旅日記Vol.38
時速300kmの疾走   2003.4.24


今年のゴールデンウイークは曜日配列の関係で、連年のような大型連休にはならない。でも祝日も交代で出勤しなければならないボクは4月29日の「みどりの日」に出番が決まったが、その代休が前倒しで24日と決まった。
せっかくの休みをスポクラ通いで終わらせてしまっては勿体無い…と思ったと同時に、懸案だった広島行きを決行することにした。休みがこの日だけしかないので日帰り、それに夜のエアロも外せない(笑)という強行軍だったが、そこは新幹線の威力。思ったより広島での滞在時間も取れそう。

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 ★『雷鳥4号』で旅立ち

日頃の行いには自信があったのに(笑)、前日からの雨は止まない。と言っても細かな雨滴の霧雨で、もう梅雨のはしりなのかなとも思わせる。
まずは金沢6:14発の『雷鳥4号』自由席で金沢を出発。5:46発の『サンダーバード2号』は早起きに自信がなかったので…(いつもだが)。ちょっと眠気なぞ感じながら駅のHeart-inで朝食を買い、ホームに上がると485系クラシックが待っていた。予想どおり自由席はこの時点ではガラガラ。しばらくして♪チントンシャン…の発車メロディが鳴り、定刻に雨の金沢を後にする。

予報では天気は快方に向かっているようだったが、途中雨が強くなったりして傘を持ってこなかったのを悔やんだりもした。つい先日まで3月上旬の寒さなんて日もあったのに、加賀平野の田圃は殆どがもう水張りを終えていて、田植えも直前のようだ。石川と福井の県境、牛ノ谷峠辺りは雨に濡れた新緑が実に美しい。
相変わらず雨が降り続ける中、電車は北陸線の主要駅に停まりながら乗客を拾っていく。

3月の北陸線ダイヤ改正で、名古屋行きの特急『しらさぎ』には半数に新型車が投入された。『サンダーバード』と同じ683系なんだけれど、グリーン車に喫煙スペースが設けられたり、ドアの位置が見直されるなどのマイナーチェンジが行われている。秋には米原行き『加越』も含めて全列車が新車に置き換わるコトが決まっている。…ということはそれまで『しらさぎ』に使われていた485系スーパーが経年の高い『雷鳥』用にコンバートされるのは必至。特に老朽化の目立つボンネット型の先頭車はもう見納めだろう。でもこの日の『雷鳥4号』は大阪寄りの先頭車がボンネット型だった。

ウオークマンでエアロのテープ(今時テープかよ)を聴きながら文庫本を読んだり、早起きのせいかウトウトしながらも電車はもう敦賀。自由席はここで満席になってしまった。3月に電化された小浜線の電車が見られるかもと思っていたが、生憎その姿は見られなかった。

湖西線に入っても雨のおかげで対岸の景色はサッパリ見えない。やがて沿線の住宅が急に増え始め、京都が近いのを感じさせる。長等トンネルを抜け、山科で東海道線と合流。東京発の新幹線100系『ひかり』博多行きと並んで京都に着いた。昭和33年11月の東海道線特急『こだま』以来、伝統のボンネット型先頭車の燈がこの京都駅からそろそろ消えるのかと思うと、少し寂しく思った。

後は大阪へラストスパート。おや?雨も上がったようだ。新大阪で電車を降り、山陽新幹線に乗り換え。

 ★久しぶりの山陽新幹線

新大阪で少しの待ち合わせ。『ひかり111号』でいよいよ広島へ向かう。電車は100系ではなく300系だった。『のぞみ』で華々しくデビューしたのがつい先日のように思えるが、現在は『のぞみ』の役を700系や500系に譲ってしまっている。この秋の品川駅開業に伴う新幹線ダイヤ改正では、JR東海からは100系も引退するという話で、全て270km/h走行可能な性能に統一するのだとか。かたや山陽新幹線のJR西日本では、各駅停車型の『こだま』にさえまだ初代新幹線の0系がカラーリングを変えてまでまだ活躍しているというのに…。事実新大阪駅のホームでは編成は短くなったとはいえ、その0系の姿を見ることが出来た。

