旅日記Vol.53  晩秋の碓氷峠を訪ねて (すみません!今回もちょっと長いです) 2008.11.12 群馬・長野

平成9年9月30日、一つの鉄道が使命を終えた。JR信越本線横川-軽井沢間だ。この区間の「碓氷峠」はアプト式の古くから鉄道の難所として知られていたが、東京と信州を結ぶ役目を長野新幹線に譲ることとなった。
廃止となった線路や施設、車両たちはその後も文化財的な価値があると認められ、かつて歴代の峠の機関車が基地としていた横川運転区は「碓氷峠鉄道文化むら」に生まれ変わり、アプト式時代の遺構も遊歩道に整備されるなど、一度訪れたいと思っていた。

その平成9年の夏に碓氷峠を一度クルマで訪れたが、着いたのは夕方近くでゆっくり見られなかったのを実は気にかけていた。なんとか日帰りでも行けそうなのだが、なかなか機会を得られず、冬は雪だし、春のスギ花粉シーズンは絶対に避けたいし、真夏の暑さもどうかと…つい延ばし延ばしになっていた。今しかない。思い切って行こうと決めた。

行こうと決めたものの、問題はそのルート。まともに考えれば金沢から直江津まで特急『はくたか』か『北越』、信越本線の快速に乗り換えて長野に向かい、後は新幹線で軽井沢へ…と行きたいところだが、思ったより時間がかかるため現地での滞在時間が限られてしまう。ならば飛行機で東京へ行き、新幹線で高崎へ。後はレンタカーで移動という手も考えたが旅費がバカにならない。せめて東京-高崎間の新幹線を湘南新宿ラインにでもすれば少しは安くなるが、時間のロスが大きい…。
そこで決まったのが特急『はくたか』で越後湯沢まで行き、上越新幹線を高崎まで。後はレンタカーで移動だ。これならかなり時間が有効に使えて、しかも「駅レンタカー」を使えばJR線の乗車券が2割引となるメリットがある。つまりJRの乗車距離が長いほどトクになるのだ。そうと決まれば早速予約…したのは1週間前の事(笑)。

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当日、金沢は快晴!定刻に金沢駅を発車した『はくたか1号』は順調に走り出し、一路越後湯沢へと向かう。この『はくたか』の681系(JR西日本・北越急行)・683系(北越急行)電車は新幹線並みの装備を持ち、北越急行線では国内在来線最速の160km/hで走る。北陸線内も最高130km/hで、上越新幹線『Maxとき』とリンクして金沢-東京間4時間を切る速さは小松-東京、富山-東京の航空便の良いライバルとなっている。
富山に近づくと早くも頂に雪を被った北アルプスが見えてくる。逆光になるので鮮やかさを感じないが、もうだいぶ積もっているのだろう。その山がだんだんと列車に迫るころには天険親不知。海の際を電車は滑るように走り、やがてトンネルに吸い込まれる。かつて海沿いの線路を難儀して列車は走っていたが、今はそんな事を微塵も感じさせない。
一旦街が広がり糸魚川。再び快走を続け直江津で乗務員はJR東日本と交代。駅を出てすぐに京浜東北線を引退した209系電車がたくさん並べられていたのを見た。まだ15年くらいしか使ってないのに勿体ないなあ…やがてほくほく線こと北越急行線に入り「高速進行!」。スピードが落ちたかな…と思ったら六日町で上越線に合流、準備たけなわのスキー場を右に左に眺めて、もう越後湯沢到着。

『たにがわ404号』東京行き
『たにがわ404号』東京行き

8分後に東京へ向かう『Maxとき310号』に乗れば1時間ちょっとのノンストップで東京へ着いてしまうが、今日は高崎まで。しばし待って越後湯沢始発の『たにがわ404号』に乗る。車内は暖房が効いててありがたい。もうそんな時期か…発車するとすぐに大清水トンネルに入り、上毛高原駅にも停車するが駅以外は殆どトンネル…。ようやくトンネルが途切れたなと思ったら高崎に着いてしまった(笑)。金沢はあんなに好天だったのに、こちらはどんより曇り空。今にも降り出しそうだ。

