旅日記Vol.65  A Tribute to Flank Lloyd Wright 2014.5.14〜15 明治村

あれは若かったころの話。建築学を専攻して大学に入り、最初に受けた講義は記録映画の鑑賞。それが巨匠フランク・ロイド・ライトとの出会いだった。

その映画は「旧帝国ホテル」。まだ建築学の右も左も知らず、ただ食い入るように見た。子供の頃、惜しまれつつ解体された旧帝国ホテルの一部が愛知県の明治村に移築されることが決まり、部材が搬入されたというニュース映像だけが記憶に残っていたが、改めて建築が持つ美的感動とはこういうものかと、心を大きく揺り動かされた。
思い出してみれば大学の頃は皆が国内外の建築家の影響を強く受けたものだ。当時ル・コルビジェ派が圧倒的に多く、製図の課題を提出すると皆こぞって1階をピロティになってて、一目でサブォワ邸のコピーと判るファサードが並んだが、さすがにロンシャンの教会を真似る者はいなかった(笑)。

そんな派閥に対し、僕は旧帝国ホテルのファースト・インプレッションに強く惹かれた。ちょうど大学1年の時に明治村で旧帝国ホテルの中央玄関部分の移築が内部を除いて終わり、公開されるという。早速行ってみると外観だけだったが、ライトの建築を目の当たりに出来て、それからのボクはライトに傾倒していった。

内部の工事が終わったのは大学を卒業してからだった。ライトの意匠を再現するには長い年月を要したのだ。それから数度訪れたがボクは建築を離れ、明治村を訪れようにも足が遠のく日々が続いてしまった。こんな歳になって、建築を別の角度から捉える心の余裕が少しは出来たのだろうか。また原点ともいえる旧帝国ホテルを、じっくりと味わいたいと思うようになった。明治村。また訪れたい…。

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数年前、ショッキングなニュースが耳に入った。明治村で運転を続けてきた陸蒸気、それに京都市電の運転継続が難しくなり、やむなくどちらも休止するという。このまま終わりを告げるのかと落胆の声が全国から聞かれたが、関係者の努力が実り、最近どちらも見事に復活を果たした。これまで明治村を訪れても眺めるだけだった陸蒸気、それに京都市電。また旧帝国ホテルではカフェの営業も始まっており、これまで出来なかったものを、この際のんびり感じてみるのも良いのでは…と思い#2を誘ってみると、二つ返事でオッケイ。これで決まりだ。

もっとも明治村なら金沢からクルマで日帰りも可能、事実今までは全部それで済ませてきた。しかし到着はどうしても昼前になり、心ゆくまで楽しむのは限界があった。なので今回は前泊して翌日は全て明治村に充てるコトに。

出発当日は夜勤明け。無理をしないよう少し休憩して昼前に出発。美川ICから北陸道に入り順調なドライブだ。疲れがないといえばウソになるので、いつもより若干ペースを落として走った。途中南条SAで小休止して米原JCTから名神へ。養老SAでまた休憩。特産スイーツを食べたり、つい「ひこにゃん」のぬいぐるみを買ってしまったり(笑)。柿ジュースは思ったほどの味ではなかった。
ここからはラストスパート。小牧ICで一般道に降りれば、宿の名鉄小牧ホテルはもうすぐ。何故このホテルにしたかというと、立地はもちろん併設のセントラルフィットネスクラブを宿泊者特別料金で利用出来て、しかも泊まった日にはたまたま夜にエアロのレッスンがあるから。ちゃんと2人ともウェアを持参(笑)。また「明治村・リトルワールド・モンキーセンターの何れかの入場料金を\1,000」というプランを選んだ。ホテルは名鉄小牧線小牧駅の上にある。

チェックインを済ませ、しばし付近を散策。ところが全く遠くに来た実感がない。というのも駅前からは見慣れた名鉄タクシーがひっきりなしに発着し、バスも小松バスと同じ色。小松駅の近くを歩いているのと変わらないような雰囲気なので、どうにも調子が狂ってしまう(笑)。TVなんて金沢と同じ時間帯に同じ水戸黄門の再放送(笑)。NHKのローカルニュースも同じ東海北陸ブロックだし。そろそろ晩ゴハンの時間となり「めりけん堂」というパスタ料理の店に入る。
名古屋と言えぱあんかけスパゲティ。このお店のメニューも殆どがそれで2人して思わずニヤリ。やっぱり旅したならソウルフード食べなくちゃ!!選んだのは「エビカキ」という、海老フライとカキフライがのっかったスパゲティ。たっぷりのあんにたっぷりのタルタルソースが嬉しい。思った通り、美味しかった。

