旅日記Vol.46 A Bigger Bang Japan Tour 2006 2006.3.22 東京 4.5 名古屋

 散々の出発前夜

もしかしたら今回は日本へ来ないのか…と思われたストーンズのビガーバーンツアー。というのも今までなら放送局系のスポンサーがついていたが、今回はいったいどこが招聘するのかというのが正直不安だった。いろんな噂が飛び交ったが結局来日が決定、一安心したのは言うまでもない。
当初日本での公演は東京、札幌、仙台、名古屋とされていた。しかも連日の公演ではないらしい。う〜ん、1回だけにしておこうか、違う場所で2回観るか…迷うところだ。一旦は今まで経験出来なかった名古屋(4月5日)に焦点を合わせ、今回東京はあきらめていた。
最初にチケットが発売になった東京公演は予想通り半日でSold Out。まあこんなものだろう…と諦めていたが、たまたま後日チケットぴあのサイトを見てみると、空席十分あり。そんなバカなと思うところだが、どうやら今回は全ての席を一度に発売するのではなく、小出しにしていたようだ。ネットオークションで高価なチケットが出回ったり、ダフ屋に流れるのを防ぐ策なのかもしれない。随分迷ったが、今まで来日公演を全部東京ドームで見てきたので、やっぱり東京で見ないと寂しいような気もして、結局初日(3月22日)の東京行きも決定。

ただし公演の前日は夜勤。はやる気持ちを押さえつつ仕事に向かった時は何事もなかったが、日付が変わる頃になって急におナカの調子が悪くなる始末。しばらく横になってみたものの悪くなる一方。熱まで出てきた様子。結局吐き下してしまった…。
持ち合わせの胃腸薬を飲み、苦しみながら仮眠を取ってみたら朝方には熱も下がり、少しは快方に向かってきた。どうやら予定通り東京へ行けそう。出勤してきた日勤者に仕事を引継ぎ、帰宅。でも全く食欲がなく、少し休んでから旅支度を済ませ、#2を会社まで迎えに行く。そのまま東京へ直行だ。

ストーンズよもやま話 その1
かつてストーンズのライブが日本で行われるなんて夢のまた夢だった。それどころかライブ映像が見られるだけでも大変なことだったが、'81年USツアーの映画「Let's Spend The Night Together」の公開は衝撃的だった。
しかし金沢での上映予定はなく、まずは東京、大阪からと判り、早速大阪まで走ったのは言うまでもない(爆)。観たのは梅田にあった「ピカデリー1」だった。たった1本のフィルムコンサートだったが、これでも十分。
同じ頃「ストーンズジェネレーション」という本が出たが、有名人のエッセイやブートCDの紹介など、かなり濃い内容だった。この本は後にストーンズ初来日の時に再版されたが、ボクはもちろん初版を持っている。エヘ。裏表紙は映画の広告だ。
ところが再び別の用で大阪へ行った時に阪急ファイブ(現在のHEPファイブ)にあったOTSUKI 5でビデオも買ってしまうことに。学生だった当時、今よりも高価な1万円以上の値段は厳しかったがそれでも欲しかった。ただしこのビデオがベータHi-Fi(死語)で、しかもドルビーサラウンド対応と知ったのは後の話。映画は半年ほど遅れて金沢でも公開になったが、同時上映は「ロッキーホラーショー」だった。
その頃金沢ではストーンズ熱が僅かながら高まり、「van van V4」という小さなホールでフィルム上映会が行なわれた。映画「Gimmie Shelter」(なぜかノーカット版)「One Plus One」「In The Hyde Park」などだったが、ビデオソフト自体がまだ少なかった当時、貴重なものばかりだった。金沢にもかなり濃いベロ軍団がいるなと、この時改めて認識した。