新大阪を発車してまもなく、阪急宝塚線、神戸線をオーバークロスしたと思うとあっという間に六甲トンネル。山陽新幹線は全区間の半分以上がトンネルで、車窓はあまり誉められたものではない。トンネルに挟まれた新神戸に停まって、しばらく走るうちに「備前○○」なんて看板が見え始め、早くも岡山県入りしたのを感じさせる。
多くのスーツ姿が東京方面への電車を待つ岡山では大半の乗客が下車。電車はさらに西を目指していく。難所「セノハチ越え」(山陽本線 瀬野-八本松間)を下りて来たコンテナ列車が見え、定刻10:47に広島着。雨は上がっていた。

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 ★ひろでん探訪

広島で新幹線を降りて、そのままひろでんに乗っても良かったのだけど、キップは「広島市内区間」まで乗れるので、在来線でさらに西広島まで乗ってみた。それもわざわざ次の横川で一旦電車を乗り継いで。それは山陽線の広島以西はホームの電車接近メロディがどんなのかな?と思っていたから。この駅ではJR東日本の発車メロディをそのまま使っていたという話で、そのアンバランスさを味わってみたかった(爆)が、昨年10月に広島地区オリジナルのに変わっていたらしい。ちょっとガッカリ(笑)。

さあいよいよひろでん(広島電鉄)探訪。JR西広島駅のすぐ前には広電西広島(己斐)駅がある。ひろでんは市内からここまでが市内線(本線)、この先は宮島線となっているが、現在は直通運転が行われているので境界…という感じはしない。でも最近までは市内線は「己斐」、宮島線が「西広島」となっていてホームも別れていた。それで事実上同じ駅なのに二つの名前を持つという変わった駅だったという。
窓口で一日乗車券(600円)を買う。市内均一料金は150円なので、4回以上乗ればモトが取れるという計算だ(笑)。まずは本線を土橋まで乗って、ここで江波線に乗り換え。車庫のある終点の江波へ向かう。

江波線では元京都市電の1900形がやってきた。な・懐かしい…(泪)。よく京都市内ではこの電車に乗ったものだ。感激!
電車のサウンドも昔のまま…今ひろでん活躍している仲間は「ぎおん」など京都にちなんだ名前がつけられ、冷房も取り付けられてなお活躍中。

ひろでんは他の都市で廃止になった路面電車が移籍して走っているが、ひろでんに移籍した元大阪市電の900形は、それまで電車が移籍する際は塗装や車内は移籍した会社の仕様に直すのが常識だったのが、大阪時代の装いのままスグに広島での活躍を始めたコトで話題になった。その後神戸市電、京都市電などが相次いでひろでん入りしたものの、殆どがかつてのままの姿で活躍しているのがうれしい。

広島電鉄1900形(元京都市1900形)

広島電鉄900形(元大阪市2601型)

1900形(元京都市1900形)

900形(元大阪市2601形)

神戸市電は既に大部分が引退してしまったが、江波の車庫にはその中の1両がまだ居ると聞いていた。でも車庫の中にも外にもその電車の姿はなく、どうやら解体されてしまったようだ。しまったー。

またひろでんではドルトムントやハノーバーなど、海外から移籍した市電も走らせている。日本の法令に適合するよう最小限の改造は施されたが、塗装はもとより広告まで、車内も殆どそのままの姿だ。今は主にイベント用にしか使われていないのが残念だ。ドルトムント電車は宮島線商工センター駅に隣接する荒手車庫に居るらしいが、小さな単車のハノーバー電車は、ここ江波の車庫に居た。車庫の奥隅に居たので写真を取れなかったのが心残りだけど。
それとこの車庫には「被爆電車」こと150形の156号が休んでいた。原爆で被災した電車の現在唯一の生き残りだ。

広島電鉄150形156号
「被爆電車」156号

今度は元大阪市電の900型で土橋に戻り、乗り換えて本線を八丁堀へ。

ちょうどお昼とあって、昼ゴハンへと出撃する人がいっぱい。そうだ今日は平日だった。ボクもおナカペコペコ。せっかく広島に来たのだから、ここはお好み焼しかないっ!街並みを眺めながら紙屋町まで少し歩いて千代田生命ビル地下の「よっちゃん」へ。

お好み焼の「よっちゃん」
お好み焼の「よっちゃん」

オーダーしたのはエビ入りで、もちろんダブル(笑)。初めて本場で食べる広島のお好み焼でワクワクしてしまった。手際良く焼かれるお好み焼は風味もボリュームも満点、すっかり満足。