さてそろそろエアロの時間。ホテルに戻りいつものバッグを手にクラブへ向かい、いざスタジオへ。慣れないクラブでちょっとドキドキ。60分のレッスンはベーシックなレベル設定でメンバーさんの年代も広く、それでもローインパクトから最後は走るパートにまで上がるもの。思わぬところでエアロを楽しめたのは大きな収穫。おまけに部屋のユニットバスよりクラブの大きなおフロのほうが疲れも取れるというものだ。こんな旅の楽しみ方もまたイイ。スポクラから帰ったのは自宅ではなくホテルの部屋というのがまた違和感(笑)。

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朝食はホテルのバイキング。一般的な和洋折衷の料理だな…と思ったら、パンのトコには名古屋名物の「小倉トースト」の用意が!!せっかくなので試してみるコトに。美味しい。病みつきになりそうだ(笑)。いつもは味噌煮込みうどんばかり食べてしまうが、今回はそれ以外の名古屋ソウルフードも体験出来たぞ。

チェックアウトして、さあ明治村だ。天気予報は当初雨だったが、どうやら少し快方に向かったようだ。ナビを頼りにスンナリと到着。平日とあって駐車場は空いていた。

ホテルでもらった入場券を出し、今回はのりもの1日券を別途購入。園内バスや京都市電も乗り放題だぞ。早速ホームで待つ陸蒸気に乗り込み、東京駅から名古屋駅へと短い旅に。蒸気機関車の吐息は実に懐かしい匂いだ。つい最近NHK朝の連続ドラマでも使われたマッチ箱と呼ばれた小さな客車もまたいいカンジ。。名古屋駅から先は京都市電。もともとは京都電気鉄道1形。市電となってからはN電と呼ばれたものだ。途中の電停は京都七条、終点は品川。京阪電車にも京急にも乗り換えられないが、まあそこはご愛敬というもの(笑)。

復活した陸蒸気 機回ししてマッチ箱に連結


こちらも復活したN電

その間、名古屋衛戍病院、日本赤十字社中央病院病棟、品川燈台など見て回る。幸田露伴住宅「蝸牛庵」では少しのんぴり見学。北里研究所本館医学館ではなりきり写真も??(笑)。

品川燈台にて 幸田露伴邸のひとコマ 暖かな竹フィラメントの灯り
幸田露伴を気どって 私もやってみよう

正門へと続くレンガ通りは、NHK連続ドラマ「ごちそうさん」のシーンを思い出す。正門に駐車場があった頃は、ここが明治村のスタート地点だったものだ。金沢にあった第四高等学校物理科学教室に入り、階段教室にしばし大学時代を回想…。鉄道局新橋工場にはかつての御料車が保存されているが、東京から明治村へは東海道本線-高山本線-名鉄犬山線と鉄路を経由、そこからトレーラーで運ばれたという曰くつき(くわしくはコチラを)。

め以子も歩いた通り 東松家住宅の吹き抜け
デッカーのコントローラー 七条で乗客を待つ

軽いお昼は食道楽のコロツケーなど食べて聖ヨハネ教会堂、そして明治期に外国人をもてなしたという西郷従道邸。空気感もそのまま。

聖ヨハネ教会 重厚な教会の中 西郷従道邸の書斎 ダイニングルーム


六郷川鉄橋の銘板

日本最初の鉄道に架けられた六郷川鉄橋を渡り、現役の簡易郵便局としても使われている宇治山田郵便局へ。ここも「ごちそうさん」に使われたのを覚えている。また10年後の自分に送る手紙を預かってくれる「はあとふるレター」なんて粋なサービスも行われているそうだ。

宇治山田郵便局 マス席が並ぶ呉羽座

江戸時代からの芝居小屋をそのまま残す呉羽座。マス席が魅力的。ここで実際に歌舞伎も演じられたという。


聖ザビエル天主堂

ひときわ白い聖ザビエル天主堂は荘厳な雰囲気で、ここで結婚式を挙げるコトも出来るそうだ。対照的なのが遠くに見える大明寺聖パウロ教会堂。簡素な造りながらキリスト教への信仰心の厚さが伺える。


