旅日記Vol.47 ちょっと小旅行気分で 2006.6.15 富山

 ●富山ライトレールっていったい何?

北陸地区のJR線は交流電化で有名だが、唯一直流電化区間が以前から存在した。富山駅から北へたった8kmという短い路線の富山港線だ。路線延長もさることながら、駅間の距離が平均で0.8kmという異色の路線だった。
もともとこの線は富岩鉄道という私鉄が建設したもので、国策により戦時中に一旦富山地方鉄道と合併した後に国有化されている。戦後は国鉄富山港線となったが、規格は後年まで私鉄時代のまま据え置かれたため、この線同様戦時中に国有化された他の私鉄出身の通称「買収国電」で賑わった。沿線には工場が多く、貨物列車も多く運転されていたが、信越本線の碓氷峠から引退したED40形アプト式機関車が短期間走っていたこともあるという。

その後買収国電は引退し路線規格も向上、代わって東京などを走っていた「ゲタ電」が走り出した。やがてその電車は茶色から京浜東北線のスカイブルーに装いを変え、雪国北陸での活躍が続いたが、引退の日を迎え北陸線の交直両用電車と交代した。近年は合理化のため日中は高山線のディーゼルカーが1両で走るなど、あまりさえない話題が続いた。

ところが全国的な路面電車見直しの動きを受け、行政主導の形でJR富山港線の路面電車化が提案された。同じ頃JR富山駅は北陸新幹線建設を前提とした高架化の計画もあり、年々輸送量の低下が著しい富山港線を同時に高架化するのはどうかという話があったのも事実。ここで将来、富山地方鉄道の富山市内線との直通運転も視野に入れた路面電車化が第三セクター方式で行われることになった。

TLR0600形電車富山港線は「富山ライトレール」として生まれ変わることになり、富山駅から奥田中学校踏切までは廃止となるため、代わりに富山駅北口から1.1kmの道路上を走ることになった。この部分の工事は先行して行われたが、工事真っ盛りの平成17年冬には北陸は大雪となり関係者を慌てさせたという。
JR富山港線は平成18年2月28日いっぱいで一旦廃止され、残る奥田中学校前踏切-岩瀬浜間の改修工事が急ピッチで進められた。路面電車化のためホームは全て低くなり、しかもバリアフリー化のためスロープが新設されて面目を一新した。また利便性の向上のため駅も増やされた。

こうして富山ライトレールは平成18年4月29日に開業を迎えた。JRの路線が路面電車に生まれ変わるなんて、珍しい話なのは確かだ。

おっと、こんなに書いてしまうと『旅日記』だか『レイル・ストーリー』だか判らなくなってしまうので、程々にしておこう(笑)。実は今回の小旅行を思い立ったのは富山ライトレール試乗というのもあったが、最近金沢駅-富山駅間に走り出した高速バスとJR北陸線との乗り比べも兼ねて…というのも面白いと思ったから。北陸地方の梅雨入り宣言が出され小雨の降る中、まずは高速バスで行こうと決め、金沢駅東口のバスターミナルへ。

 ●梅雨空の小旅行

高速バス金沢-富山線は北陸鉄道と富山地方鉄道の共同運行となっている。この日乗ったのは金沢駅前発13:00のバスだったが、金沢の始発は金沢駅東口ではなく兼六園下というところ。ここから市内中心部を経由してやってくる。ちなみに金沢駅からは名古屋、京都、池袋、新宿などへ多くの高速バスが走っており、これら長距離便は事前に乗車券を買う必要があるが、富山線は降りるときに運賃を払うだけの近場の路線バス感覚。ただし北陸鉄道のICカード「ICa」は使えない。運賃は900円で、JRの普通運賃より50円安い。意識しているんだろう。
しばらく待っていると富山地方鉄道のバスが来た。車体には「TOYAMA CHITETSU KANKO」と表記されていて、観光バスのお下がりだった。なるほど車内はマイクジャックが何箇所もあり、このバスが全国津々浦々を走って来たことを伺わせてくれる。ちょっとくたびれた感は否めなかったが、まあ良しとしよう。路線投入時に降車ボタンが設置されたようだ。