 ★平和への思いを新たに

広島といえば日本人の心には「原爆」。そのまま旧太田川と元安川が別れる相生橋まで歩くとそこは原爆ドームの前。その相生橋は原爆投下の目標とされたという。ここを訪れる人は誰でも気持ちが新たになることだろう。現在は世界遺産にも登録され、恒久的な平和を訴える存在でもある。外観だけでは判らなかったが、中には瓦礫がそのまま残っていて、原爆の悲惨さが改めて伝わってきた。思わず手を合わせてしまった。

相生橋

原爆ドーム

相生橋

原爆ドーム

そのまま少し歩くと毎年慰霊式典が行われる平和公園。今では美しく整備されているが、、かつてここは瓦礫しかなかった場所で、しかも爆心地のすぐ隣ということを思うと胸中はますます複雑だ。そのまま平和記念資料館を見学する。(入館料50円)

広島平和公園

死没者慰霊碑

平和公園と記念資料館

死没者慰霊碑

資料館は丹下健三の設計で、1階がピロティになっているなどのディテールは、フランスの建築家ル・コルビジェの影響を強く受けていることを感じさせる。この日は全国から修学旅行でここを訪れた小学生や中学生の団体で大賑わいだったが、その中に混じっての見学となってしまった。

見学者の中にはアメリカからの観光客もいて、結構真剣に展示物に見入っていたようだった。しかし現在までに行われた核実験は大多数がアメリカで行われており、広島市長の抗議電文の数を見て、今のイラク戦争や北朝鮮問題の前にアメリカ自身がやっていることは…という疑問を持たざるを得ない。
一方の小学生達は「うわ、気持ち悪〜い」程度にしか思っていなかったようで、原爆という人類が犯した最大の罪が、唯一ここ日本であったという事実を果たして受け取っていたのかは疑問だった。その展示の中で、以前NHKの番組にもなった原爆被害者が自ら描いた絵は、壮絶な光景と体験を思い起こさせるには十分すぎて、ボクは涙をこらえざるを得なかった。
被爆後75年は草木さえ生えないだろうと言われたヒロシマに、被爆後しばらくして瓦礫の中に花が咲いた。その花はカンナだったという。

見学を終えると、外は止んでいた雨が降り出した。傘を持ってこなかったので公園内のレストハウスで傘を買う。実はこの建物も被爆しており、この一帯で唯一倒壊を免れたものだという。

 ★もう少しひろでん

せっかく傘を買ったのに、原爆ドーム前の電停まで歩くとはや小降りに。そのまま広島駅に戻るにはちと早く、しかも噂の(?)グリーンムーバーにもまだ乗っていない。この電車に乗らずに帰るワケにはいかないだろう。しばらく待っていたら宮島行きがグリーンムーバーでやって来た!

このグリーンムーバーは1999年にひろでんにデビューした電車。ドイツのジーメンス社製で、秀逸なデザインと超低床のバリアフリーさで一躍ひろでんを代表する電車となった。現在広島には新交通システムのアストラムラインもあるが、今後の広島市内の軌道系インフラ整備については、既設のひろでんの新路線か、アストラムラインの延長かで論議されている。どちらも建設費や設備規模などで一長一短はあるものの、ひろでんが先制パンチとしてプレゼンテーションしたのがグリーンムーバーとも言える。今では広島駅-宮島直通運転の主役となり、同時にすっかり広島の街に融けこんでいる。

グリーンムーバー

グリーンライナー

グリーンムーバー 5000形

グリーンライナー 3950形

あまり時間がなかったので十日市町で降りなければならなかった。残念。広島駅までは比較も兼ねて国産車のグリーンライナーにも乗ってみた。この電車は超低床ではないのでドアにはステップがある。
原爆ドーム前で小学生の団体が大挙乗り込んできて、車内は超満員。そこからは乗り降りに時間が掛かってしまって電車は遅れる一方(溜息)。雨上がりと人いきれで蒸し暑い車内でイライラしながらのひろでんとなってしまった(泣)。

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 ★はじめての500系『のぞみ』で時速300km初体験

結局JR広島駅にはギリギリで到着。急いでお土産にと、にしき堂の「もみじ饅頭」(笑)を買って新幹線ホームへ。今度は『のぞみ22号』で京都へ向かう。いよいよ初めての500系だ。ワクワクしながら乗り込んでみたが…

ところが車内はスペースワールド帰りの中学生の団体が。思わず「何かの間違いじゃないか」とキップを見るが、指定された席はその車両の中でも数少ない一般発売席だったようで、うるさいことこの上ない。迷惑。車掌を捕まえて「別の席に変えてくれ」と頼んでみたが、あいにくこの日は京都までと岡山までの中学生の団体で殆ど占領されていたらしく、ボクの乗った7号車の団体は岡山までですから…というコトでしばらくガマンというコトになった。でもこれが後で起こった事件の前兆だったとは、この時点では知る由もなかった。

