旅日記Vol.56  485系特急『雷鳥』最後の走り (全ての写真はクリックすると大きくなります) 2011.1.19 大阪

今から1年ほど前、北陸と関西を結ぶJR西日本の特急『雷鳥』の仲間に変化が現れていた。主要駅停車タイプの『雷鳥』の名が、徐々に『サンダーバード』に代わっていたのだ。以来『雷鳥は』1羽、また1羽と静かに数を減らしていた。

JR西日本は当初平成6年夏までに『雷鳥』を全て新型車に置き換えることを表明していた。しかし未だ記憶に新しい福知山線事故では新型ATSの設置や、関西地区の新型車投入が集中して行われることになり、北陸線でも特急『しらさぎ』『加越』の『しらさぎ』統一と新型車投入が先行してしまう結果となった。『雷鳥』はその後も485系で走り続け、急行『能登』の僚友489系と共に人気を集めていたが、その『能登』から昨年3月に489系が撤退、同時に『雷鳥』は1往復だけとなった。しかもその1往復でさえ今年3月ダイヤ改正までの限られた時間しか残されない結果だった。

北陸に長く住んでいて、特急『雷鳥』の名を知らない人はいないだろう。この列車は昭和39年12月のデビュー以来ずっと同じ使命を果たしてきた。仕事で、家族旅行で、誰もが何度もこの列車を使ってきたはずだ。485系電車も胴上げや涙の別れなど人生の1シーンを数えきれない位に見守ってきたはず。また大雪に見舞われ、時には雪に閉じ込められても目的地へと走り続けた。あまりにも当たり前すぎたのかもしれない。あと2ケ月足らずのうちに姿を消す485系『雷鳥』。最近は鉄道ブームが盛んで全国からファンが押し寄せるのは目に見えている。そうならないうちに、ファンの一人として、乗客の一人として最後の485系『雷鳥』に触れておこうと思った。

 ★これはもう行くしか

金沢駅発車直前の『雷鳥8号』大阪行きこの日ボクは朝の金沢駅のホームにいた。前夜思い切って大阪行きを決め、いつもどおり行きは『雷鳥』自由席、帰りは『サンダーバード』グリーン車。帰りの分はネットで予約して当日朝の発券。

さて大阪での目的だが、最近ようやくデジタル一眼レフを持つようになり、写真の撮り方から見直すべきと気がついたものの、かつて鉄少年の頃に関西で取った写真を見てみると、当時は駅撮りばかり。しかも構図も背景も光線状態もあったもんじゃない、ただがむしゃらに撮っていただけ。
今、この歳になって改めてキチンと写真を撮ろうと気づき、とはいえ日帰りで時間も限られていることから、今回は近鉄・京阪・阪急と決めた。撮影する場所も少しは足で稼いでみなければ。

発車時刻の少し前、電車は金沢総合車両所から入線。3番のりばからの発車だ。
ラスト2ヶ月。駅にはカメラを持った鉄が何人か見られた。あと僅かの活躍を少しでも画像に納めておきたい気持ちは痛いほどわかるなあ…。

車内には同業者(笑)はおらず、まだお名残り乗車をする鉄は少ないと見える。ただ最近地元紙でもこの『雷鳥』の廃止についての記事を度々目にすることもあってか、「この電車、3月で終りなんだよ」という声も聞こえた。ちなみに乗った日も、JR西日本金沢支社による最終日イベントのプレス発表が伝えられていた。

軽いショックと共に電車は金沢駅を後にした。軽快なモーター音が聞こえる。485系は、もうどれだけ日本中を駆け巡ったのだろう…車窓には北陸新幹線の車両基地へと続く高架工事が盛んに行われていて、これまで山陽、東北、九州などでも同様に新幹線へのバトンタッチという世代交代を果たしてきた485系の胸中は、果たしてどのようなものなのだろうか。しかし今回の引退では新幹線ではなく後輩681・683系『サンダーバード』に後を託す。