高崎駅西口を出て、駅レンタカー事務所で手続きを済ませて早速横川へ出発。上信越自動車道を使おうかと思ったが、大した距離でもないので国道18号を行くことにする。フロントガラスには雨粒が…。信越本線なら碓氷峠へと向かう序章のような区間だが、松井田を過ぎると勾配を感じるようになり、「碓氷○○」という看板が増え、やがて妙義山系が迫り横川に到着。約1時間のドライブだった。駐車場にクルマを駐め、入場券を買う。小雨が降り続く。

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分断された信越本線横川駅の西側には、かつて峠のシェルパとして地味な活躍を続けた機関車の基地だった横川運転区があった。その跡地は現在「碓氷峠鉄道文化むら」として整備され、峠の機関車や信越本線で活躍した車両、また全国で活躍した車両が展示されている。機関車の保守を続けた運転区や検修庫の建物はそのまま展示施設となり、長く碓氷峠に立ち向かってきた歴史を知ることが出来る。一見しただけでは判りにくいが、駅構内から続いていた線路は多くが残され、その上に舗装がなされてかつてここが重要な部署であったことを物語っていた。

鉄道資料館は元の横川運転区 研修庫は鉄道展示館に 今から出区するかのようなEF63
鉄道資料館(元横川運転区) 鉄道展示館(元検修庫) 展示館の中のEF63型電気機関車

展示館に入ると、まず最後まで峠を支えたEF63型電気機関車が2両、信越本線直通運転に使われたEF62型電気機関車が、まるで整備を受けているように展示されている。青いEF63の運転席に座ってみた。この機関車は碓氷峠専用に特別に設計されたもので、何重もの安全装備が施され、上り、下りにかかわらず通常は横川方の運転台だけを使用していたという。峠を上下する全ての列車がこの機関車の助けを借りないと通れなかったという存在だった。

第一閉塞進行!
真剣に運転中(?)

またEF62は、直江津-上野間直通用につくられたもので、碓氷峠ではEF63と力を合わせて走っていた。峠のために重装備が必要だったが、軽量化のため設計にはかなり苦心があったと聞く。もう1両のEF63は末期に登場時の茶色に復元されたもので、運転室はシミュレーターとなっているが、残念ながら故障していた(笑)。
展示館の奥にはEF63の先輩で、アプト式という特殊な運転方式だった頃の機関車、ED42型が展示されている。碓氷峠の66.7パーミルという急勾配では、EF63の代になるまでレールの間に水平な歯車状のレールをもう1本敷き、そのレールに歯車をかみ合わせて峠を制していたことは有名だ。

ED42型電気機関車
アプト式のED42型電気機関車

展示館には189系電車の運転シミュレーターがあり、高崎線の2駅間の運転体験が出来る。こちらは故障していなかった(笑)。ホンモノの運転台だ。

資料館には碓氷峠に鉄道が通る前からの歴史を知ることが出来る貴重な資料や写真が展示されている。また模型の運転も行われていて子供達には人気なのだろう。鉄道模型の持ち込みも可能だそうだ。ミュージアムショップもあり、碓氷峠にまつわる本や鉄道グッズが売られていた。ボクもいろいろ手にとってみたが、結局買ったのは北陸線特急『日本海』のヘッドマークと名鉄パノラマカーのキーホルダー(爆)。何やってんだか…。

施設の西側には国鉄時代から集められてきた全国の国鉄車両が屋外展示されている。オープン当初は車内にも入れたようだが、相次ぐ不心得者による部品盗難や破壊で土休日以外は外観しか伺えないのは残念だ。
また施設全体の外周にはミニ鉄道「あぷとくん」が走っているのが微笑ましい。オフシーズンの今はアプト式初の電気機関車EC40型を模したディーゼル機関車を使っていたが、ハイシーズンはイギリス製の蒸気機関車も使われているという。ミニとはいえレールの幅は610mm、かつて岐阜県の神岡鉄道(初代)がこの大きさだったことを思うと、結構本格的だ。

D51 96 (なめくじ) EF58 172 EF30 20
D51型蒸気機関車「なめくじ」 EF58型電気機関車 EF30型電気機関車
EF60 501 EF65 520 (F型) あぷとくん力走
EF60型電気機関車(500番台) EF65型電気機関車(500番台) こちらは「あぷとくん」