 さあ東京ドームだ

東京へは小松空港からJAL1276便。機種はB767-346。ANAのB747SR-81が引退したのは記憶に新しい。日本の国内線も世代交代しているなあとつくづく実感するが、大きすぎず小さすぎずのジャストサイズとも言えるB767は会社を問わず縁の下の力持ちといった存在。
機は定刻にプッシュバック、エンジンに火が入りR/W06エンドに向けタキシングしていく。小松空港の滑走路嵩上げ工事の影響で、途中の誘導路は一部使用禁止になっていて、でっかく×印が描かれていた。上空は曇っていて、全国的に雨になる模様。
ベルト着用サインが数回点滅し、いよいよ離陸。そのままローリングテイクオフして上昇、レフトターンして眼下に小松空港が見える頃には雲の中に入ってしまい、以後フライト中は殆ど白一色の世界。時折タービュランスもありクラスJ以外は飲み物のサービスも行われなかった。まあボクは疲れと腹痛を抱えたままの東京行きだったので、寝てばっかり。気がつくと既にディセンド中で、房総半島の上空だった。「あと10分で着陸いたします」とアナウンスがあった頃にはまただいぶ高度があったように思えたが、しばらくするともう東京湾、やがて羽田空港R/W34Lにタッチダウン。旧JASのボーディングブリッジのあるスポットへ向かう。まだ雨は落ちてこない。

ホテルは品川プリンスにしたが、少しなら時間があるのでモノレールで浜松町に出て山手線で御徒町まで。もちろん向かった先はスポーツジュエンのベネックス館。ここでReebokのシューズ(カーディオDMXマイクロ)とBOMBERの新作タンクトップなど購入。店を出るとポツポツ雨が落ちてきた…。山手線に乗って品川へ。チェックインを済ませて部屋で一休み。食べてないのと眠いので体調は決して良いとは言えない。大きめのベッドがありがたい。

雨は止む気配が無かったが幸い大降りではないようだ。いよいよ東京ドームへ向け出撃。

ストーンズよもやま話 その2
ボクの初めてのストーンズライブ体験は、ストーンズではなくミック・ジャガーがソロで来日した時のこと。日本では東京ドームと大阪城ホール(まだ大阪ドームなんてなかった)で行われたが、ボク達は大阪(最終日)を選択。
当日ワクワクしながらミックの登場を待っていた。まあ予定時刻には始まらないのは当たり前…と思っていたらこれがホントに始まらない。ようやく動きがあったと思ったらミックがガウン姿でステージに現れた。「風邪をひいてしまって、とてもライブを出来る状況ではありません」必死に謝るミックにこれなら…と思ったが、高熱をおしてステージまで来てくれたミックにプロ根性を感じた。
翌週改めて大阪に向かいライブを楽しんだが、思いのほかストーンズナンバーが多く(1曲めから「Honky Tonk Woman」だったし…)これがストーンズだったら!というのが正直なところ。ただし天井には風船がたくさん吊ってあり、これはアンコールが「(I Can't Get No)Satisfaction」だなとバレたようなもの(笑)。ストーンズの'81〜'82年ツアーそっくり。
後日ライブがキャンセルになった理由を知ったが、大阪入りしてからジョギングを楽しんだミックがその時風邪をもらったらしい。ティナ・ターナーが飛び入り参加した東京公演は後日CX系で放映されたが、音はイマイチだった。

 いよいよ初日

ライブを前に水道橋駅近くのドトールで腹ごしらえ。この日始めて食事らしいものを摂ったが、無理せずベーグル一つだけ。少々雨が強くなってきた夕暮れを、ドームへと向かうファンが急ぐ。開演は19時だったが今回のツアーでは前座があるという。しかもあの超絶ギターのリッチーコッツェンだ。また双眼鏡を持ってくるのを忘れて買いに走っていると定刻19時に突然ギターの音が響いて、のんびりタバコを喫ったり、ホワイエをうろうろしていた連中が慌ててスタンド内へと飛び込んでいったが、まだ前座だよ〜。でもせっかくのギターテクだったが全く上の空。ストーンズに心が飛んでしまっている。30分で彼のステージは終了。
この日の席はスタンド席ながらライトポール近くの前方の列で、結構ステージが近い。ヘタなアリーナ席だとステージは遠く、しかも人の頭しか見えないからこのほうがいいかも。でも左隣のブロックは殆ど空席のままだ。見渡してみるとそんなブロックが目につく…。

照明スタッフが配置につき、サウンドチェックも始まって開演時間が近づいたのを知らせてくれる。そんな時会場スタッフが「隣のブロックが空いておりますので、どうぞ」という。急いで条件の良い場所へとダッシュ!前から2列目を確保した。また近づいた。ドームのあちこちで同じような民族大移動が始まっている。下の通路には時々芸能人が通るらしくその都度歓声が上がる。やっぱり初日だな。
もうそろそろかも…と思った20:08、突然客電が落ち、オーディエンス総立ち。そこにキースのテレキャスが炸裂!オープニングナンバーは「Jumpin' Jack Flash」だ。