正月早々、臨時が増発された『雷鳥』をカメラに収めようと訪れた加賀笠間-美川間。窓の外は時折雪が流れたが電車の運行には支障しないようだ。小松、加賀温泉と停車し乗客を拾っていく『雷鳥8号』は、全く普段通り淡々と北陸路を駆けていく。一応文庫本も持ってきたものの、ボクは専ら車窓で「あっ、この辺もいいポイントかも」「アクセスも良さそうだな」などと撮影ポイントばかり探していた(笑)。福井県に入り、細呂木駅の外れの「スネーク」にはカメラなし。
芦原温泉では折り返し福井方面行きの新鋭521系普通電車2両編成の姿を見た。通学の高校生が降りていく。3つドア近郊型とはいえそれまでの475系3両から521系2両に変わった当初は混雑が酷くなったと新聞紙上を賑わせたと聞くが、首都圏や関西の電車のそれに比べれば…。

雪に輝く比良山系福井を前に先行列車の遅れを受け5分の遅延。この後も寝台特急『日本海』の遅れがあり、雪深い今庄で追い越した頃には遅れは9分に拡大。さすがにこの辺りは屋根がすっぽり雪で覆われている。道路の両側には雪の壁。南今庄駅のホームにもカメラなし。雪も降ってたしね。
電車は北陸トンネルに入り130km/hに速度を上げる。やがて窓に外の明かりを感じる頃、電源切換(交直セクション)で車内は一旦消灯。このセクションも485系『雷鳥』にとっては米原-田村間、永原-近江塩津間、そして今の敦賀-南今庄間と変遷している。

疋田ループを越し、新疋田駅手前のカーブには雪の中でカメラを構える人影を見かけた。ここは超有名撮影地。湖西線に入り再び130km/h走行。気がつけば電車の影にはパンタグラフが2台とも上がっているのが見えた。しかし湖北路も北陸線内と変わらない位の雪だ。いったいいつまで続くのだろう。

比良山系も真っ白。結局蓬莱辺りまで雪景色が続いて、年末からの寒波がここまで雪を降らせていたのが判る。比叡山も頂上付近は少し白かった。

山科で東海道線と合流、東山トンネルを抜けるともう京都は近い。鴨川を渡る光景もそろそろ見納めだ。
10分遅れで着いた京都では床下の雪の付着状況の点検が行われる。幸い支障はなくすぐに発車。新快速に負けじと力走を続ける485系。その雄姿を捉えようとするカメラが、駅を通過する度に増えてきた。仲間が休む京都総合車両所、再開発の真っ最中ですっかり姿を変えた吹田ヤード跡などを見るうち新大阪に到着。大阪までの旅が、これほど早く感じたコトはなかったかもしれない。

約3時間の旅もあとひと駅…名残惜しい。しかし『サンダーバード』と共に『雷鳥』は今日も走り続けているではないか。今では23往復中のたった1往復に過ぎないが、列車の持つ使命は北陸特急の一員という確かな姿だった。
今春のオープンを目指しほぼ姿を見せた大阪駅、それに梅田界隈の光景が終着大阪に着いたことを知らせてくれる。懐かしい鉄道唱歌のチャイムが鳴り車掌さんのアナウンスの後、電車は静かにホームに滑り込んだ。

大阪に到着した『雷鳥8号』

ありがとう485系『雷鳥』。電車は翼を休める間もなく回送されていった。この何でもない、いつもの光景があとしばらくのうちに見られなくなるかと思うと、たまらない寂しさを感じた。こだま型の伝統を残すそのディテールと共に記憶に留めておきたい。ありがとう485系『雷鳥』。

AU12形クーラー パイプ棚、灯具、形式… 車内の造作
冷房の吹き出し口(AU12) パイプ棚、灯具、形式… この車内の造作も見納め 

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 ★近鉄電車

ちょっぴり感傷的な思いを胸に、まずは近鉄の電車を撮ることにした。大阪環状線に乗り換えて鶴橋へ。
近鉄で撮りたいと思ったのは、冬晴れの青空と生駒山をバックに走る奈良線電車のダイナミクスさ。それならばと、山を越える電車がカーブを切って勾配へと向かっていく瓢箪山駅近辺でポイントを探ってみることに。