屋外にはこれら写真を含めて全26両もの車両が集められている。デコイチことD51は有名だが、こちらは初期タイプの通称「なめくじ」だ。東海道線などで長く活躍したEF58、関門トンネル専用でステンレス車体のEF30、短期間だけブルートレインを牽引したEF60 500番台、こちらも短期間特急貨物列車の先頭に立ったEF65 500番台の通称F型など…。

そしてボクの地元、北陸線を走った車両も。

EF70 1001 ナハフ11 1 キハ20 467 オシ17 2055 (オヤ17)
EF70型電気機関車(1000番台) ナハフ11型客車 キハ20型気動車 オシ17型食堂車

懐かしい。EF70なんて普通列車や貨物列車の先頭にいつも立っていて、それが当たり前の風景だった。この1000番台は特急『日本海』牽引用に改造されたもので、その『日本海』なんて金沢を夜中や明け方に通るものだから、その雄姿はまず見られなかった。ナハフ11は普通列車…。キハ20ディーゼルカーは、電化前の七尾線によく走っていた。羽咋にある親戚を訪ねたり、墓参りに行くときなどよく乗ったものだ。
そして…オシ17。あの急行『きたぐに』火災事故の原因となったと烙印を押され、全国の客車急行列車から姿を消した悲運の食堂車。金沢駅裏の旧金沢機関区に、裁判の証拠物件として長い間シートを被っていた姿を思い出す。

そんな車両たちをもっと眺めていたかったが、碓氷峠に向かうため施設を後にする。施設のさらに奥には信越線特急『あさま』最後の姿を残す2両が、本物の線路で実際に機関車を動かす運転体験に使われるEF63達と肩を並べていた。ちなみに運転体験は学科講習に始まり、後は何度も実技講習を受けなければならず、金沢に住んでいるボクにはとてもムリ。

あさま色のクハ183 体験運転に使われるEF63
特急『あさま』189系電車 生きているEF63

再びクルマに戻り、今度はアプト式時代の線路を訪ねて国道18号線旧道を軽井沢へと向かう…ことにしたが、ちょうどお昼。横川へ来て「峠の釜めし」を食べずに行くワケにはいかない。その釜めしを製造販売しているおぎのやは、国道沿いにも大きなドライブインを出しているが、せっかくなので横川駅正面の本店で食べるコトにする。

おぎのや本店 峠の釜めし
おぎのや本店 ご存知「峠の釜めし」

晩秋の平日ということもあってか、店は入ったときはボク一人だったが、やがてハイキングに訪れた客が数人来てほっとする。横川駅から先のアプト式線路跡(以下旧線)は、途中まで「遊歩道アプトの道」として整備されていて、今なら紅葉狩りにぴったり、新緑の頃などいいかも。腹ごしらえも済み、さあ取材開始。取材ですよ今回。

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まずは横川駅周辺でいくつか写真を撮った後、いよいよ碓氷峠へ。碓氷バイパスと別れ坂本宿へと向かう坂はもうきつくなっているが、ここはまだ序の口。しばらくすると右に「峠の湯」が見えてくる。何かあるかと駐車場へ行くと、途中畑の中に色褪せたEF63が置かれていた。保存状態はあまり良くないようだ。平成9年に廃止された信越本線(以下新線)の方は今も線路が残されているが、ここ峠の湯までは土休日に運行されているトロッコ列車「シェルパくん」が実際に走っていて、横川駅との回遊性を高めている。線路は既に丸山信号場跡を過ぎ、66.7パーミルに掛かっていて、その勾配の強さを改めて感じる。

国道18号線に戻り旧線の1号トンネルが見えてくる。この先国道は旧線とほぼ並行して軽井沢を目指すが、こんな急坂を鉄道が走っていたなど俄かに信じられない。しばらくして人造湖の碓氷湖が国道の下に現われた。この雨の中、遊歩道には結構多くの人たちが散策に訪れていた。
いくつかカーブを過ぎると、旧線最大の遺構である通称「めがね橋」こと碓氷第三橋梁が威容を見せてくれた。遊歩道はここまでで、国道には横川駅との間にバスも運行されている。橋はかなり高いところを行くが、遊歩道の終点なので今は国道との間に階段が設けられている。