金沢駅を出ると途中の停留所では乗降がなく、そのまま北陸道へ。もちろんETC対応車でスンナリと本線へ。意外と静かに走るものだな。先日開通した金沢外環状道路とのジャンクション、金沢森本ICを過ぎると富山県境への軽い山越え。高窪トンネルを抜けると散居村で有名な砺波平野が見えてくる。

しかしあまりの安定した走りについウトウト…。目が覚めるともう呉羽PA付近を走っていた。この辺りから急に風が強くなりバスは時々姿勢を崩しながらも富山ICへと急ぎ、北陸道を降りた。富山市内に入ると結構こまめに停留所に停まるが、この便がもうかなり知られているのか降りる客が多い。わざわざ富山駅までいかなくても近くのバス停で乗り降り出来て、しかもJRより安いのは魅力だ。予定より少し遅れて富山駅着。降り場は駅と道路を挟んだ向かい側だった。駅前の乗り場には以前『レイル・ストーリー』で取り上げた都バスそっくりの富山地方鉄道路線バスが並んでいた。

富山駅バスターミナル
富山駅のバスターミナル(乗り場)

金沢で降っていた雨は上がっていたが、相変わらず風が強い。目指す富山ライトレールの乗り場はJR富山駅の北口だがこちらは南口。地下の自由通路を歩いていくが、たまたま高校の下校時間と重なったか行儀の悪い高校生が目立つ。地方都市特有の現象なのだろうか。

 ●さっそく乗ってみよう

北口へ出ると富山ライトレールの新しい乗り場が目立つ。まだ電車が到着していなかったのでベンチに座り待つが、隣にいた年配の女性客が灰皿がないのに(つまり禁煙)タバコを取り出してスパスパ…程なく電車がやってきたが、火の付いたタバコをポイ捨て。マナーのなさに呆れてしまった。
気を取り直して電車に乗り込む。運賃は200円だが、当分は「お試し期間」で日中は半額の100円。ちなみにICカードも導入されている。運転頻度はJR時代の1時間1本程度が15分間隔(ラッシュ時10分間隔)に増えて、すごく便利になったようだ。
発車時刻となり電車は静かに走り出した。もちろん流行のインバータ制御。この路線の電車はお隣高岡の万葉線「アイトラム」や岡山電軌の「MOMO」とほぼ同じ。ただ開業にあたって全て新車を導入したので「日本初の全車インバータ車の路面電車」ということになったとか。次は「インテック本社前」という変わった名前の停留所だが、これは駅名を企業に売り、増収に充てるという策なのだそうだ。かつての奥田中学校前踏切のところで電車は90度ターン、ここから旧富山港線の線路を走る。曲がりきったところに「奥田中学校前」停留所が新設された。下校の中学生が乗ってきた。

踏切はJR時代のままだった 富山港線時代の線路跡
踏切の標識ははJR時代のままだった かつての線路跡が伺える(奥田中学校前踏切跡)

つい最近までJRの電車が走っていたところを路面電車で走るというのは何ともいえない違和感があるが、それもまた楽しみの一つ。踏切にはJR時代の標識がそのまま残されていた。この先の駅は路面電車用の低いホームに変わっているが、必ず駅の歴史などのPRが目的の看板が設置されていて、それぞれ個性を打ち出している。ホームのベンチは個人や企業が「買い取った」形をとっていて、ちゃんと名前が表示されていた。これも増収のためだろうが、路面電車を残す新しい方向性なのかもしれない。

城川原駅は富山港線時代、旧型電車が配置されていた頃に車庫があったところ。今も富山ライトレールの車庫や本社があり、歴史がそのまま受け継がれている。この辺りからは住宅地に混じって田圃が増えてくるが、果たして沿線の人口はどうなのか、クルマに移行した人々が再び電車に乗るのか、ちょっと不安を感じる。ただし駅の間隔は短く利便性は保たれているとは思うが、つい最近までJRの本線仕様の電車がこんなにこまめに停まっていたんだな…と妙に感心した。

