旅日記VOL.30
或る冬晴れの日に  2002.1.19〜20


2002年最初の旅は「みっちーツアー」。今回のライブは昨年末の金沢から始まった…どうやらそれ1回ではおさまらない様子。まずは1月に神戸へと出発!とあいなった次第。いつもなら関西はクルマで行くんだけど、季節は冬。それも例年大雪になりやすい1月中旬とあって、電車での旅に決めた。ついでにいろいろと散財してしまいそうな予感が…(爆)

 ★サンダーバードで大阪へ

ライブは神戸なので、電車での日帰りはちょっとムリ。それに買物や帰りのコトなどを考えたら、神戸よりも大阪に泊まるほうが便利という結論に至った。もっとも大阪と神戸なんて電車で30分弱の距離。深く考える必要もないようだ。

まずは9:58分発の「サンダーバード18号」で出発。天気は晴れ。今回は珍しく雪を心配して電車にしたが、これならクルマでも良かったのでは…とちょっと後悔。でもそれは結果論。この時期にクルマで遠出は賭けみたいなもの。時計駐車場にクルマを駐め、駅のコンコースに着くと発車の15分くらい前で、少し早めだった。百番街を少しウロウロしてホームに上がると、ちょうど富山から電車が到着したところ。

JR西日本683系(大阪寄り)

去年の北陸線ダイヤ改正で特急「サンダーバード」は大幅増発されたが、このとき新車683系の投入と需要に見合った系統立て替えが行われた。大阪-金沢間は9両、金沢-富山間は6両での運行が基本パターンになり、一部は3両で和倉温泉まで足を伸ばす。この関係で金沢で増解結が必要になり、結果的に上り、下り共に金沢での停車時間が延びてしまっている。

この日の「サンダーバード18号」は富山からの6両が新車の683系だったが、ボク達の乗るのは金沢増結の9号車。こっちは先輩格の681系だった。それもトップナンバーで、平成7年に「サンダーバード」がデビューした時の車両。実はその年の3月にデビューが予定されていたが、阪神大震災によって電車を製作した川崎重工(神戸)が被災してしまったのと、JR西日本が災害復旧を再優先にした結果、デビューは一月半遅れとなってしまった。

もっともこの「サンダーバード」の電車681系は平成4年の暮れに試作車がデビューしている。この時は(ニュー雷鳥)というサブネームがついた臨時「雷鳥」だった。その後も臨時列車として走りながら量産車へのデータ収集が行われた。のち試作車は量産車と仕様を合わせるための改修が神戸のJR鷹取工場で行われたが、震災により電車も工場も被災してしまった。震災を乗り越え活躍を始めた試作車だったが、編成を分割出来なかったために昨年のダイヤ改正では一旦役目を失ってしまった。もっとも最近分割出来るように改修が行われ、戦列に復帰と聞く。

2日前に震災から7年目を迎えた神戸。今日そこへ向かうというのは胸中複雑なものがある…というのは否めない。それと今乗っている「サンダーバード」との関連…そんな事を思い出しながらも、電車は高速走行を続けていた。

白山が見えました
車窓には白山が見えました

福井を出ると「サンダーバード18号」は京都までノンストップ。お正月に降った雪はすっかり消えてしまっていたと思ったら、さすがに豪雪地の今庄ではまだ20cm以上の積雪で銀世界のままだった。小浜線電化のため構内改良中の敦賀を徐行で通過、湖西線に入ると安定した高速走行。琵琶湖がまるで春のような穏やかな景色だったのが印象的だった。東海道線の名撮影地「山科の大カーブ」を過ぎ、京都着。そういえば最近は京都で降りることが多かったなあ。

あとは大阪までラストスパート。阪急京都線と平行する山崎を通過した辺りから大阪に来たのを実感する。やがて右手に元の吹田操車場跡が見えてきた。かつては貨物列車の一大拠点だったが、輸送方式がコンテナ中心になってからは無用となり、代わって役目を失った貨車がズラリと並んでいたものだった。その貨車も整理されて、今では巨大な空地と化していた。

やがて新幹線の線路が近づき、新大阪着。ちょっと向こうの地下鉄御堂筋線の電車を見ながら淀川の鉄橋を渡り、大阪環状線のオレンジ色の電車が見えたら、そこはもう終点大阪。12:32着。

 ★やはりエアロ買物から

さっそくエアロ買物。まずはホテル(新阪急ホテルアネックス)に荷物を預けて再び大阪駅に戻り、大阪環状線で京橋へ。

電車を降り、改札を出ようとしたら「あのー、京阪電車はどっちへ行けばいいでしょう?」と道を尋ねられ、「改札を出て左へいくとスグですよ」とすんなり答えてしまった。そういえば京都では「高島屋は何処でしょう」、名古屋では「松坂屋は何処でしょう」。ホントによく道を聞かれるなあ。なんでやろ?答えてしまえるのもどうかと…

お目当ては「LA BODY」というショップだったのだ。いろいろ見てBODY BODY WEARのタンクトップをゲット。これってMイントラが着てないな…とニヤリ。梅田に戻ってちょっと遅めのお昼は、やっぱりこれを食べずして…の焼売太楼(曽根崎店)へ。またとろけてしまって(笑)。