この日の目玉はまず「Sway」。今までライブで観たことがないナンバーだっただけに呆然としてしまった。それに「As Tears Go By」、Bステージでの「Get Off My Cloud」など、初期のナンバーも。スクリーンに故レイ・チャールズの映像が流れた「Night Time Is The Right Time」は、この日だけ。

3月22日 東京ドームセットリスト
Jumpin' Jack Flash
Let's Spend The Night Together
She's So Cold
Oh No Not You Again
Sway
As Tears Go By
Tumblin' Dice
Rain Fall Down
Night Time Is The Right Time
This Place Is Empthy
Happy
Miss You (B Stage)
Rough Justice (B Stage)
Get off My Cloud (B Stage)
Honky Tonk Woman (B Stage)
Sympathy for The Devil
Paint It, Black
Start Me Up
Brown Sugar
You Can't Always Get What You Want (Encore)
(I Can't Get No)Satisfaction (Encore)

Bステージへの移動はなんとステージそのものがせり上がり、水平移動していくものだった。前回Bステージはアリーナの中央だったが、今回のツアーではドームでいうところのホームベース寄りにまで進んで、アリーナ席後方やバックネット裏スタンド席には大サービス!。そんな中でメインステージにお決まりの巨大ベロが登場すると「Honky Tonk Woman」で戻るという嗜好。
会場全体が「フーフー」の大合唱となった「Sympathy for The Devil」、エンディングに向けライブは最高潮に達する。名曲「Brown Sugar」で一旦は締めくくった後、間髪を入れずアンコール。最後はやっぱり「(I Can't Get No)Satisfaction」。思わしくなかったボクの体調もだいぶ良くなったか、ツイストしっぱなしでこの日は終了。

3月22日、東京ドーム 22番ゲート 終わってしまった…
観客を待っていた東京ドーム 22番ゲート まだ余韻の残るステージ…

外は雨足が少し強くなっていた。名残を惜しみながら東京ドームを後にする。

 翌日はあっけなく

疲れが溜まっているのでぐっかり寝ていたいところだが、初日翌朝のテレビのワイドショーでストーンズの話題をチェックしないと。予想通り各局ともに伝えてくれた(嬉)。
朝ゴハンはホテルのバイキング。ストーンズ効果かおナカもすっかり良くなり、いっぱい食べてホテルをチェックアウト。京急の品川駅へ向かうと羽田空港行きの直通が出たばっかりで、ちょうど発車を待っていた三崎口行きの快特に乗る。立会川でその電車を追い越し、京急蒲田で乗り換え。羽田空港行きは北総車の7000系。フランス国鉄の電気機関車ばりのスタイルが特徴だが、そろそろ後継車に役目を譲るようだ。
…おっと、穴守稲荷に止まったと思ったら「停車位置を修正いたします」。ププッ。またオーバーランだ。空港線では二度目。車内では「あれ?電車がバックしてる〜」という声が…。電車は少しバックしてドアを開けた。

帰りの便はJAL1275便。ほぼ定刻にプッシュバック、R/W34Rからのテイクオフだったが、上空は曇り空、ちょっと都内の景色が見えただけで白いベールが窓を覆ってしまった。またウトウト…。今度はドリンクサービスがあり目が覚めた。雲の間から松本辺りだろうかまだ雪が積もった盆地が見えた。短い水平飛行は終わり、しばらくしてベルト着用サイン点灯。小松空港R/W24に向けてアプローチしていく。
嵩上げ工事中の本滑走路の右に、アスファルト舗装の現在使用している仮滑走路がスクリーンに映し出され、程なくタッチダウン。昼間のフライトでスーツ姿ばっかりが降機していく列に混じって、ちょっと場違いなボク達だったが…(笑)。北陸道を金沢へと急ぎ、#2を会社に送ってボクは帰宅。でもしばらく休憩した後、夕方にはもうスポクラのスタジオで汗を流していたのは言うまでもない(爆)。