近鉄22600系ACE
生駒山をバックに22600系特急車

駅を出て線路際の細い道を少し歩くと、ちょうど山越えに差し掛かるカーブで思っていた構図に出会った。回送だったが特急の最新型22600系がやって来た。関西私鉄を語るガントリー、その奥に生駒山系。30.3パーミルの勾配標も険しさを語る。またカーブの反対側から5820系快速急行なども撮ってみた。1枚は電車を待つ間に鶴橋駅で撮ったもの。

近鉄の複々線で 駆け下りる電車 LCカー 山に挑む5820系快速急行
奈良線・大阪線の複々線で 駆け下りてきた5820系 同じく山を下りてきた9020系 今まさに山に挑む5820系

今回近鉄は時間の都合でこれだけ。同じ奈良線では平城京朱雀門、その辺りから興福寺五重塔などをバックに。橿原線で薬師寺を…それとも大阪線だったら通称「ハセハイ」長谷寺-榛原間に季節感を入れて…など思いは尽きない。鶴橋に戻り環状線に乗り換えようと思ったら、構内に近鉄グッズの店「GATAN GOTON」を発見!!携帯ストラップとビスタカー(U世)のクリアファイルを購入。しかもそのビスタカーのイラストはお気に入りのC編成なんだもん(嬉)。

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 ★京阪電車

京阪では京橋方が好ましいS字カーブになっている大和田駅のホーム端で撮ることに。カーブそのものが京阪の歴史かも。電車を降りて撮影ポイントを探しているとA線をいきなり出町柳行き特急が俊足で通過!!しかも子供の頃から大好きな8000系30番台。あわててカメラを取り出しシャッターを切ったのが左のショット。思わず「あっ、3000系」と呟いてしまった(笑)。歳バレ。

8000系30番台が通過!! エレガントサルーン8000系
出町柳へ急ぐ8000系30番台 こちらは8000系(新塗装)

エレガントサルーンの名が与えられた8000系はリニューアルが行われているところ。既に新塗装になった編成が多い。この塗装、8000系には似合うが元3000系の30番台には果たして…個人的にはこのままの姿であってほしいなあ。
あと代表形式を撮影。デビュー40周年を迎えた5扉車の5000系や、ベテラン2600系に2400系に2200系。もともと「スーパーカー」2000系の車体を利用した2600系なんて、車端の窓が1コの一番古いタイプが元気に走っているのを見ると「頑張ってるなあ」と思ってしまう。あとは6000系の枚方市行き特急や3000系の中之島行き快速急行なども。

5000系 2600系30番台 6000系
5扉車の5000系 2600系(後期新製車) 特急にも運用の6000系
2400系 3000系 2200系
屋根上が特徴の2400系 中之島線のスターは3000系 ベテラン2200系

京阪も昔の雰囲気が残る光善寺付近とか牧野-御殿山間、それとも男山をバックに八幡市辺り、また淀川を絡めて…こちらも思いの尽きない路線でもある。

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 ★阪急電車

次は阪急。その前におナカを満たそうと、ホワィティうめだ泉の広場に近い焼売太楼でハーフ麺定食。平たく言えばチャーハンにラーメンに焼売(笑)。だってどれもおいしいんだもん。しかも提供が超早く、オーダーするとスグに食べられるし。
阪急で撮ってみたかったのは梅田の高層ビル街をバックに、冬の冷たい空気も少し入れて…あと京都線・宝塚線・神戸線の三複線並びなど。こうなると十三辺り。京都線特急9300系とビル街を逆光ぎみでクールに。反対側からちょうど京都線特急・宝塚線急行・神戸線特急が並んだショットも。

京都線特急9300系 三複線の並び
新梅田シティをバックに京都線9300系 阪急といえば…三複線

もっと撮りたかったが、これで一応今回の撮影はおしまい。阪急も子供の頃からお馴染みの京都線だったら洛西の山などをバックに、また大山崎辺りもいいかなあ…神戸線、宝塚線もいっぱいスポットありそう。