こんどはイングスのフィットネスフロアへ。やったー!セール中だーい!ここではDA MISSのウェアをゲット。なかなか侮り難し大阪エアロ事情(笑)。リーボックショップの新作シューズ(2002年モデルからはメンズ対応!)も気になったが、それは次回にとっておこう。さてホテルにチェックインしようかな。

ホテルのツインルームはやや広め。ベッドもセミダブルだった。でも何と言ってもこのホテルにはオキシー阪急梅田というフィットネスクラブがあるのも気になるところ。ホテル宿泊者は1000円でビジター利用出来るとか。しまったー(笑)。

小休止して…さて、そろそろ神戸に向かわなきゃ。

 ★なんと神戸2往復?

ライブ会場は、三宮のそごう横に出来たばかりの神戸国際会館こくさいホール。…ってコトで何も迷う必要なし。ホテルを出たところに阪急梅田駅の茶屋町口があるので、すんなり阪急神戸線で。

最近は関西でも関東でも鉄道会社各社共通プリペイドカードが盛んだけど、なによりカードがあればキップを買う必要がないという手軽さは魅力。今回からボク達もこのカードを使うことにした。2000円の「ラガールカード」(スルっとKANSAI)を購入。これでJR線以外はどの路線でもオッケイだ。
JR東日本が「Suica」を立ち上げたのは記憶に新しいが、JR西日本の関西地区には「Jスルー」というカードがある。さてこのカード導入に際し、最後まで揉めたのは近鉄だった。
近鉄はエリアが広くて名古屋や伊勢まで路線があるので関西エリアをはみ出すのと、昔から鶴橋駅構内でJR大阪環状線と改札内で連絡しているので、私鉄・公営系のスルっとKANSAIか、はたまたJR系のJスルーか、どちらに歩調を合わせるべきかという話になったらしい。
結局は関西私鉄の暖簾というプライドもあり、まずはカードのエリアを大阪線青山町以西にしてスルっとKANSAIに参入、続いて鶴橋接続のメリットも捨てがたくJスルーにも参入、どちらでも使えるようにしたらしい。

さて阪急神戸線特急は京都線特急と同時発車。今回のレースは中津通過までこちらがスローペースでだいぶ先を越されかけたが、淀川の鉄橋辺りまでにはほぼ追いつき、逆に十三ではこちらのドアが開くのが一瞬早かった!(ような気がするー)

阪急神戸線は阪神大震災の時には翌18日に梅田-西宮北口間の運転を再開した。まだ何も手がつけられず、倒壊家屋もあるところを走る阪急電車に頼もしさを感じたものだ。その先は、ボクが3月はじめに神戸に行った時はまだ御影-王子公園間の折り返し運転だった。夙川付近の倒壊してしまった高架橋が復旧し神戸線が全面再開したのは6月12日のことだったが、すでにJR線は4月始めには全面復旧しており、復旧の早さと大量輸送力に長けるJRの実力には驚かされたものだ。以後阪急・阪神・山陽の各社は苦戦を強いられていると言えるだろう。

その夙川付近の高架橋に思いを馳せ、震災後特急停車駅になった岡本に停まりしばらく走ると三宮。JRのほうは何故か「三ノ宮」だ。西宮も「西ノ宮」だけど、どんな理由があるのかな?

神戸国際会館

せっかくなので外の空気も吸いがてら、あえてさんちかを通らず神戸国際会館へ。まあスグだしね(笑)。開場の17:30までしばらく時間があったので、お散歩。こんな大きなホールが何時の間に建っていたのかなあ…と驚いてしまう。

やがて開場が近づき、ここらで#2を見送りボクは単独行動に。

結局「鉄」本を買うために一旦梅田に戻ることにした。今度は阪神で行こう。いつしか日が沈み、寒くなってきたのでさんちか経由で阪神三宮駅へ。ホームへ行くと梅田行き特急が発車するところ!間に合ったー(けど駆け込み乗車しちゃった…)。

特急は姫路からの直通特急で、山陽電鉄の電車だった。それはいいとして、最近の阪神のJR新快速対抗策は停車駅を増やすことにしたのか、まあよく停まること。御影・魚崎・芦屋・西宮・甲子園・尼崎…。御影といえば、震災直後に来た時には阪神も全面復旧前。三宮から乗った電車を岩屋で降り、代行バスで再び電車に乗れたのが御影駅だった。まだ新しい高架橋が倒壊する中で、この阪神御影駅のような古い高架橋が多少補強されたとはいえ生き残ったのが不思議だった。これは阪急も同じだったけど。

梅田に着き、いつもの旭屋書店へ行く前に、Awイントラが買物に行くというティップネス梅田のショップを覗いてみた。ほーなかなかいいじゃんか、このBODY GROVEのショートパンツ…(爆)。その後ゲットした「鉄」本は何故か小田急の特集(笑)。ついでにその時開催されていた「鉄」グッズフェアで、なつかしい京阪京津線の「準急」標識のミニチェアなぞ。…そろそろ神戸へ戻らないとライブが終わってしまう。今度は阪急神戸線で。