旧線トンネル(旧第2トンネル) めがね橋(旧第3橋梁) めがね橋の上も急坂
国道から見える旧線トンネル跡 めがね橋 めがね橋の上から

碓氷第三橋梁にも紅葉狩りの人が多かった。埼玉から来たという男性は、かれこれ1週間もこの周辺に通い詰めていると語ってくれた。でも鉄ではなかったようだ(爆)。橋の上からは奥に新線の碓氷川橋が二つ並んで見える。この先峠の中間地点の熊ノ平まで新線は少し北寄りのルートを採っているが、熊ノ平からは下り線は旧線を改良して軽井沢へと向かっている。それにしても紅葉がキレイだ。

新線碓氷川橋と紅葉 熊ノ平近くの紅葉
新線の碓氷川橋 見事な紅葉

クルマに戻り国道を少し行くと熊ノ平信号場へと続くトンネル入口がある。もちろん通常は入れない。ここは旧線時代は駅で、電化前の蒸気機関車の頃は給水に、電化後は変電所が置かれていたという。もっとも国道から続くトンネルは旧線時代、ホームの長さが足りないために設けられたもので、新線開業で駅が廃止された時に不用となり、代わって保守用のクルマが入れるよう国道と結んだものだとか。
この先も国道はヘアピンカーブの連続、線路跡はそれをトンネルで真っ直ぐに結びながら軽井沢を目指す。峠を登りきり群馬と長野の県境に達すると、明治期に国道が整備されたことを伝える碑が建てられていた。国道はすぐに軽井沢の街へと吸い込まれていく。この片道だけの坂というのが碓氷峠最大の特徴で、トンネルで抜けることは出来ない。横川と軽井沢の標高差は552mもあり、それを信越本線は11.2kmの距離で越えていた。

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軽井沢駅は新幹線の開業で大きく変わったが、高原のリゾート地の玄関として長年親しまれた駅舎は駅前のすぐ横に移築され、現在は資料館として使われている。その資料館からは駅の線路上に展示されている2両の機関車を見ることが出来る。
その2両とは、碓氷峠最初の電気機関車であるEC40(10000)型と、最後まで活躍したEF63型だ。EC40は国鉄を引退後、福井県の京福電鉄線で貨物列車を牽きながら余生を送っていたが、京福での引退を期に国鉄の手で復元され、軽井沢駅前に保存展示されてきた。鉄道記念物に指定され、現在は駅構内のレール上に戻っている。またEF63は碓氷峠最終日にこの地へ自力回送(もちろんあと2両のEF63と)され、そのまま安住の地を得たものだ。

旧軽井沢駅舎 EC40 EF63 2 ジェフリー
長らく親しまれた旧駅舎 EC40(10000)型電気機関車 軽井沢駅に佇むEF63型 もと草軽電鉄の「ジェフリー」

また駅前には碓氷峠に鉄道が通ったことを記念する碑があるが、これは熊ノ平信号場跡にあるもののレプリカと言われており、苦難を乗り越え線路を築いたという文面が彫られているものの、漢文体なので読みづらいことは確かだ(笑)。それと、かつて軽井沢と草津温泉を結んでいた軽便鉄道「草軽電鉄」で愛らしい列車を牽いていた電気機関車「ジェフリー」も保存展示されている。軽便鉄道としては長い路線だったが、鉱山用の電気機関車を改造して使っていたのは珍しい。末期は赤字に悩み、また過酷な自然条件ゆえ路線の維持にも苦労したと伝えられている。廃止時も災害により路線の半分を既に失っていた。

せっかく軽井沢まで来たので、少しメインストリートを歩いてみる。夏など多くの避暑客で賑わう通りだが、この時期はいたって閑散。そこで思い出したのが先日金沢で行われた「おめざフェア」での人気店、「アトリエ・ド・フロマージュ」があること。大好きなマスカルポーネ・シューと、一度しか食べられなかったカマンベールモンブランを#2へのお土産に買って帰ろう!保冷ケースに入れてもらえばどうにか金沢へ持って帰れそう。これから碓氷峠を下るので、ひっくり返さないよう注意しながらの運転だ(笑)。

駐車場近くの駅レンタカーに並んでいたクルマはもう、スタッドレスタイヤに履き替えられていた。駅の向こうのスキー場は人工降雪機でゲレンデは真っ白、スキーヤーの姿も見られた。