まあ疲れて寝ていた子も多かったのはボクにとっては幸いだったが、わざわざテーブルを出してうつ伏せで寝なくても…シートを倒して寝ればいいのにねえ (笑)。岡山でその団体が降りて、ようやく500系『のぞみ』の走りを味わうことが出来たが、その速さは「地上を走る乗物にこんなに速いのがあっていいのか」と思った位。さすがJR西日本が誇るフラッグシップ、世界一のタイトルホルダーだけのことはある。日本の鉄道技術の高さを改めて知った次第。

JR西日本500系のぞみ

JR東海700系のぞみ

500系『のぞみ』

こちらは700系『のぞみ』

300km/h運転は山陽区間だけだが、来た時よりもずっと速い景色の展開は感動モノ。六甲トンネルを出てスローダウン、新大阪に近づいたのは広島を発って1時間余り…そのまま京都まで乗ったのだが、阪急京都線との並行区間では河原町行き特急の追い越しまで楽しめた。

 ★『サンダーバード』に乗り継いだものの…

京都タワー

京都で約1時間の小休止。というのも、金沢に帰ってエアロの上級クラスを受ける予定だったから。そのためここで腹ごしらえを…というワケで、ポルタ地下でKYKのとんかつ。

さあそろそろ…と思って金沢方面特急定番の0番のりばへ行くと「只今JR京都線は事故のため少々遅れておりま〜す」というアナウンス。その中でボクが乗る『サンダーバード39号』は定刻に大阪方からヘッドライトを輝かせてやって来た。
京都は定刻に発車、ここまで新幹線の270〜300km/hという超高速運転だったが、在来線の130km/h運転は確かにスピードは落ちるものの、全線高架の湖西線では感覚的にはソックリだ。

ところがやはりダイヤの乱れを受けて、途中で電車はスローダウン、遅れていた普通電車を途中駅で追いぬくと再び高速運転に戻ったが、ここで2分の遅れ。でもボクは疲れを感じてしまってウトウト…エアロもあるし寝ようっと。
目覚めるともう福井県内を走っていたが、福井到着時点では遅れは4分に。

福井を発車…と思っていたらなかなか発車しない。ようやく信号が青になったのか電車は走り出したが、しばらくするとまたスローダウン、とうとう通過するはずの春江駅構内で電車はストップ…。いったい何がおこったのか?事故か?

車内アナウンスではどうやら信号系統の故障らしい。信号は赤のまま変わらないようで、規定により25km/h以下の徐行運転で次の信号まで進むことになり、歩くようにノロノロと…次の信号から先は異常がなかったようで、遅れを回復すべく電車は何かにとり付かれたように飛ばしはじめたが、結局遅れは16分に拡大していまい、金沢到着は20:30頃になるという。でもエアロのレッスンが始まるのも20:30。こりゃどうしたものか(笑)。

小松-金沢間で1分遅れを取り戻したものの、もうレッスンには間に合わない。後で知った話だが、最近福井県内の北陸線では列車妨害事件が続発しているという。ボクが乗った『サンダーバード39号』も、どうやらその被害を受けてしまったようだ。

しみじみと旅の終わりの余韻に浸る余裕などなく、ダッシュで改札を出てクルマを駐車場から出して、急いでルネサンスへ。着替えを済ませてスタジオに行くと既にウオームアップは終わっていて、メインパートの練習に入っていた…(泣)。最後までペースが掴めず、バタバタに。

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広島が「ヒロシマ」になった時から、恒久的な平和への訴えが始まった。しかしその声は世界に誇るべき平和憲法を持つ日本国内でさえ広く届いていないのは事実。拡大解釈により武力の保持が事実上行われてしまっている。武力には武力を持つことが最良の方法なのだろうか。国は国自身を守るのか、国民を守るのか、はたまた国家を守るのか。

この日、ボクのショルダーに入っていた文庫本はミステリではなく「沖縄 戦争と平和」(元沖縄県知事 太田昌秀 著)。第二次大戦で唯一戦場となった沖縄から見た日本の平和に対する疑問を書いたものだが、ボクはそれも含めて、改めてヒロシマと沖縄が発信する「平和」の持つ意味を、ゆっくりと考えることが出来た。

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