大明寺聖パウロ教会堂

最後は帝国ホテル中央玄関。ここはゆっくり時間をかけて。

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思えば旧帝国ホテルほど数多くのエピソードを持つ建築は珍しいだろう。まず建設途中で工事費が予想をかなり上回り、ライトは罷免されて最後は弟子の遠藤新やレイモンド達に任せて帰国してしまう。
ようやくホテル竣工式が行われるというその日に関東大震災が発生し、式は即座に中止に。倒壊を免れたのはホテルが極めて短い松杭の上に建てられた、ライトの「海に浮かぶ船」という独特の基礎構造だったという話だが、北側の客室棟は途中のグリル入口(プロムナード)を境に逆への字に折れていたという。このため客室棟の廊下では清掃などのカートが勝手に動きだしてしまうとスタッフを苦労させたらしい。

関東大震災ではあちこちで火災が起こり甚大な被害を出している。旧帝国ホテルは火災を免れたが、これはホテル側の大英断で電気系統を元から遮断したことが大きかったようだ。後にライトに向け打電された電報には「ホテルは震災後も記念碑のように建っている」という内容があり、これがライトの名声を高めることになったと言われている。

ライトの建築のディテールも独特だ。これはマヤ文明の影響によるものという解釈がなされているが、幾何学的にデザインされた紋様を具現化するためにライトが選んだのが大谷石。柔らかく加工性に富む反面、風化も早く吸水性もあるので冬季などは凍結・融解を繰り返し、そのうち割れて落下するということもあったという。明治村での再建にあたっては一部がコンクリート製になった。


太平洋戦争でもオーディトリアムの屋根が被災しただけで残った旧帝国ホテル。解体してみると構造的には疑問が多かったらしい。柱だと思っていた部材が実は中が空洞だったとか、客室棟2階の床もライト得意のキャンティレバーでバルコニーまで伸ばされていたものの、外壁部を除く内部の壁、梁と床は鉄筋が緊結されておらず弱いものだったなど、不思議な建築だったのは間違いない。惜しむらく解体された旧帝国ホテル。だがホテルの「宿泊客の生命と財産を守る」という使命の下、老朽化には勝てなかった。

ラウンジ外部のディテール ティーバルコニー 内部のディテール

それでも旧帝国ホテルの意匠は、今も人々を魅了するものであるのも確かだ。明治村に再建された中央玄関部分だけでも多くの小さな階段に驚かされるが、これが実にドラマチックな空間構成の要因となっている。まるで短い滝をいくつも辿りながら流れ落ちる川のようでもあり、後の代表作「落水荘」に繋がるという見方もあるようだ。後年ライトが主宰した建築学校「タリアセン」で彼が「自然の中から学べ。俺の真似をするな」と学生たちに語ったのは、プランからディテールに至るまで建築全てを自然界から求めた回答だったのかも…。

ドラマチックなロビーの空間構成 小さな階段が意味するものは
家具に至るまでライトがデザインした 不思議なディテール

明治村の帝国ホテル中央玄関2階にはカフェテリアがある。ここはライトの設計図でもティーパルコニーとして描かれていたもので、帝国ホテルとしての営業時はサロンの名で親しまれていたという。ライトの空間を味わいながらのコーヒーとケーキを。念願叶って至福の時間。使われている什器はライトのデザインによるもので、東京の帝国ホテル同様、こちらのショップでも販売されている。記念にとマグカップを購入。

ポルト・コシェの装飾 花台とレリーフ

復元された中央玄関ロビーの奥には、かつて宴会場「ピーコック・ルーム」の広い空間があったはず。また南北の客室棟とオーディトリアム、それらを結んでいたプロムナードなども今は記録でしか見られないが、その威容を偲びながら、また新たな感慨を憶えた。

外はまた雨が降り出した。あっという間に時間が過ぎてそろそろ帰り支度の頃となり、もう一度陸蒸気に乗ろうと帝国ホテルを後にする。名残を惜しむように降る雨をついて機関車はゆっくりと進み、最後は北口のショップでお土産などを買って明治村を後にした。

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帰り道は中央道を小牧東ICから乗り、東名高速から名神高速へと走った頃には再び陽が射してきた。米原JCTで北陸道に入り南条SAで小休止。小松ICで一般道に降りて晩ゴハンも食べて、いつもよりちょっと早めの帰宅。ふと思いついての旅だったとはいえ、ずっと想い続けてきた旧帝国ホテルをはじめ明治村を堪能出来た。

取材日 2014年5月14日〜15日 
カメラ  Nikon D7000
Nikon D3100
OLIMPUS XZ-1
レンズ   Voigtlander NOKTON58mm F1.4 SLUN
TAMRON 18-270mm F/3.5-6.3 DiUVC PZD
i.ZUIKO DIGITAL 6-24mm F1.8-2.5