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取材も終わり、後は金沢へ帰るだけ。国道18号旧道を慎重に下り、高崎へとクルマを走らせる。高崎市内で給油を済ませてレンタカーを返却。新幹線に乗るまでの間もう一度お土産など購入。しかし駅の改札口に並んでいる券売機や、高崎線の「湘南新宿ライン」という案内に、今回東京へ行けなかった悔しさがチラリ。あんまり悔しいのでここまで来た記念(?)と、Suicaに5,000円チャージしてみたり(爆)。
時間も迫ってきたので新幹線の改札を通りホームへ。東京方面のホームにはたくさんのスーツ姿が。やがて東京方から『とき333号』がやって来て、自由席車に乗車。今度はオール二階建てのE1系だ。すっかり夜の帳が下り、大清水トンネルの向こうの越後湯沢を目指す。

『とき333号』新潟行き
『とき333号』新潟行き

越後湯沢では多くの客が在来線乗り換え口へ向かい、そのまま『はくたか18号』に吸い込まれていく。ここで駅のアナウンスが…。

「はくたか19号は車両変更のため、1号車のグリーン車のお客様は4号車に、3号車のお客様は1号車に…」どうやら電車にトラブルがあったようで、使用する電車が変更になった事を盛んに伝えている。4号車がグリーン車…というコトはこと681系・683系ではなく、急行『能登』に使われているボンネット形の489系だ!ホームへと続く階段を降りていくと、『雷鳥』と同じ正調国鉄特急色の電車が乗客を待ち受けていた。

代走のJR西日本489系電車
『はくたか18号』金沢行きは、この日489系が代走

元祖「こだま型」の伝統を現在唯一受け継ぐ489系。金沢と上野を信越本線経由で結ぶ特急『白山』用として生まれた電車だ。もちろん今日通ってきた碓氷峠もEF63の力を借りて毎日越していた。長野新幹線の開業で『白山』としての使命は終えたが、夜行急行『能登』として信越本線から上越線へシフト後も走り続けている。今日のように『はくたか』。の代走として、時には『雷鳥』や『サンダーバード』の代走として、また東京ディズニーランドへ向かう団体列車として京葉線を走ることもある。大ベテランであり頼もしい存在。
碓氷峠を訪れた日に、かつてそこをを舞台に活躍した電車が代走してくれるのは、何かのめぐり合わせなのかもしれない。ボクにとってはちょっと早いクリスマスプレゼント。

489系は681系・683系とは違い北越急行線内では130km/h、北陸線内では120km/hしか出せないから、多少の遅れは仕方ないのかな…と思ううち、アナウンスが始まった。だが遅れには一言も触れず、定刻での到着予定を告げている。もしかして力走に次ぐ力走で定時運転なのかな?いや、そんなはずは…。

静かにホームを離れた電車は、六日町までカーブを右に左に切りながらゆったりと走ったかと思うと、北越急行線に入り遅れを出すまいと俄然飛ばす飛ばす!制限ギリギリで走っているのだろう。ただ単線のため虫川大杉駅で金沢からやって来る『はくたか19号』の通過待ち。そちらが少し遅れたようで直江津には3分遅れで到着した。
北陸線に入っても電車は快走を続け、糸魚川で遅れを1分取り返した。結局金沢には4分遅れで到着したが、接続する列車の遅れを出すことなく走りきった489系に拍手!

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慌しい旅だったが、思わぬプレゼントもあり充実した旅だった。小雨ながら紅葉もすごく綺麗だったし、懐かしい車両たちにも再会出来た。それに碓氷峠の険しさと、峠の鉄道を通し、長く闘ってきた鉄道マンの苦労を再認識した。
この日体験運転に使われていたEF63が、現役当時さながらの表情で次の出番を待っていたのが印象的だった。「ロクサン」の愛称で親しまれた頼もしい力持ちは、こうして鉄道が守り続けてきたものを文化として伝え続けている。

現役当時と変わらないロクサンの横顔
現役当時と変わらないロクサンの力強い横顔

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【おまけ】無事碓氷峠を下りてきたケーキたち
マスカルポーネ・シュー カマンベールモンブラン
マスカルポーネ・シュー カマンベールモンブラン

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