ストーンズよもやま話 その3
アーバンジャングルツアーの記録映画「At The Max」が公開になるという。しかしそれは特殊な3Dシアターでしか上映出来ず、公開当時日本では数館しか存在しなかった。その中で札幌に出来たばかりの「サッポロファクトリー」で上映になるという話を聞き、1回限りの北海道上陸を果たしたことがある。
当然のんびりと北海道観光など楽しみたいところだったが、仕事の都合で午前中の便で新千歳空港に着き、翌日午後の便で小松へ戻るたった1泊2日という強行スケジュールになってしまった。しかも予算の都合で新札幌の大したことのないビジネスホテルに泊まったという、まるで観光とは縁のない旅だった。でも札幌市内を少しは見ることは出来たが、肝心の時計台は定休日だった(笑)。
映画自体は時間も短く、3Dメガネをかけての観覧だったがどこかヘンな映像にがっかりした。後日変換したビデオを手に入れたが、やっぱり違和感がある。
行ったのは8月だったが、この年は全国的な冷夏で札幌の気温は日中でも20℃そこそこ。さらに夜はけっこう冷えた。小松に戻ると大した気温でもないのにやたら暑く感じたものだ。その冷夏がたたって秋にはタイ米を食べた人も多いはず。今度北海道へ行くときはゆっくりしようと思っているが、未だに縁がない。

   

 名古屋ドームへ出撃

ちょっと過酷なスケジュールがたたった東京に懲りて、日本公演最終日の名古屋ドーム前日はお休み、当日は愛車Fitくんで日帰りなので有給休暇を取り万全の体制で臨む。ライブが終わって金沢に戻るにも電車では無理、しかも#2は翌日休めないので、深夜のドライブは覚悟の上だ。
まずはチケット受け渡し場所の名古屋駅太閤口へ行かなければならない。午前中仕事だった#2をまた会社まで迎えに行き、そのまま名古屋へ向け出発。時間が惜しいのでお昼は途中のコンビニで調達、給油を済ませて北陸道に乗る。

この日は雨模様。予報では午後には止むと言っていたが、少し遅れているようだ。そんな中をひたすら西下、神田PAで休憩を取って米原JCTから名神高速を走るが、小雨ながらまだ雨は止まない。一宮ICの手前で工事のため1km程渋滞したが、その他は順調に流れ小牧ICからは名古屋高速に。
以前みっちーツアーなどで名古屋へ来た時にはまだ名古屋高速は工事中、下を行く国道41号線(空港線)も拡幅工事中だったが、これでかなり便利になったと実感する。都心環状線に合流して錦橋ランプで下りる。名古屋高速では環状線を「Ring」というのか…(輪っかだな…)。阪神高速の「Loop」に馴れていただけにちょっと不思議なカンジ。広小路通からJR東海の線路を潜り、太閤口へ。雨は上がっていた。

ストーンズよもやま話 その4
名古屋…といえば思い出すのがロン・ウッドのソロ来日。会場の愛知厚生年金会館ではあちこちにポスターが貼られていたが、このキャッチコピーが「ストーンズまで待てない!」これはファン全員の思いを率直に代弁してくれたんじゃないかなと、今でも思っている。
とにかく寒い時のライブだったが、幸い雪は降らないようだったのでクルマで名古屋へ行ったのを覚えている。会場までは地下鉄東山線に乗ったが、今は引退して久しいレモンイエローの電車だった。
ライブはロニーの新作やフェイセズ時代の曲もあったが、もちろんストーンズナンバーも。「Black Limousine」は渋かった〜。それに「Pretty Beat Up」なんて普段は演らないはず。ただし「It's Only Rock'n Roll」は、このツアーにバーナード・ファウラーがコーラスで参加していただけに、次を予感させるには十分だった。
その後、ストーンズとしてホントに来日するとは…。

約束の場所で無事チケットをゲットする。FC会長自ら出向いてくれていた。感謝!あとはライブを待つだけだが、帰りに備えてFitくんに給油しておかなければ。広小路通を名古屋IC方面へと走り、セルフのGSを見つける。さて次はクルマをドコに駐めようか。栄近辺なら地下鉄でドームへ行くコトになるが、帰りの時間ロスや駐車料金の高さを考えると、ドーム近辺でなんとかならないかと思うところ。事前にネットで調べてみてもパッとしなかったが、ダメモトで大曽根方面へ向かってみるコトにした。
「イベント開催日は別料金を頂きます」というイオンのボッタクリ駐車場には目もくれず周辺を流してみると、平均2,000円でいくらでも駐めるところがあるじゃないか。ゆとりーとラインの名古屋ドーム矢田駅から少しだけ入ると、月極駐車場に通称「ニンジン」を持ったおじさんが立っていて、空きスペースに駐車オッケイという。ここも2,000円だったが妥協する。