岩瀬浜駅に到着したTLR0600形 キャナル会館 運河を渡るポートラム
岩瀬浜駅に到着したポートラム こちらはキャナル会館 運河を渡るポートラム

終点岩瀬浜は静かだった。駅からはバス路線が出ておりフィダーサービスを行っているが日中の人影はまばらで、採算性はどうなのだろうか。地方都市における中小量輸送機関のありかたが問われるところだ。
かつて海運で賑わったこの地には多くの運河がつくられ、今はそれを伝える「キャナル会館」が建てられている。小雨の中、東岩瀬駅まで歩いてみた。

東岩瀬駅はこの路線で唯一JR時代の駅舎やホームがそのまま残されている。おそらく「遺構」として何らかの形で残す計画があるのだろう。

東岩瀬駅舎はかつてのまま ホームもそのまま残されている JR時代の駅名標もそのまま 国鉄時代の北陸地区標準駅名標
旧東岩瀬駅舎 今は使われていないホーム JR時代の駅名標 国鉄時代の駅名標

時代の最先端をゆくポートラムの中で、まるで時間が止まったかのような空気が残っていた。その中に地方ローカル線の再生という新たな接点が見えた。

駅でしばらく待つと、富山駅北行き電車がやってきた。城川原で乗務員が交代。再び奥田中学校前で旧富山港線と別れ道路上を走るがなかなか思うように走れず、富山駅北に着いた電車は高校生などを乗せ、すぐに岩瀬浜へと向かっていった。

富山駅北を出発するTLR0600形 緑化された軌道敷 富山駅北口広場
岩瀬浜行きのポートラム 軌道は一部緑化されている 再開発が進む富山駅北口

 ●では金沢へ戻りま〜す

帰りはいつものJR西日本の普通電車。少し時間があったので駅の待合室で「立山そば」をすする。金沢の「白山そば」は薄めの味付けだが、ここ富山のは濃い目の味付け。同じ北陸でも文化圏や志向の違いが判るというものだ。ついでに富山地鉄の「電鉄富山」駅で元京阪特急がなお元気に走っているのを見て安心したが、2両編成になってしまった元西武「レッドアロー」の姿は見えなかった。そのまたついでに「エスタ」もウロウロ。金沢と同じでレディスものの店ばっかりだ。
そろそろ発車時刻。キップを買いJR富山駅の改札を通ったら、平日の夕方ということもあって電車を待つ列は高校生や大学生が目立つ。ただし強風の影響で越後湯沢から来る特急『はくたか』を中心に遅れが出ていてちょっとドキドキしたが、難なく定刻に発車。413系電車だった。車内は冷房が効いていたが、時折ガフガフッとクーラーの機嫌が悪くなり、照明も点滅…チャタリングしていたようだが、大丈夫なのかなあ。

途中特急『しらさぎ』の通過待ちがあったが、『はくたか』同様遅れていてこちらもついでに遅れを出してしまったが、そこは元急行電車の足回りを持つ413系電車、結構飛ばして金沢には定刻に到着。その他あまり記憶にない…実はまたウトウトしていたのだった(爆)。乗り比べに行ったんじゃなかったのか?

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金沢では昭和42年にモータリゼーションのため北陸鉄道金沢市内線が全部廃止されてしまったが、福井、高岡、富山は路面電車が元気に走っている。福井鉄道は名鉄岐阜地区から移籍した電車が最近走り出し、郊外電車からライトレールへの脱皮が始まっている。高岡では加越能鉄道改め万葉線が、新車を導入して巻き返しを図っている。
富山では富山地鉄富山市内線がずっと頑張ってきたが、富山ライトレールの進出は鉄道の新たな方向性を見せてくれた。ただ現状では廃止された富山港線の代替に過ぎず、予定されている富山市内線との直通運転が早い時期に実現しないと、再び暗い話題を呼び兼ねないと思う。これにはJR北陸線富山駅の高架化なども絡んでくるものの、路線を維持するには公的資金の投入は不可欠で、間接的な住民負担とその理解は避けられない。また富山地鉄側は電車を始めとしてバリアフリー化が進んでおらず、富山ライトレールとの整合性も進めなければならないなど、問題はまだ残っているといえよう。

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