭株主になる。

神戸高速鉄道は平成22年4月1日に資産を保有するだけの会社として生まれ変わった。駅など施設や社員は神戸高速鉄道の手を離れ、東西線の阪神三宮-西代間は阪神電鉄の路線という形となり第二種鉄道事業者、阪急三宮-新開地間は阪急電鉄の路線で第二種鉄道事業者(高速神戸-新開地間のみ阪急と阪神が重複)、山陽電鉄は第二種鉄道事業者から外れ単純な乗り入れになり、南北線は神戸電鉄が第二種鉄道事業者に。駅内外のサイン類も長く親しまれた神戸高速鉄道時代のものから阪神、阪急、神鉄オリジナルのデザインに。

ちなみに花隈駅は阪急デザインの駅で阪神の制服を着た社員が業務するという、ハイブリッド駅だそうだ。

こうして各社共に悩みが解決に向かっている。南北線はずっと神戸電鉄の直通運転に終始しているが、神戸市地下鉄の開業と北神急行との相互乗り入れの開始は、六甲山系の切れ間、ひよどり越えから神戸市北郊を結ぶ動脈であった神戸電鉄にとって大きなダメージだった。

神戸高速鉄道の路線計画では、南北線の終点は新開地ではなく、今のJR神戸であった。なぜこれが新開地止まりとなったのかと言うと、「せっかく神戸電鉄が乗せてきた大阪や姫路へ向かうお客さんを、みすみす国鉄(現JR)へ渡す手はない。我々私鉄で向かってもらおう!」という訳で新開地止まりとなった経緯があり、阪急・阪神・山陽へ乗り換えるしかないのである。今思えばJR神戸駅まで路線を伸ばしておけば、今では神戸のウオーターフロントとなったハーバーランド周辺への、神戸市北郊からの重要な足となっていたはずだったかもしれない。


歴史に翻弄された神戸高速鉄道の駅員さんは、一旦退職となったものの阪神電鉄などの駅業務委託会社にそのまま移籍して、変わらず仕事を続けられたようです。

次は、これは駅?という話です。

【予告】 春日野道の謎

【参考文献】

鉄道ジャーナル1974年3月号 特集「乗り入れ直通列車のすべて」(株)鉄道ジャーナル社
鉄道ジャーナル 1991年7月号 特集「伸びゆく相互直通運転」(株)鉄道ジャーナル社
鉄道ジャーナル 2013年2月号 特集「関西私鉄2013」 (株) 鉄道ジャーナル社

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