でもこの時点でまだ17:00過ぎ。ライブまで3時間もある。それならやっぱり栄に出て腹ごしらえと、地下鉄に乗る。ただ早くもドームへと向かう人並みに圧倒されたが、いったいどうやって時間をつぶすのだろう…みんな気が早いなあとブツブツ言いながら、その人並みに逆行(笑)。地下鉄名城線は既に環状運転が行われているが、一般的な「外回り」「内回り」ではなくて「右回り」「左回り」というのが珍しい。車内で大曽根の英語表示は「OZONE」。果たして何人が♪マイアヒ〜と言ったことだろう(笑)。
中日ビル地下の「山本屋本店」でかしわ入り味噌煮込みうどん(1玉半)とゴハンを注文する。すぐにサービスの漬物が運ばれるが、この漬物がまた絶品。結局ごはんもお代わり漬物もお代わり。食べすぎか?(笑)。
そろそろ時間も迫り再び地下鉄の人となる。車内はそれと判る連中ばっかり(笑)。ナゴヤドーム前矢田でベロ軍団が降りてみな同じ方向へと歩いていく。入口へと向かうペデストリアンデッキからは、セットを運ぶのであろうトラックが、まるで港の埠頭の光景ようにズラリとならんでいたのが見えた。

名古屋ドーム トラックの列… ちょっと寂しい名古屋のゲート
名古屋ドーム トラックの列が… さあ、行くぞ!

東京ドームの時と違って、名古屋ドームはほぼ全員がベロ着用か?という位の気合の入りよう。今回は大阪での公演が無かっただけに、西日本から大挙押しかけているに違いない。グッズ売場へ行ってみるとほぽ完売状態(呆)。まあ今回は大したものがなく、しかもロゴ入り袋は500円とはいかがなものか。あとでネットでも買えるので、中に入ってライブ開始を待つとしよう。
名古屋ドームはアリーナ席だったが、東京ドームとは違いスタンド席からの入場口しかないのがちょっと不便かな。え〜っと席は…A6ブロックの145番と146番…何と前から13列目!こんな近くでストーンズを観たことがない!ひゃ〜さすがGC席。

 日本最終公演を堪能

前座リッチーコッツエンの演奏が終わり、しばらく休憩。トイレなどを済ませ周りを見渡してみると照明スタッフがポツポツ配置についている。時折サウンドチェックの音が響き、まだしばらく掛かるかな…と思っていたら突然客電が落ちた!20:02。今日は早い!オープニングナンバーは「Jumpin' Jack Flash」。キースが得意のキックを決める!

4月5日 名古屋ドームセットリスト
Jumpin' Jack Flash
It's Only Rock'n Roll
She's So Cold
Oh No Not You Again
Ruby Tuesday
Rain Fall Down
You Got Me Rockin'
Gimmie Shelter
Tumbling Dice
This Place Is Empthy
Happy
Miss You (B Stage)
Rough Justice (B Stage)
Get off My Cloud (B Stage)
Honky Tonk Woman (B Stage)
Sympathy for The Devil
Paint It, Black
Start Me Up
Brown Sugar
You Can't Always Get What You Want (Encore)
(I Can't Get No)Satisfaction (Encore)

「It's Only Rock'n Roll」ではキース、ロン、ダリル・ジョーンズの3人がかたまって演奏、ゾクゾクする光景だ。ミックの『ヤットキタゼ、ナゴヤ!』の後「She's So Cold」。すっかり板についた新曲「Oh No Not You Again」が終わるとキースがアコギを持って出てきた。ミック曰く『コノキョク、オボエテル〜』。始まったのは「Ruby Tuesday」。この曲が聴けると思っていなかったのと、前日のエアロでこの曲が聴けたのがダブって、涙が溢れてきた。
続いて新曲「Rain Fall Down」はイントロがミックのリズムギター。途中ダリル・ジョーンズのベースソロも渋い。メンバー紹介の前にミックの『チョーカワイイ。アトデデンワスルー』で大笑い。またヘンな日本語教えたな!ボクは名古屋二回目となったロニーが紹介された時「おかえり〜」と言ってしまった(爆)。
キースコーナーの後は東京と同じ進行だったが、Bステージから戻る「Honky Tonk Woman」の途中でキースのテレキャスの音の出が悪くなるアクシデント。ちょっと残念。「Paint It Black」が終わるとミック『キョーハ、サイコー…ダギャ』…今度は名古屋弁かよ!
7分近くの長い演奏になった「Brown Sugar」で一旦メンバーが下がるものの、ここでもすぐにアンコール。「You Can't Always Get What You Want」の途中でミックが二度『イッショニウタッテ!』。オーディエンスの大合唱とミックのボーカルが重なる。ホントの最後は「(I Can't Get No)Satisfaction」。こちらも7分以上に及ぶ長いもので、後半はキースがこれでもかとリフを繰り出し、ミックと二人でステージの右へ左へと、まるで日本最後の夜を惜しむかのように走り回る。気がつくとボクもツイストだけでなくサンバステップにヒールジャック、レッグカールもしていたかもしれない。無意識だった。