神戸国際会館に着くとライブ終了直前。久しぶりに織姉に電話してみた。元気そうで何よりだった。電話してたらライブ終了、興奮醒めやらぬ#2に電話を代わったが2人ともとても嬉しそうに話していた。

さあこれから晩ゴハンだけど、大阪に戻って曽根崎の「炙屋」で焼肉と決定!またも阪急神戸線で。でも電車の速さにボク達の結論は「ストレス解消には阪急神戸線特急!」と決まった。「鉄」ではない#2だが、電車の走りに日頃の鬱憤がス〜ッとしたらしい(笑)。

行ってみたら店の場所が変わっていて戸惑ったが、向かいのビル地下だった。なにやら高級志向になっていたが旨さには変わりがないのに納得(単価は少し上がっていたなあ)。でも好きだった「くせになる胡瓜」メニューから消えていたのは残念…どぶろくの「マッコリ」をついお代わり。以前大久保の「松屋」で「こりゃ危ない」って言っていたのに…(笑)。あーおいしかった。焼肉。

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 ★翌朝は…

朝日に輝く新梅田シティ

一夜明けて窓の外を見ると、みっちーが神戸ライブ前日の夜に泊まったというホテルがある新梅田シティが朝日に輝いて綺麗!

さて朝ゴハンはホテルのパイキング。新阪急ホテルとはいえこちらはアネックスなので、いつもの焼きたてオムレツが食べられなかったのはちと残念だったが仕方ないか…。でもついつい食べ過ぎてしまう悪いクセ(笑)。

部屋に戻ろうとしたエレベーターホールには、なんと営業開始直前のオキシー阪急梅田のフロントも同居。簡単な仕切はあるが、中には誰も居ない…こっそり忍び込んでスタジオプログラムをゲット!

部屋に戻り、もう一度外を眺めていたらJRの梅田貨物駅に今は使われているのかどうか判らないが、日銀所有の現金輸送車マニ30が停まっていたのが見えた。この車両は詳しいことが公表されておらず、かつて模型化を目論み、大胆にも駅に停車していたこの車両に直接巻尺を当てて採寸しようとした剛の者がいたらしいが、たちまちガードマンにつかまったという話を読んだことがある。

「現金輸送車」マニ30
これが「現金輸送車」マニ30

チェックアウトして、荷物を預け梅田で出発まで過ごすことにした。前夜見に行ったティップネス梅田にあったショートパンツが忘れられず…結局ゲット。続いてHEPに移動したらこちらもセールちう。BEAMSから順に見て回ってSHIPS、アバハウスと進んだところで#2がなかなか面白いセーターを散財。最後にゴルチエ・オムでとうとうカットソーと凝ったデザインのハーフコートを散財…あーやってしまった。まあいいか。スタバでスコーンとラテでお昼代わり。

最後にイングスに寄ったら#2はエアロのウェア上下セットをさらに散財。これでもか!(大げさ)という散財はこれにて終了。荷物を受け取って大阪駅の北陸線ホーム(11番線)へ。朝は晴れていたのに曇ってきたようだ。

 ★金沢へ

JR西日本683系(金沢寄り)

帰りは13:42発の「サンダーバード25号」。今度は普通席が満席だったのでグリーン車。金沢寄り3両は新車683系なのに、ボク達の乗る1号車を含む大阪寄り6両は681系だった。どうもついてないなあ(笑)。まだ乗ったことがないぞ>新車。

681系「サンダーバード」グリーン車にはパーソナル液晶テレビとオーディオサービスがあったが、683系ではそれらがなくなったという。そして設備を統一するため681系からは撤去されたというが、乗ってみるとオーディオサービスのパネルはなく、がっかり。ただし肘掛の中には役目を失った液晶テレビがそのまま残っていた。勿体無いなー。

「サンダーバード25号」は京都までの間に普通電車と快速電車を抜き去り、俊足ぶりを見せた。ただしこれは停車駅が多いタイプで敦賀・武生・鯖江・小松にも停まる。京都から先はグリーン車は5割の乗り。JR特急の盛況ぶりにホッとする。

雪景色の今庄
今庄はまだ雪景色の中

今庄は、やはり雪景色だった。駅構内にはかつてここに機関区があった頃に使われていた給水塔が残っていたが、蒸気機関車の奮闘ぶりは北陸トンネルになった今でも語り継がれている。旧北陸線のルートは現在多くが北陸自動車道に転用されているが、その険しさに先人たちの苦労を知ることが出来る。

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電車は定刻どおり16:10金沢着。一旦時計駐車場へ行き荷物を入れ替え、そのままルネサンスへ直行。Mイントラの中級クラス(レギュラーT)に出たが、買ってきた新作ウェアを着てみた。へへへ。少し筋トレをして、いつもどおりに帰宅。

さて来月は大阪日帰りだ。しかも帰りは「サンダーバード」の終わった後。新幹線「こだま」と米原からの「加越」最終に乗り継いで金沢に戻るのは…

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