久しぶりの電車撮影は懐かしくもあり、楽しいひとときだった。梅田に戻り、旭屋書店で鉄な本を品定め。東京の書泉グランデが東のメッカなら、西のメッカはズバリここだ。今までに「レイル・ストーリー」のシリーズに用いた資料、特に関西関連のものは豊富な品ぞろえで大いに助かっている。今回も何冊か購入して店を後に。

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 ★帰途に

都会的になった梅田界隈 うめだ阪急

梅田界隈は近年スタイリッシュに変貌を遂げている。既に堂島から西梅田にかけては再開発が終わり、またJR大阪駅は駅ビルの5月のリニューアルオープンをもって新たな空間に生まれ変わる。ホームにかけられた大屋根の下は自由通路、駅北側は大規模な商空間となる。

また目下改築中の阪急百貨店はかつてのファサードをデザインに残しながら威容を誇っている。このセンス、電車のマルーンや車内の仕上げなどと同様、伝統を感じるものでもある。もっとも阪急創始者の小林一三は、かつて梅田駅ビルの増築にあたってはわざとその都度意匠を変え、歴史を築いたのだという。同じ手法がこの再開発にも生きているのだろう。

東京とはまたちょっと違った街の表情。街の息吹というか、別の意味での活気が感じられる。全ての施設が完成すると、とてつもないパワーを持つ街になるんだろうな。ちょっとワクワクする。

さてそろそろ帰りの『サンダーバード27号』に乗らないと。いつもながら慌ただしい旅だ。JR大阪駅コンコースは多くの人で溢れ、新快速を始めひっきりなしに電車が発着するが、北陸方面行きの11番のりばは閑散としてちょっと寂しいなあ…。

駅構内の改良工事では一時期、北陸特急は新快速とホームを共用していた時期があった。ホームの京都寄りが新快速、神戸寄りを北陸特急となっていたが、大阪駅御堂筋口改札から電車に乗ろうとしたら、電車までかなり遠かったのを思い出す。今はリニューアルもされてシックな雰囲気となった。帰りはグリーン車。しかも新車の匂いが漂っていた。ホームにはちっちゃな男の子が父親に連れられて鉄の真っ最中。将来が楽しみだぞ。

帰りは『サンダーバード27号』電車は683系4000番台。『雷鳥』を置き換える『サンダーバード』用に特化されたもので、それまでの6両プラス3両の分割タイプではなく9両固定編成。大阪寄り先頭の1号車は運転台の高いスタイルに変わっている。思えばこの形が『ニュー雷鳥』681系としてデビューしたのは2004年のこと。もう北陸特急の顔としてすっかり定着した。

昭和39年暮れ、北陸線特急『雷鳥』は大阪-富山間に走り出した。同時に名古屋-富山間にも同じ電車で『しらさぎ』としてもデビュー、仲間の数は徐々に増え、国鉄を代表する特急列車に成長した。一時期寝台特急の583系も使われたが、殆どを485系ファミリーで走り続けた。全国的に食堂車が衰退する中で、全列車が食堂車営業という貫録も見せつけた。

そして今、長すぎた、あまりにも長すぎたその活躍に終止符を打とうとしている485系『雷鳥』。ただ『サンダーバード』は『雷鳥』の名をそのまま受け継がなかった。何故だろう。それは485系の偉大さゆえに、その栄光の名前を受け継ぐことが許されなかったのかもしれない。孤塁となった『雷鳥』。本来ならとっくに683系4000番台への置き換えはもっと早くに出来たはず。でもあと1年、有終の美を飾ってほしいという鉄道を愛する、485系を愛する思いが今日まで走り続けることが出来た結果ではないのか。自らは『サンダーバード』を育て上げ、今まさに記憶の彼方に飛び去ろうとしている485系『雷鳥』。その功績は、鉄ならずとも利用者の心にいつまでも留まるだろう。

さようなら485系『雷鳥』

そして永遠に…

取材日 2011年1月19日 
カメラ  Nikon D3100 
レンズ   SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO OS HSM 
AF-S DX NIKKOR 55-300mm f4.5-5.6 ED VR