キースの、最後のリフがフィナーレを告げた。再びドーム内が明るくなると、火薬の匂いが漂っていた。

 帰途に

慌しくヘルメット姿のスタッフがステージを次の公演地、上海へ向けて送り出すため、早くも解体に取り掛かっていた。最終日はこれを目にするのがつらい。

GC席はおみやげ付き。当日券売場近くでおみやげを受け取ることになっていた。その中身は布バッグに入ったTシャツ、ベースボールキャップ、それにシャンパン。どれもNAGOYA GCの特別ロゴ入りで、シャンパンなんて勿体無くて飲めないよ(笑)。
さあ、後は金沢へ帰るだけ。クルマの中で聴くのはもちろん前回ツアーのCD「Live Licks」。3年前の演奏は殆どスタイルが同じなので、まるでたった今のライブの再演といったカンジだ。思わずボリュームを上げてしまう。歩道には駅へと歩く同士がいっぱいいたが、窓を開けて『一緒に歌って!』と言いたかった。

名神高速までは一般道を走ることにした。国道41号線(空港線)を少し北上していくが、肝心の空港は機能を殆どセントレアに移してしまった今、そのネーミングは…という気がしないでもない。夜の名神はトラックばかりで、速度抑制装置がアベレージを下げてしまう。でもトラックの数が一時期よりも増えたように思えるのは、景気が若干良くなったと見ていいのだろうか。
さすがに深夜の北陸道は空いていた。疲れたのか#2は隣席で寝息を立てている。可能な限りノンストップで走るが女形谷PAで小休止して、金沢へラストスパート。名古屋ドームのすぐ近くにクルマを駐められたのが功を奏して1時半過ぎに帰宅。

   

今回の日本ツアーは5回しか公演が行われなかった。その中で初日と最終日を違う場所で観られたなんて、ちょっと贅沢だったかもしれない。

しかしストーンズは最高のロックンロール、最高のサウンドを魅せてくれた。今回気づいたのはキースの使用ギターが前回までとは違い、レスポールの出番が無かったことだ。それどころかかつての彼の代名詞、黒のテレキャスターカスタムが復活していた。

ストーンズは意外と時代による変化が著しいバンドでもある。こうして毎回の来日を通してみるとサウンドの違いも判るというものだが、それがストーンズの、今のベストな音を出す姿勢だろうとボクは解釈している。ホーンセクションもバックコーラスもない、かつての姿を求めるファンの声もあることは事実だが、逆にストーンズの存在に異議を唱えることにならないだろうか。確かにボクもサウンド的には70年代前半の、ブート「Nasty Music」の頃が一番好きだが、それはまだミック・テイラーが在籍していた頃の話。同じものを求めること自体が無理だ。いや、なお日々進化しているのがストーンズであり、それはツアーパンフのミックの言葉「古い建物とおんなじで、年月が経つほど趣が出てくるのかもしれない」が裏付けている。もしも許されるなら、ボクにとって「あの頃」の「Rip This Joint」「Jumpin' Jack Flash」「Street Fighting Man」の、怒涛のノンストップメドレーを今のストーンズが演ったら…失神確実だ。

ただメンバーの年齢を考えると「これが日本で最後か?」なんて思いがよぎってしまうのは否めないが、彼らのエネルギーはそれを全く感じさせなかった。しかし次のツアーがいつ行われるなんて断言出来るはずもない。3年後か、5年後か、あるいは10年後か。
仮にこれが最後だったとしても、ストーンズとしてではなくソロツアーだって可能性はある。かつてミックやロニーのソロツアーではストーンズナンバーをたくさん演ってくれたではないか。それでもいいのかも…いや…再び日本で彼らのライブが行われることを信じたい。きっと。

おバカ…
名古屋ドームでおバカ(笑)

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